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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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町づくりを考えている間に住民がいなくなる


私が30年前に住んでいた地区は「旭ヶ丘団地」だった。今日、用事で旭が丘に行くと「七夕」の時節とあり、地区の集会場で七夕の飾りつけがされ、子供達や住民が集まっていた。震災後も被災者の救護や被災者支援に、地区民が活動をしていて、私も個人活動として登米市から物資の買い出し支援をした。地区のコミュニティー活動が、震災後も盛んに行われている地域でもある。

今日、地区配布があり町広報・議会広報・各種イベント開催のチラシがポスト入った。「石川さゆりコンサト」のチラシがあり、私も行きたいと思うのだから、川中みゆき同様間違いなく整理券は、朝5時前から行列ができるだろう。その他に町民への生活・住宅意向のアンケートの調査書が入っていた。結果は行政が落胆する事となるだろう。

地元紙には入谷・名足の災害公営住宅の完成式が2日に開催された。それに伴い各地区の災害公営住宅の建設完了の予定が掲載されていた。続く内容に驚くべき現実の記事にあった。災害公営住宅の今後に、歌津・枡沢が来年3月、戸倉・伊里前が28年当初、志津川西が29年度当初、志津川東・中央に至っては30年当初が入居予定と言う。「28年度には全てが入居」と言う、当初の行政の方向は発信は何だったのか。建設の大変は皆がわかっている。なせ、被災者が早く入居できる対策を講じないのか。人口減少も仮設での入居期間延長により、戸建も災害住宅も時間が掛り、人口減少の増加も判っていた。なにも出来ない行政があるが、南三陸町は女川町よりも町に土地はある。ホテル観洋の国道45号の向かいの、「黒崎テニスコート」「災害ヘリポート」の場所は、直ぐに使える状況にある。入谷もあるが高台移転への住民の場所として、直ぐに造成ができるのに、なぜなのかと行政に問うも、住民の希望が無いからと言う。この場所を移転の候補地に示さないのに、住民の選択もない。町の土地である。「ひころの里」「旧林際小」なども、町復旧の前の一時期の生活地として、活用はできなかったのか不思議だ。政治の利権でもあるのだろうか。

志津川東・中央が30年度当初との予定に、被災住民の生活苦が、行政の政策決定のトップと、関わる職員には危機感が薄いようだ。行政職員からもトップへの提案や反発がない事に、「なぜ?」と町民はこんな意識を持つ。
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