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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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町への不信感


《2》
その後で「全員協議会」があり、来年度の議会の予算請求の協議があった。金額的に昨年同様の予算額となった。ここで又、議員の「期末手当の報酬値上げ」の案があり、0.05の期末手当の上げた予算とした。協議では「執行部提案」が「議会提案」とするかが議論となった。
「議会提案」となれば、本会議での採決となり、議会として「期末手当値上げ」を可決へ向かわせる手法と思う。
昨年の「不正請求での穴」の埋め合わせがあり、町民の税金としての町の財源が使われる。7千万円を超える町民の税金の回すと言う状況下で、財源不足を言う執行部のやり方は、決して町民には受け入れないだろう。
昨年の議員期末手当の人事院勧告での「0.05%値上げ」に、議員全員一致で否決し、まだ1年も経っていない今、なんで再上程を町は求めているのか。年2回の期末手当で支給は、一年で「0.1%」の値上げでの給与改定となる。

31年の初委員会


昨日の「南三陸町活性化委員会」の議題は、住民との懇談会についてだった。地元の組合・団体との懇談会として、委員会は前回の協議の中で、商工会を選択した。
昨日の私の意見は、「商工会の組合長を始めの役員との懇談会で、底辺で頑張っている会員の困っている状況は聴けない」と思うと、対象相手を商工会員全体に通知すべき」と提案した。また、懇談会の周知を町の配布物に、内容を商工関係者との懇談会として、周知すべきと発言した。震災後も商工団体は町長の出身母体として、役場に商工体制の再建・拡充を第一に進めて来た。現在も水産業の拡大や環境整備に、拡大の事業として多額の補助金を受けている。
こんな状況下で商工会との懇談会で、何も求め、何に議会は取り組んで行くのか。静かに議論を聞いていきたい。

良い年になりますように(合掌)


将来への大きなツケガ、今の子供達に降りかかる震災復興の真実と、人口減の対策の成果なしの町政は、自分(首長・役場職員)を守る行政運営であり、何を言っても無駄との自暴自棄の状態に、町民はなっているように感じる

室内・野外の孤独死亡は「検死」が必要ながら、正月初めで検死ほ行う先生がいなく、仙台でないと死亡の理由と検死書が出せなく、葬儀をするのも大変と言う。南三陸町には個人開業医の先生が二人と、町の病院があるが、正月休みで不在だったのだろう。救急なら石巻市の日赤病院もあるが、検死となると又別なのだろう。
大変な町になって行く。

志津川袖浜地区の「民宿の里」の今です。巨大防潮堤が広がっている。誰もいなくなった地区が広がる。地区民は高台に移転し、この億を超える防潮堤は、いったい誰を守るのだろうか。私は地区民の声を聴き、防潮堤の議論をしたのかと言うと疑問だ。
防潮堤を造らない事での、地区住民への防災対策費の名目で、補助を出したら地区民も同意したとも感じる。何のために誰の為の「巨大防潮堤」と感じる。

勝手な言い分の町の「エコタウン構想」が聞こえてきた。これ以上住民ヘの生活負担を掛けるのは、やめて欲しいものだ。

問題ばかりの佐藤町政


主審のこの姿は、以前として大きな変化は感じないままで、震災から今年で9年目を迎える。昨年の検証。

問題1 交付金不正請求があった。職員の多忙を極める職務内容から、異常なまでの精神環境で事件は起こった。第一回の特別委員会の中で、危機管理課の課長の休職の中で事件が発生した。まだ6年しか職務経験のない職員に、復旧交付金の県への一億円を超える報告書にミカがあり、7千万を越す町への被害となった。
担当課の課長の休職の対応は、総務課長が担う事となった。当該職員が書類二つを用意し、決済した書類ではなく、事前の工事内容書を提出した。決裁した書類ではなく、もう一枚の書類を出したのは意図的と、職員の責任と町はした。その事で当該職員には何の利益も無く、考慮すれば、職員は年度末の多忙なまでの仕事を、早く終えたいと言う究極な環境にあったと思われる。
特別委員会の中で総務課長は、「病的な状態だった」と言う。それに対し副町長は「まだ決定していない事を言うな」と、発言を取り消させた。一番近くにいる総務課長が言う事が私は正しく、町の責任を回避するかのような副町長の発言と私は感じた。
町の為に働く職員の対場を理解していない上司の、町のナンバー2の発言は、職員を守るべき立場の言葉とは思えなく、自分の身と指名してくれた首長の立場を守る発言に他ならない。議会の中にも首長側の意見に同調する人間が多い事に、町政の監視役としての役目とはなっていなく、町長の大きな力に抑えられているように見える。

