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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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前略 南三陸町さま


6月・7月と同級生や知人の両親が亡くなられた。この地で生まれ生きてきて80年そして90年になり、津波や多くの苦難があり、志津川・戸倉地区で生き抜き、これまで町にずーと暮らし行政を支える税金を納め、町の生業を支えてきた。

東京への生活を選択し親の老いを家族は最後まで見届けた。仕方なく町を離れた厳しい決断でも、菩提寺の先祖の墓に母を納める。宮城県の為の復興復旧に、自分の生活の為に、仕方なく隣町の生活を選んだ同級生もいる。我が町での早期の再建を願うも土地が無く生活環境も無い震災直後は、残された家族で母を介護したと聞く。しかし、この同級生の親の死が「みなみさんりく広報」には掲載されなかった気がする。葬儀で案内を頂いた親戚・近隣者のみの、ささやかな告別式で、平時なら多くの人たちの参列を頂き、故人を忍びその最後を喪主が皆さんに伝え、故人の事を思い出す。ひと時でも我が親の生き様を知ってもらいたいがある。
昨日も突然、病院に行っていた私の携帯が鳴った。世帯主が南三陸町で暮らしていても、その家族が亡くなっても、広報誌で南三陸町の全世帯に「なぜ伝える事はできないの」と、行政へのお願いの要望があった。私の母親も現在介護施設に入所し、住所は施設に在り郵便物もそちらに届く。しかし、皆が諸々の事情で町内の施設とはいかない。たぶん住所が地元でない為に、「みなみさんりく広報」には載せられないだろう。
南三陸町の震災による仮設生活者やみなし仮設生活者は、住民基本台帳に記載されてはいるが、みなし仮設で他の地に移り住み、その地の施設に両親がお世話になる実情もある。今回の被災は100年の一度の現状がある中で、南三陸町の住民に「私の両親の死を伝えたい」、こんなささやかな願いを行政は聴いてはくれないものか。広報の最後のページの裏面に死亡欄への10文字、なぜ載せられないのか。震災で止む無くの悲劇であり、住民への行政震災対応して、希望のある方には掲載してもなんの問題もない。
なぜできないのかを広報発行の企画課に聴きに行きたい。そこがダメだと町長・副町長と言う事になる。

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