町づくりは誰のため

議会構成は10対6との話は、議長選挙の結果からだった。無記名投票があり、私の知る4名に2人がプラスとなり、この数となった。新人が5名で3人が与党だった。数の確保で政治的な動きが秘密裡にあった。その事を私は知る由も無く、前回で選挙にあたった。
議員となり初めての議員との係わりは、議長選挙での同僚の孝作の働きかけだった。当選議員の中で役職分けが与野党の抗争があり、私は巻き込まれる事を避け、町民のプラスとなる議員の役割を全うしようと思った。政治家は行政トップは安定して町づくりができるような体制づくりに真っ先に取り組んでいた。余裕を持った選挙があり、その先は自分たちの為が色濃いように思う。私も町民のために強い方に付いたほうが悧巧なのだろうが、私の性格上それはできない。
「民主主義」は多くの意見を取り込み、最終的には「多数決の原則」で決定される。これが元にあると思っていた。最終の最後の決定は民間代表者の多数決があると信じていた。今日の朝の報道で、「民主主義は少数の意見を取り入れる。」、その原則が一番にある。と言う。しかし現実は、「数の論理で何でも通っている」と今の状況を話す。この最終の決定を想定し選挙からその目標で、国政も地方選挙もある事を、今回の選挙でその当事者となり知った。
防災庁舎も二転三転があり11月の2日「慰霊祭」が開催され、その解体が決定的なものとなったが、村井知事は「防災庁舎を残したい」と発言し、町長は「解体です」と報道の問いに答えていた。宮城県遺構保存の審議会では、「南三陸町防災庁舎は残すべき」との判断が、全員一致で出されたと聞く。
この問題もまだ河川堤防との関係や、その位置関係もあり、どちらになるかはこれからと思う。トップの決定は、変わる事となるのかその結果を見届けたい。
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