こんな町が嫌になる町民は私だけではない。今度は「ゴミ問題」に、首長が町民の震災からの痛みも消えない中で、更なる町民への負担と、ゴミ処理を「生ごみ」に留まらない、町民の労力に頼る政策を町長は、海面下で進めている。持ちつ、持たれつの政治が、また一つの方向へ向かおうとしている。

志津川魂で

2011-05-01 15.02.29
志津川地区細浦の海岸線の防潮堤が、本格に始まっていた。震災から7年9か月になっての事です。8.7mを基準とする南三陸町の津波防潮堤整備は、震災復興予定の10年では終わらず、12~13年と全て完了まで予定している。それだけの大工事なのでしょうがないとも感じる。
この地区の住民の仏事事を担っているのが、私の父の一番下の妹の嫁いだ「徳性寺」であり、檀家を震災後も守っている。大震災の「札所」として、活動を始め、震災の慰霊をこれから続けて行く。

コクガンの現状を視察に、内密に皇室が以前来町したと聞く。日本の自然生息地の維持保全に取り組んでいた。「志津川愛鳥会」があり、代表の田中先生がいた。志津川十日町に子供達を集め、町内で生きる鳥たちの事を調査し、朝の探鳥会など、自然に暮らす鳥や、ケガをした鳥を保護し、治療し自然に返すなどの活動をしていた。田中先生は生き物を大切に守る事を、子供達に教えた。もう30年前に先生が亡くなり、その継承の活動は私には見えない。
イヌワシの里としての志津川町があった。現在は志津川と横山の中間にある「翁倉山」に、多い時は4組いた物が、今は「1組」だけになったと報じられていた。自然の変化や人間の進入など、多くの問題が自然に暮らす鳥の場所を減少させている。今から50年前は、海も山も自然がいっぱいだった。

民泊が100軒あったものが今は40軒と、観光客の受け入れ態勢がある。観光客の受け入れに「パーティー」や「バーベキュー」などでの交流提案もあった。会話については、英語を話せる人が少なく、外国人とのコミャニケーションがとれないと話す。今後として外国人と話す機会を、趣味を通しスポーツやお茶会などをあげ、「サッカーはブラジルでポルトガル語など、外国語に接する事が必要です」と話す。国際人となり世界に羽ばたく子供達となって欲しい。

高野会館へ続く道の整備は、所有者の為では無く、町の希望の橋の解体が大きな理由だ。橋が解体されると残土の運搬ができなくなる為、片側3mもの大きな幅員での整備となった。総ての残土を大型トラツクでの運搬ではなく、旧小松原の姿の再生を考慮し、防潮堤をセットバックして建設する考えだ。
高野会館は今後も受難の歳月が続きそうだ。残土は現在の半分くらいを運搬し、残りはこの部分の防潮堤に充てると言う。

志津川地区の荒砥地区に出掛けた。写真は旧荒砥小学校の前の防潮堤工事とラムサール認定の志津川湾を撮影した。
写真の奥の平磯地区の入り江は津波の被害で、海岸の家々が流失し多くが移転を余儀なくされた。現在は道路の復旧工事と、津波防潮堤の工事が進み、昔の思い出が少しずつ消えて行っている。海ギリギリを通っていた道路の高さは6m以上もあった。震災の前の年? 津波発生でビデオに撮ろうと、ここで多くの地区民と海を見つめていた。前の堤防が見る見るうちに見えなくなり、海上の漁船は海を舞った。襲来は1m弱だっただろうか。そして、今回の津波は地区民と見つめて高台の道路を越え10mもの津波が押し寄せた。これを私は大津波の前兆と感じる。

今週4回目の葬儀に出席した。私の恩人・父の友・知人の父・恩人の父など、相次いで不幸が連続した。その他にも訃報を聞く。こんなにも亡くなる方があるのに、子どもが生まれたとの吉報が聞こえてはこない。他に移転した方の話は聞くが、これでは町の人口が13000人を割るのも当然だ。

震災復興の中でラムサール条約の志津川湾の保全は厳しいと思う。認定にあたり今の海岸線保全の元に生物の生息に繋がる。自然と言う事を考えれば、人の手が加えられ過ぎた「志津川湾」、震災の津波防災の町づくりでの、防潮堤や河川堤防の整備は、自然の保全を考えれば逆行にも私は感じる。
震災復興を遂げてからの認定を目指し、認定を受けなくても地区民や行政が環境整備に、時代の流れと共にやって来た事で、今の自然が維持されてきた。津波防災と自然の維持は共存はむずかしい事とも思える。


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Author:千葉のぶたか

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