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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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南三陸町「復興祈念公園」構想


「まちづくり未来」の会議があり、「南三陸町震災復興祈念公園」の、要望に対する回答についてが儀論された。5年前? 奈良の大学の宮城教授の設計が、アリーナで説明されたが、あの時から何も変わらない。28年の11月から会議が実施されていない事に驚く。それでいて12回の志津川町づくり協議会の、「輝く未来づくり部会」だった。
祈念公園の構想に疑問を持っている私は、最初は「何も話すまい!」との思いは、他の被災地に比べ建設的な議論の無い会議に、一つ二つと鬱憤が爆発した。「なぜ慰霊碑を建てないのか」「震災で亡くなった町民の名前を刻まないのか」「歌津地区民も入れて議論しないのか」など、祈念公園の構想には、多くの住民を入れない、行政主導で、町民の意見など何処にも入る余地は無いようだ。
一番驚いたのは、こんな大きな津波を体験し、祈念公園の建設で、多くの来町者を迎えようと言うのに、「避難道」が新設されなく、既存の道路を利用しての非常時の非難体制だと言う。
首長は800名もの町民を失い、多くの観光客を迎えようとした時に、津波対策の無い町づくりに、南三陸町の悲劇は「起こるべきして起こった!」と再確認した。一日も早く新しい町のリーダーの誕生を期待する。

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町民の町民による町の再生を


今議会の締めくくりの発言です。

平成30年度の予算に対し、反対の立場で討論致します。
 2011年3月11日以前の町の政策に、財政難と職員削減の取り組みに、「管理委託制度」へ大きく舵を切った事を今も記憶しています。佐藤町政となり、町の公的施設を民間に事業所委託し、町民が中心となり、町民が働く場が喪失となったと私は感じました。
 そしてその時から7年目を迎えました。東日本大震災から人口が4000人も減少し、役場職員・病院職員の町の勤務体制を主体とし、公的施設の管理委託事業が加速し、働き手の減少より、民間の町内外の事業所があたるようになり、町民の活躍できる場を失いました。被災住民が再建途上の中で、町づくりの人用政策は、町民よりも定住・移住者の雇用の拡大が見え、町の観光事業としての事業活動に、町外のボランティアなど外部の人材を活用し、補助金を使い「復興」「創生」と言う名のもとに、町民の活動の場が減少し、町の予算が拡大していると思います。
子育て・高齢者対策については、人口減少への取り組みは納得いきますが、町の既存の事業所再生や、若者を町へ戻し、町民の力の活用など、従前の町民の参加の町づくり欠ける、予算編成の見直しを求め反対いたします。

被災地「南三陸町」の職員改革を


ゆ職員改革(1)
◎震災後に亡くなった33人の職員補充や、新たな町づくりの中で町職員が辞めていると聴きます。
●補充職員の決定は妥当だったのか、厳しい採用競争なしの通常採用に準じない、震災後に雇用した職員の数は。また、経験の豊富な職員が退職しているとも聞きます。町の中でいったい何が起こっているのか。

◎その中には津波での、役場職員の妻が震災死となり、夫も職員不足の中で退職したと聞きます。そんな事実を町長は知っていますか。優秀な職員の辞職を思いとどめる事はできなかったのか。退職以後のケアは。
●し震災直後の狭い仮設庁舎での過剰なまでの業務指導があり、それは上司のパワハラ・モラハラが有ったと聴きますが、職員は退職し新たな職場で活躍しています。震災後の混乱での職員の苦悩を助ける立場の町長は、どのような対処を行いましたか。
※私は心のストレスから自死と成らないよう、居場所を変える事が最善策とおもいますが、職場の環境改善が町のトップの役目とも思います。
職員の状況を常に監視し、優秀な職員の流失を阻止するよう求めます。

職員改革(2)
◎役場・病院など各所にテレビで議会中継されているので、総ての職員の皆様に感謝と、これからもよろしくと申し上げます。
●派遣職員の方々が帰ってからの交流・活動事例の一部を、町長にお願いします。
●新庁舎が出来て役場職員の業務について、町民の声・悪い噂が上がっている事を町民から聴きます。町長の耳に入っている、その実状があれば対策をお聞かせ下さい。(職員間の不純な不適切な行動は確認していない。)
●職場の仕事の中で、若い職員に支障となる問題は発生していますか。
●最近の職員のミスもありましたが、今後の職場の風紀・秩序を乱す職員の行動・姿勢に懲罰を与える考えはないのか。
●南三陸町には以前から、職員間の恋愛問題のうわさも聞かれるが、恋愛に対し寛大な町長の行動・姿勢が影響している。と私は思っています。

職員改革(3)
●震災後に若い職員も数多く採用され、課長以下の先輩同僚は新人職員の模範となり、また不安を取り除くなどの見守りが必要と思うが。新採用職員への上司たちの指導は、どのように取り組んでいきますか。
●新人職員は同じ課の同僚の行動を観察し、日々仕事を覚えよう学び取ろうとしています。役場内に新人職員の不安となる問題はないのですか。
●1月に行政職員の自死があったと同僚議員が話していましたが、こんな事は起こってはいけないと思います。行政職員だからではなく、多くの町民が大災害を受け、家庭の生活環境が大きく変わり、ストレス・ウツ・絶望感など、こうした職員や町民のケアとして、町長はどんな対策を取って行きますか。

職員改革 特別(A)
◎震災後の職員の問題を取り上げる事、まして派遣職員の仕事ぶりを正すのは「タブー視」されているものがありますが、あえて質問します。
長野県の飯島町の高坂前町長宅を被災地支援の恩返しに立ち寄った折り、三重県の鳥羽市長と会う事ができました。一般町民となった私の手をにぎり「うちの職員がお世話になっています」と私の手を握り話しかけてくれました。
派遣職員の方は、被災地支援に役場で勤務されておりますが。自分の公務員としての力量と、緊急時の自分の町の立て直しに何が必要かを学ぶ機会でもあります。

南三陸町志津川の観光開発と保全


南三陸町志津川「保呂羽山」「保呂羽神社」の、文化的な遺跡・自然の景観の観光利用

保呂毛線と保呂羽山の自然観光利用を提案します。それは観光として自然遊歩道の保呂羽山の遺跡・文化の再開発の必要性です。それに伴い、保呂毛地区の住民の管理委託の意味合いの清掃があります。

●保呂毛地区から4kmの保呂羽山の麓に、県が整備した「正鵠の森」があります。本間知事時代に整備された公園です。公園の清掃は保呂毛地区民が担っています。前年度から地区の道路・公園清掃にあたり、町から活動謝金としての「10万円」が5万の半額になったと言います。これでは県整備の公園の環境の整備清掃はできないと地区民は言っています。当初は8万円への減額という話しでしたが、振り込みは一気に半額となったと言います。これは振り込み額のミスではないですか。元に戻す考えはないですか。

●トレッキングコース「オルレ」は唐桑観光協会が、「唐桑地区の雰囲気を味わって」と呼びかけています。町では被災地の復興と、防災学習としての観光客の受け入れとなっていますが、。南三陸町の霊峰「田束山」を初めとする、遺跡・神社などの文化遺跡の場でもある「保呂羽山」「保呂羽神社」の観光地開発を、今から一歩ずつ進める考えはないですか。
◎唐桑では地区の災害がある中で、自然環境「オルレ」で観光客の誘致を図っています。「唐桑観光ガイドの会」が同行し、案内で1500円に昼食代も含まれています。保呂毛地区も高齢化が進み、高齢者の働く場と生活費の確保の一部ともなります。まずは、地区の道路の整備は、町の「海・山・里」という町の魅力と、観光立町の原点としても、必要不可欠な環境整備です。早期の震災復旧としての道路の確認と必要性を調査し、石材店の借地期間が終わったら、「保呂毛線」の整備に着手を町長にお願いします。

3月定例会質問「保呂毛船の整備」


保呂毛線の整備(1)
保呂毛線の道路整備と観光振興

保呂羽山の観光振興の前に、保呂毛地区住民の生活道の状況を、町長に問いたいと思います。

◎登米志津川線から保呂毛線への入口の「保呂毛橋」が完成しました。橋から30mの場所にあった住宅が被災し、町が土地を買い上げ、町が石材店に借地として提供しています。
●9月議会で当時の議員がこの土地の事を質問したが、その内容と対応策は。
●新保呂毛橋からの道路の幅は6mでありますが、石材店の場所は3mの道幅となり地区民の交通の支障となっています。震災復旧工事は終わったと町は言いますが、この状況でなぜ終わったと言えるのか。お答えください。
●特別な道路の拡幅ではなく、震災で被災した土地を買い上げたその土地の、有効活用と私は思うが、町長の考えは。
●「南三陸町の石材店」とテレビでも放送している。昨年7月から1年間の借地契約を、「営業権」の主張をしないか、私は心配しています。

●保呂毛線の2軒の被災した家が道路の拡幅減少の支障となっています。

◎当該地の担当課の「管財課」に状況を聴きに行くと、石材店が適した用地として被災地・浸水域の場所を探し示し、現在の場所を管財課は借地として貸し出したと言います。課長は「配慮に欠けていたかも知れない。」と話してもいました。

●一年間の借地料はいくらですか。
●貸出終了時は6月にあたります。入谷横断1号線は8年以上も経過し、やっと今年度から整備に掛り、5年間で整備する大工事とは違い、土地は被災し場所、町で買い上げられたものです。早々に保呂毛線の道路の整備にあたる事はでるのではと思いますが。

●希望する会社に土地提供をしているものの、展示場の裏山も傾斜もきつく、がけ崩れも発生しています。その上の民家も危険な状況にあり、がけ崩れの修復も必要と思いますがどうですか。

◎う回路としての道路は、グリーンロード(農道)として整備されているが、保呂毛線だと農道入口までは450m位で、農道のう回路だと2km以上はあり、地区民の道路として利用量は少ない状況です。保呂毛線はガードレールも少なく、震災後も何件か支流の小川に車の落下もある危険な道路で、地区民の車の安全通行の確保として、町として整備の考えは。
●道路沿いにあった津波到達地点までの家々は流失し、地区民は土地をかさ上げし、山を削り住宅再建をしてはいるものの、地区を離れた人たちは、震災前の約55軒から10軒以上も減少しています。小さい地区であっても住民生活を守る上でも、地区を通る道路の整備は必要です。こういう観点からも町長は今後どう対策して行くのか。

◎子供達の通学バスも走っていると聞きます。グリーンロードからでないと集合場所には入れず、不便は地域となり、歴史・伝統などの地域文化の疲弊となります。町にはぜひ小さな地区でも守って行く義務を感じます。まだ、多額の責用も必要としない、保呂毛地区の「保呂毛線」復旧工事を一日も早く次年度に繰り込む事をお願いします。


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Author:千葉のぶたか

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