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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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震災の悲劇への検証

2011-04-15 07.46.08
写真は2011.5.15ごろの誌写真です。この悲劇を忘れることなく、原点を見つめ復興へ尽力していきます。
私の議員としてのスタートは、行政の入札や政策の中身について、多くの疑問や怒りから、議員への立候補を告示ギリギリで決断しました。予算の使われ方、職員の「町民の公僕」であるはずの公務員の在り方など、町長に多くの疑問をぶつけて、改善・見直しの気風が高まってきた時の、今回の「東日本大震災」の大津波がありました。
町が壊滅的状況となり、被災者の安否確認や、被災地の情報発信、スポーツ少年団の維持支援、大地震の記録収集をしながら、議員としての被災住民の声を、町の担当部署に伝え住民支援を続けてきました。長いようで短い2年半だったと私は感じています。住民雇用も会社の再建も進め、5か月目には仕事も再開し1人から2人と、被災地で頑張っている住民の、少しではありますが、雇用をして住民の生活再建支援をしてきました。しかし、一人の議員の発言の弱さを痛感したスタート、被災直後でありました。
被災後の行政の講じた復興政策の疑問点を付き、改善・修正を求めてきたが、仮設の登米市への建設、防災庁舎問題、戸倉ゴルフ場跡地利用、産業廃棄物の出土があり、町としての存続に繋がる町民の流出が進む中で、その適切な対策を今だに取れてなく。各地区の防集事業、志津川地区の津波拠点整備事業がなかなか進捗が遅いように感じます。このような状況となっている事を、私個人ならず住民の多くが行政への怒りを持ち、「町民の声」への町の政策が解決とならないままで、現在に至る経緯があります。住民の生活再建よりも、商工業出身の行政トップなのか、商工・観光を第一かのような、行政の復興への考え方が進められているように見えます。苦しい・悲しい・辛い環境の、被災民の「怒りの声」が、私の行動のエネルギーとなっています。
こうした「復興計画」の元で、町長の事業展開に対して、被災住民の多くの悲しみを救うためにも、町長の4年間の政治活動について質問し、今後への対策を伺います。

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