FC2ブログ

 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

志津川市街地の浸水域の復興工事進む


決して自虐的な発言ではなく、これが現実です。
後継者問題も事業所継続には厳しい現実があり、街中の仕事も年々減少し、共に支え合った人達も廃業し、静かな老後を送っている。好景気の中では待っていても仕事はあり、営業しても「大変だから仕事をあげます!」など、そんな奇特に人間がいたが、もういない。
楽な仕事と高給だけを求める今の若者が多い中で、苦労と努力を好む人間は居なく、今の仕事の「終活」に踏み出している自分がいる。

徳島県の後継者問題への取り組みをしていた。俳優をしていた男性が、県の誘いで「ゆず加工会社」との後継としてのマッチングに取り組んでいた。
70歳の女性は7人のパートを雇用し、売り上げは4千万と言う。これまでの独自の製品開発で地元のゆずの加工品を販売していた。後継者も居なく今後を考える中で、県が後継者の確保に乗り出した。
県内の雇用を守り地元の農業産品の活用など、県にとっても欠かせない地元企業を守る活動をしていた。1年間の給料を県が保障をしての、ふるさと創生の新たな取り組み事業だった。勿論国からの支援を充てこんで事業支援と思う。

地元の大事業所が私の町でもあり、国・県からの支援を町を通し拡大している。限られた水産会社への支援は、将来の町づくりの基礎をなして行くのだろうか。

震災後に私の知らない事業所やNPO活動が、町にはいっぱいできている現実を、毎日のように知る。時代の流れなのだろう。町外からの新たな人材は、町に生きる事業所への支援は限られた部分で、震災後に新たに生まれた仕事は、「南三陸町からの手紙」で、支援活動が多少収入として一時期あった。でも「震災の風化」は、全国の「消えた町・南三陸町」の記憶も忘れられる時期が来た。

自分の一生の越し方のクライマックスが来ている。後継者が居ない事もあるが、他の人とて子供がいても、決して後継者とならない今の現実をテレビは報道している。多くの仲間と「子供はあてにしない!」と言う。本当にそれで子供も親も良いのだろうか。こんな事からも町の疲弊と人口減少に繋がってい居る。

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター