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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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門前町構想


門前町構想が私の所属していた団体にあった。
私は震災からの復活に八幡様から、両脇の商店整備で観光客の拡大を考えていた。町は「商店街構想」で大きな商店の拡大と、多くのイベントでの集客を迎える考えでいた。経費を掛けイベントと祈念公園の整備で客を呼ぶと言う考えだった。毎年資金を掛け、出店者も資金を出しての継続は、軽有為の大きな負担となる。
神社は神様への感謝を主体とし、地道な商店街の経営体制が、今後の町の将来に繋がる。そんな姿が「定義山」にはあった。若者から子供まで老若男女が信仰に訪れ、当山の歴史に触れる。こんな町づくりが私の構想である。
当然ながら、町はこんな静かな消極的な構想を受け入れるはずも無いが、町内の神社仏閣は昔のままの営みで、地元の住民との係わりで、ここまで暮らしてきたに他ならない。

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「高野会館を第二の震災に」みんなで考えましょう


(東日本大震災対策特別委員会)の請願審査にあたり署名議員の一人として、請願採択への意見発表

高野会館の震災遺構の(請願)提案

震災後の観光協会の臨時職員の「使い込み」があり、その責任をとり、ホテルの副社長は会長を退任しましたと聴きました。それまでホテル内の朝市で開催され、町内の水産加工会社が出店していましたが、その後、石巻の水産会社が水産品を販売する等、ホテルと町の繋がりは希薄となり、この現在の相互関係が、ホテルの要望・請願への消極的な町の体制があると思っています。
外国人客の誘致でも、町は民泊を推進し、「観光立町」と言いながらホテルとの協力関係が、外国観光客の数も把握できなく、ホテルとの観光拡大への意見の交流も無いとき聴きます。
防災庁舎の遺構を町は「県有化」とし、県への丸投げで町の財産ながら、復興祈念公園の目玉として観光交流人口拡大を描いています。
大津波で被災した防災庁舎は、海水による塩害もあり、半永久的に残る事も無く、「町に一つの震災遺構」として、危惧しています。その価値として喪失を思い、もう一つの「震災遺構」として、高野会館を確保して置くべきと思います。
これから何年か最低限度の「高野会館維持費」の町からの支援と、環境の整備が観光客の事故発生を防ぐ事ができます。自治体に一つとの「震災遺構」の枠組みから、時間と共に基準が緩和され、自治体に「二つの震災遺構」との発信となれば、多くの観光客の呼び水ともなる気がします。
長期的な観点から高野会館の維持を考え、議会で請願の内容を精査し、「請願の採択」を希望し、同僚の議員みな様にも賛成して、採択して貰えますよう、私なりの提案をいたします。
長い目で高野会館を見守って欲しいと願います。 終わります。

南三陸町の「道の駅」わ考える会


三陸道は南三陸町の交通の玄関口となっている。登米市の東和地区米谷の「三滝堂サービスエリア」の設置建設は大成功だろう。
一年間が経過し、40万人の来客・売上6億円は想定を遥かに超えたものだろう。石巻の元気市場を計画した知人も、その人数・売上額に驚いていた。
道の駅を切り盛りするのは、食堂の3人職員と、食券機が在るだけで、店には2~3人のレジ打ち、品物は出店している事業所が並べる。あとはコンビニがあるので夜も深夜ドライバーが立ち寄る。車社会に即した環境を整えている。
南三陸町の商店街はそれから比べても、高速道路社会・高速車輸送社会の中で、「道の駅」役目を果たせるかと言うと、この面では機能の存続は難しいと考える。一部の人の事を考えた構想には、町民全体の利益と言う観点からもおかしい政策だ。

地元の工務店の建設の粋を結集した、道の駅建設で、地元の農水産品の発信・販路拡大として、町の発信場所となる事は間違いはない。

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2年後を目途にさんさん商店街を「南三陸道の駅」とすると言う。なんで志津川地区の商店街を特別視するのか、それは町のトップが商工会会長の出身だからに起因すると思っている。歌津地区にもハマーレ歌津の周辺に「道の駅をと言う」が、自動車社会を考えれば、三陸道の沿川に「南三陸道の駅」を建設した方が、南三陸町の農水産品の販路拡大と、町の素晴らしさを発信できる気がする。登米市の米川の「奇祭みずかぶり」の紹介も、「三滝堂道の駅」ではしている。一部の商店が潤うだけの「道の駅の構想」には私は範囲を貫きたい。


南三陸町の町民の皆様に情報発信「マイタウン70号」


70号29年11月志津川記事1

◆南三陸町歌津石泉の小野弘喜さん(70)が、調停委員功績で秋の叙勲「藍綬褒章」に輝いた。小野さんは歌津中学校PTA会長、旧歌津町の民生委員、石泉地区長を務めた。旧歌津町の佐藤榮太郎元町長の時代に調停員になった。
◆台風21号の南三陸町の水産関係の被害が9300万円以上になった。被害は養殖施設・水産物・漁船があり、その他にも水尻川・八幡川の河川のサケ捕獲施設が被災した。
◆志津川高校では町民を対象とした「パソコン教室」が開かれ、住民13人が参加し年賀状作りに挑戦した。
◆南三陸町で2月からサケ放流事業のサケの捕獲作業が台風22号の影響で、前年より12日遅れで八幡川での開始となった。捕獲数は13匹と昨年の1割にとどまった。

◎県の文化の日に表彰
 ■三浦清人氏(63)…地方自治功労。1987年4月に旧歌津町で議員に当選。南三陸町議となり、8期30年町政発展に努力した。
 ■遠藤勝彦氏(64)…調査統計功労。20代で統計調査員となり、事業所や企業の統計調査を皮切りに国勢調査や漁業センサス、商業統計調査に携わった。
 ■佐藤久一郎氏(68)…産業功労。1992年に旧志津川の森林組合理事となり2010年には南三陸町森林組合長に就任。
 ■高野剛氏(59)…産業功労。県生コンクリート協会組合理事長を6年間、気仙沼地区生コンクリート協同組合理事長となり、震災復興に尽力した。
 ■高橋忠雄氏(64)…消防功労。1982年から旧歌津町消防団に入り、南三陸町消防団第9分団副分団長となる。2015年から同分団長を経て現職。


志津川2

◆南三陸町で長年にわたり、行政・福祉・防災などに尽力した8名を功労表彰した。
◆5日「津波防災の日」に南三陸町で総合防災訓練が開催された。ハマーレ歌津では、歌津中の生徒が観光客役として参加した。
◆南三陸町を台南市の張政源市長が訪れ、復興へ末永い交流を誓った。
◆気仙沼市のリアス・アーク美術館による「リアス・ジュニア絵画コンクール」で、志津川小2年の千葉萌々夏さんの作品が大賞に輝いた。
◆友好都市の山形県庄内町の住民が、町民の交流スペース「マチドマ」で、お茶を振る舞い、心を和ませた。
◆2018年度高校入学志願状況(第1回予備調査)、志高(普通80人)0.51、(情報ビジネス40人)0.28の倍率となった。
◆志津川の防災パレードで「あさひ幼稚園」の36人の園児による、鼓笛演奏で出発式をおこなった。
◆10日、南三陸警察員の8人が、戸倉地区で不明者(211人)の捜索をおこなった。
◆志津川高校で防災クラブ任命式が行われ、活動を重ね将来のリーダーとして期待。

 南三陸町の町長・町議選の収支報告が公表された。佐藤仁氏は120万円、阿部寛行氏は36万8千円だった。町議では、1日だけでの平均支出額は29万円となり、最高額は佐藤雄一氏の56万円で最低額は今野雄紀氏の3万円だった。公職選挙法による有権者に応じ、町長は約257万円で町議は約171万円が上限だった。

◆南三陸町小学生ビニールバレー大会結果。男子①志小おっとっと②戸小キングオフビクトリー、女子①伊小っこ②志小8人の小悪魔。
◆漁業に就職を希望する人達を集めた研修会が南三陸町をメーン会場に開催された。13日から5日間5人の参加者が、地元漁業者の話や漁業体験をとおして、漁業の楽しさや魅力を学んだ。漁業の担い手の発掘をねらう事業としての取り組み。

志津川3

◆16日志津川町内の男性(55)が、町内の神社から賽銭350円を盗み逮捕。
◆南三陸町では16日から、高台移転団地の69区画の空き地を、一般開放で募集する。空き地の多いのは、戸倉20戸・志津川15戸となっている。平均100坪の土地の価格は、185万円から780万円となっている。
◆入谷山の神平自主防災組織が万一に備え、土砂災害などを想定し防災マップ作成に取り組んでいる。
◆南三陸海岸IC―歌津IC間の4.2kの供用開始を12月9日と国交省が正式発表。
◆県の原子力防災訓練が23日に行われ、検査ポイントでの車両の放射線検査訓練などが実施された。
◆南三陸町の佐藤町長は志津川高校で「感謝の気持ちを忘れずに」と講話を行なった。
◆南三陸町仮設さんさん商店街にあったモアイ像、廻館前から本設となった商店街の五日町に2020年度まで一時移設する。
◆南三陸町の男性(23)が有料サイトの利用料未納を語る特殊詐欺の被害にあい、電子マネー40万円をだまし取られる。
◆南三陸町のサケの自河川の採卵へ12月上旬から海産親魚の確保を図る。今季の八幡川・水尻川の捕獲数は658匹、採卵数は45万4千粒と、震災後最低となっている。
◆28日仙台での世界防災フォーラムの参加者22人が南三陸町を訪れた。タイや台湾、中国、イラン、ドイツ、アメリカなどの防災担当者が来町した。

こんなにも多額な大規模工事よりも人口確保では?


2045年の南三陸町の人口が「6千400人」の、新聞報道に驚いている。また、気仙沼市の「3万3千人」の数字には、驚愕する。震災後に生まれた小学校一年生は、南三陸町で68人となり、30代の女性も減少している事から、総合的に人口動向を町でも試算している。2020年には団塊の世代が高齢者・国民年金受給者となり、高齢化は一気に進み、2045年には高齢化率は「55.9%」となる。後期高齢者医療が県内最少は「気仙沼市」で、一人当たりの医療費は年間約68万円となっている。
あと27年で危機的な状況が町には来る。中長期的に町造りの計画を、危機感を持って行政には当たって欲しい。「今良ければ」との施策にしか私には見えない。震災後の初動から南三陸町の、町再生の歯車がずれてしまった気がする。

大津波から多くの人を守った「高野会館」


国道45号の10m余りの道路整備は、津波防災の機能も併設している。海岸部にも「津波防潮堤」を整備する。大谷地区の国道と堤防の共用となる「震災復興」から比べても、国費の無駄の様に感じる。
南三陸町の志津川湾の景観を損ねる事を、八幡川左岸の復興事業を思う。そこに「高野会館」の建物をどうするかが、町の考えには一かけらも無く、「解体への町の意向」が根強い。震災での建物の解体も時期を過ぎ、全部解体経費が持ち主の負担となる。
整備された国道45号から、防災庁舎と高野会館を見て、どちらが遺構として適正かを考えて欲しい。こないだ女川町に行ったが、遺構となる「女川交番」が何処にあるのか解らなかった。
大津波から350人余りを守った高野会館、津波でも倒壊する事なかった建物、津波防災の建物として貴重な検証の価値がある。その辺を町に訴えて行きたい。

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南三陸町の「高野会館」の保存について、皆さんはどう思いますか。津波から350人余りの町民が奇跡的に助かった場所。解体すればこの場所の奇跡を、どのように伝えれば良いのでしょうか。色々問題はあるのでしょうが、町と協議してもっと議論をして欲しいものです
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昨日、上記の内容を「ツイッター」と「フェイスブック」に発信し、皆さんに考えを聞いた。今朝の確認で多くの「いいね」を頂いた。防災庁舎が「解体」から「保存」に議会の決定が覆され、現在があるように、「高野会館をどういう形にしたら良いか?」、町の「震災遺構」として町民ともっと議論をすればいい。何でも町(町長)の意見が通る震災復興はおかしいと私は思っている。震災復興事業なら何でも認められる、現在の状況は町民の将来にとって有益かを議論してみたい。観光・交流人口拡大を言うのなら、残して当然の遺構と思うのだが、感情論ばかりが見え隠れする。父は「町外の企業が……」と反対の様で、いろいろあって当然だ。しかし、必要か否かは将来の事を考え議論し決定して欲しい。新水域の建物、土地・被災建物は所有者の同意なしに解体はできない。
残して欲しい企業と、震災の復興事業の障害となる町、ここでの町の判断は被災地のメディアの「的むとなっているようだ。



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