これからが震災との戦い

防災庁舎の解体にあたり、東日本大震災犠牲者防災庁舎慰霊祭が2日に開催された。
職員が遺族のテントの脇に起立して整列し、慰霊祭を見つめ、同僚そして被災した町民に献花をした。2年7か月を迎え、防災庁舎屋上で亡くなられた43名の御霊に追悼の献花をした。職員と庁舎に避難した方を含めた43名がいた。残された町職員は殉職職員の分まで震災復興へ邁進すると心に誓う。
在る方は現在仙台に暮らし、「ここが亡くなったら何処に息子に会いに行けば」と話す。一日も早く解体された庁舎に変わる、慰霊の場所を建設する事を願うばかりだ。800名余りの死亡不明の犠牲者のためにも、新しい町づくりが順調にいく事を誓った。
皆際の暖かい慰めの言葉に、「私の責任です申し訳ありません」が、精一杯の私の言葉です。
町づくり協議会の高台移転部会での情報を、志津川地区の私周辺の方々に伝え、将来を見通す事での安心感を与える活動をしたい。土地換地に関しても父の代理として、行政から情報をもらい、被災した方々の自分の土地の今後についての情報を伝えたい。
出来れば議会への提案・提言を出していきたい。仲間から行政に物言う団体の設立を模索したいと言う言葉に、できればこんな活動も視野に入れていきたい。
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