三陸道は過疎の町or人口流出の「疲弊への道」

震災後に三陸道の早期延伸を願い、「命の道」と被災した町への政府の救済の一つとして、交付金と被災地支援の元に、多くのゼネコンが仕事を分け合い、入札率は99%で、入札価格も人材・資材不足で、大きな資金を建設会社へと支出した。そんな中で高速道のアスファルト舗装の談合も発覚した。自民の政府とゼレコンの繋がりの大きさは、官僚が政治家を操り、自分たちは建設会社などへの天下りを続けている。古くからの慣例と言う。
昨日、登米市に行った折に、三陸道で登米ICから志津川インターまでの高速道を通った。開通の10月30日の午後3時過ぎは、小森地区の高速入口まで渋滞が、防災庁舎前の信号から続き、津山・登米ICから初乗りした人たちも、小森の入口まで2㎞も数珠つなぎとなったと聴く。
登米市のインターから乗った私は、米谷~三滝堂~志津川までの通過時間は、時速80Kで20分掛かった。私が仙台までの用事では、津山インターまで商工団地の会社から25分で行ける。三陸道を利用し、商工団地から小森まで8分、登米インターから津山インターまで8分ぐらい、合計で36分も掛かる事になる。
私からすればこんなに時間の差があるなら、国道45号を通った方が時間のロスが少なく、スピードを100~120㎞に上げ、スピード違反と危険のリスクを負ってまで、高速を通る意味は無いようだ。
総理も知事も、そして町長も「命の道」を強調する。しかし、気仙沼までは時間的に間違いなく早く着く。物流と観光を捉えると、我が町にはそんなにメリットは一時的なもので、将来を考えれば観光人口・交流人口が、気仙沼市や岩手沿岸のリアス線に流れる気がする。また、ここでいつもの口癖の「想定外」との声が聞こえてくるようだ。これ以上の人口減は限界集落に、時間を掛けて向かうようだ。
高等学校の存続や、小中学校の児童・生徒の減少は、生徒間の学力の競争や人付き合いの限界で、孤立が増え「いじめ」「引きこもり」が増加するように思う。
合併し志津川町が「南三陸町」に改名され、議会の地区構成も、入谷4・歌津5人・戸倉5人、そして志津川の2人となった。議会議長はここ7年で、戸倉地区から3人の選出となり、首長との繋がりが深いと聴く。
志津川地区が町の中心だったものの、町の政治・復興の政策に反町長だった人たちが、次々に町を離れている気がする。町の観光・商工の推進事業の中核を担う首長の仲間が、活気を復興特需により拡大しつつある。
まあイイ!
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