生みの苦しみ

震災の2日後に見た光景がある。新しく生まれる町、復旧復興する為に大きな町づくりの変革となり、今はその途上と言える。写真は現在の光景で、志津川保育所の位置する上の山緑地も、1mの津波の到達があったものの、この破壊は何なんだろうと思う。
昨日、私の最大の信頼を持つ、同僚だった大先輩が来社した。いまだに地域でその力量を求められ、声掛けやお願いの役を求められると言う。喜寿もまじかで持病もあり、もう休んだらにも「血気盛ん」な行動を見せている。
入谷鏡石地区の道路の整備を県議会に、入谷地区の各団体の連名で要望を提出にも、一人で根回しの陣頭に立ち頑張っている。
私も含めてだが若い世代に、新しい町づくりの先頭に立ち頑張ってもらいたい、が互いの願いだ。体に持病を持つ私とて57歳ながら、7年後の復興計画完了の頃には、総て職から退く事も視野に入れている。
志津川剣道協会も歌津との合併で、体育協会で進んでいる。スポ少などまだ続けるものの、大きな節目を迎える事となる。
町の様相の総てが変わる。この町再建の復興の在り方に私は大反対を貫きたい。
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