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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

2年の善意が 土地返却での不協和音に


半月前は棟上げの途中だった平磯の造成地は。その向こうには新しく足場が組まれ、手前では基礎工事の準備が進んでいた。
「自己再建」が土地を求め進む中で、町の団地と呼ばれる造成区域は、28年度の完了として進められている。「土地さえあればすぐ建てたい」と、多くの住民は口々に言っている。しかし、復興計画の中でその計画への時間の短縮は、今の行政の体制では無理のようだ。
2年の仮設住宅の土地の提供があり3年目を過ぎた。今後の土地確保から住宅建設まで、町の上層部の方の言葉に、造成2年、建築繁忙期時には2年3年と待たされる。こんな将来の状況から、土地が取得できれば、一日も早く住宅建設へと動く。住民の方が行政より迅速行動を取っている。

現在、仮設住宅の土地の提供者が、「土地返却」を求めている。何故なら仮設の必要性がまだ4・5年が必要とされる。土地の提供者もここまで待てないからの、行政への返却を求めての事だろう。
阪神淡路は最長7年だったと思う。東日本大震災は当初から10年・15年と言われ続けている。「時間を掛けてじっくり整備」、果たしてこれでいいのだろうか。2~3日前、志津川地区中央の小学校裏あたりに、ヘリのホバリングが2日間続いた。造成地の写真撮影と思っていたら、工事現場への資材運びだった。

震災から3年が過ぎ、工場・住宅建設移転が終わり、細々と仕事をしなから町の変化を見続けたい。中央区の居住希望者の、まちづくりの議論が始まったと、三陸新報は伝えていた。私にも昨日「志津川地区まちづくり協議会輝くみらいづくり部会」の委任状が届いた。高台の移転の議論の中枢への参加が私にはできない。私たちの提言がどこまで町づくりに生かされるか、今でも疑問がある。

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