FC2ブログ

 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

活気ある住民の言論はどこえやら

20100224_市街地_DSC00664
南三陸町の住民アンケートが欲しいが、真実の人口動向と若者の就職意識など、町の調査は住民には伝わってこない。地元の事を気仙沼の報道で伝える事はできるが、購読者が500軒ぐらいのような気がする。私の「南三陸マイタウン情報」には、少し前の町の動きが、「千葉総合印刷のホームページ」に掲載されている。震災の2011年7月頃から、2015年12月迄の、PDFから出力できる。

気仙沼市の被災住民の意見がある。定住・帰郷を希望する住民は「戻るつもりはないが52.9%」にもなり、戻りたいが現実的に無理が「20.7%」で、帰郷が決まっているが「1.4%」でしかない。年祝いの同級会に帰郷した668人の内208人(31%)のアンケートなよるものだ。故郷に戻る条件に、「働く場がある事が62.5%」が一番で、次に医療や介護の面で不安がない事を上げた人が「45.5%」となった。
若者が自分の将来の為に安定した職場・報酬も求めるも、企業誘致がなく、地元の事業所も今は建設特需があるものの、後5年の復興期・安定期が終われば、職場が減少する。行政の企業誘致も、若者が居ない我が町に設置は難しい。優秀な若い将来を担う人材が町を離れ流出し、将来の町形成に不安が募るだけだ。
町の人口減少阻止へは「将来への安定感ある働く場所の確保」が、町民が一番望んでいるようだ。入谷の震災後の企業進出も、国の企業立地補助金目当てで、町の廃校の有効利用の互いの思惑が成立した。結果的には継続は無く撤退したと聞く。現在も1社が同じ町の為の企業立地となったが、町の支援なしには継続は厳しく、雇用も住民の望む体制ではない気がする。
漁業・農業もさることながら、商店主の後継もなく自分の代で終わりが半分以上と感じる。親もこの町での事業の継続は厳しいと、後継を望んでないが現実だ。しかし、町の事業者の後継者は優秀で有名大学に入り、高い能力をもっていた。
現在、私たちの前後の年齢の子供達が、安定職種として「地方公務員」として町に就職している。町民皆が望むものの狭き門である事は間違いがない。家督として町に残り役場職員を希望しても、挑戦するが何回も就職は叶わないと言う。年齢制限の終末にきている。
気仙沼市の家族も「子供達は仙台市や盛岡市」の一時間圏内に暮らして欲しいと、被災地の地元での生活を望まず、子ども達も「望む職がない」と、地元就職を諦めている。
昨日、志津川市街地に初めて事業所が本設された。セブンイレブンで渡辺さんと言う地元の方が、震災後から仮設で家族で経営し再建を果たした。現在の来客を見ると建設関係者が多く、復興後の経営は「三陸道」の開通で、ストロー現象となり来客の減少を想定する。志津川市街地の商店街も観光客の集客も一時的な活性化となるが、風化による厳しい状況が必ず訪れる。町の住民数が町商店の復興に大きな繋がりを持つ。

あーあ! この町に住み続けるか思案は募る。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター