FC2ブログ

 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

あのままの姿の記録

2011-04-24 13.52.38
1か月目の2011.0415、気仙沼信金・防災庁舎・前の印刷会社社屋も形がしっかりと残っていた。この光景を見ると直後町民の命からがらの、避難行動が垣間見える。

 リアス海岸特有の津波波高の増幅への基本的知識の欠如が、町のトップにあった事は多くの状況から計り知る事が出来る。
 ある例がある。若林の仙台空港には3mの津波が港ターミナルを襲った。津波警報は6mと津波の波高を伝え、海岸から松林そして貞山堀を超え津波は100mも離れた空港まで来た。空港は津波の波高を、仙台のなだらかな海岸線からの津波の高さを想定していたそうです。
 航空会社、仙台空港の防災マニュアルには地震はあっても、津波防災マニュアルはなく、マニュアルがない中で空港の警備にあたった方は、地震による津波警報は「6m」だが空港到達は「想定は2m」に考え、空港内の方々の避難は元より、津波はここまで来ると確信したそうです。結果的には3mの津波で一階が浸水した事は多くの人々が後に知る事となりました。空港内に居た人たちには一人の被害者もなかったと聞きました。
 南三陸町の海岸形状を知っていて当然の自治体の災害本部立ち上げに対し、「浸水深2m」の町防災マニュアルがあるとか、「6mの津波警報だから3階の12mなら大丈夫」はあまりにもちせつな考えだった事はまちがいがない。この結果、多くの町民の最愛の家族や、優秀な役場職員が亡くなった。

何を言いたいかというと、もう行政の町再建への政策・対策・事業のミスはゆるせないという事です。
町民の帰還には多くの時間を要する高台造成の計画により人口の減少が加速し、防災庁舎の危機管理課での町民の救命のため、防災機器も失いながら庁舎にとどまる判断はいったい何の意味があったのかと、2年半が経つ今でも、先を見通す適切な判断があったらと、私なりの津波検証を続けています。






スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター