私達は町ができる迄生きたい

志津川駅のロータリーのトイレの改修工事と設置を町に訴えた。議会での3回目の一般質問だった気がする。現在は土を運ぶ大型トラックの、方向転換のロータリーとなっていた。駅前の繁華街は今後も再建はない。私の仲間の店も荒地となっていた。
八幡川の西側の土地の整地は、防災庁舎の解体から一気に進む。河川堤防・国道嵩上げ整備があり、その後で祈念公園と自由農地・公園などが広く整備される。平成28年度ごろとなるようだ。この情報収集とその説明と、要望の行政への訴えていく役目を担いたい。
しかし、一般町民となり自分の情報収集・行政への発言の範囲は大きく減少し、志津川市街地の住民の「早期造成・住居確保」への発言は、若き新人が大きな役目を背負う事となった。行政職員の議員は町長寄りの面が強く、復興計画どおりと町長の政策支持にならうだろう。
志津川地区の議員は4人から二人となり、私の自負する現職・元職の住民サイドの議員は、今選挙の敗北は個人の力不足ながら、復興への方向修正を指摘する人が減ったと思う。力の減少を復興の遅延と言う訳ではなく、小さな住民の声を町づくりに反映させる事が必要で、弱者の声は36歳の若き南三陸町会議員にお願いしたい。
入谷地区で「選挙妨害があったよ」と、噂が私の耳まで届いた。私には何もできない。厳正な選挙と警察の選挙の取締りの強化があり、前町長でも2人が検挙取り調べがあったが、「証拠不十分」で釈放となったと選挙後に聞いた。立件には現行犯と贈収賄の双方の検挙と、その実証までとハードルは高い。捕まらなければ何をしてもいいのか。
選挙敗北の一つに「本浜町の行政区の活動に欠けていた」がある。津波で地区民がバラバラとなり、町外・町内の身近な方に支援はしていたが、すべての方々への活動不足が欠けていた。
大変申し訳なく、全部は結果論であり、今後の目標に「本浜のコミュティー再生」に小さい力ながら活動していきたい。
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