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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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合併10年の検証(4)  議会⑤


現在議員の資質が試される問題が町内にあった。以前までの「早期防災庁舎解体」の議会の決定が、新しい議会選挙に伴い再編した議員による、「もう一度、防災庁舎の在り方を議論すべき。」と、三人の若者の請願が提出され、現職の議員数名が請願提出の協力支援に名を連ねた。新しい議員となった方々によるものだった。
以前の解体の決定では、歌津の議員と志津川の3名が、遺族の解体の意向を聞き入れ、「解体すべき」を賛成多数で採択され、「早期解体」を議会が決定した。そして、今回の請願提出で再度「解体の議論」が行われる事となった。新人5人と元職1人が加わり、新たに討論・採決となり、歌津の議員の一人が保存へと廻ったものの、歌津出身議員の2人と新人1人が解体を指示し、志津川出身からも1~2人?が以前の「早期解体」を指示したが、賛成多数で「保存」が採択された。
 その後押しに「町民への意見公募(パブリックコメント)」があった。提出が町民の14%でありながら、その6割が「保存」を指示した。この意見の14%・6割という事が、町長と町長を指示する仲間が望める、「防災庁舎遺構」を中心としての、「観光立町」の方向性を決定的なものとした。
 また、村井知事の「県有化」が最大の力となった。以前の町長の解体の決定の理由は、遺構の保存の維持費の問題があり、町長も町財政を考えれば、保存は難しいと見解で述べている。国や県が3・11の「東日本大震災」の復興のシンボルを、南三陸町と言い、その中核となる「防災庁舎」を震災遺構として保存する事は当然で、町の決定的な判断の後押しとなった。
(つづく)

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