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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

国も町も本気で被災者の実情を考えて


昨日のニュースで「震災復興住宅」を、これからの「終の棲家」と決め、仮設から移転し故郷の町の帰った人達に、またの不安が広がっている。
入居から3年で「収入超過者」に対して、家賃が高額の3倍から5倍となるケースが紹介されていた。被災者への救済対策での「安価」での住宅の入居は国の一時的な処置だった。入居時には収入超過による家賃を値上げ知らせず、上がる事は理解しているがこんなにも高額となる事は、説明を受けなかったと言う。ある家庭は入居時「52000円」だった物が、3年後からは「128000円」になると言う。もう一人の方は4万円から18万円にも家賃の高騰で、災害公営住宅から出る事を考えていると話す。
地元新聞でも、大震災後に被災者に向けた最大5年間適用される、「雑損控除」が終了し、震災公営住宅の家賃が、平均的ケースで2倍以上となると言う。

震災後に地元民も「7.8万円」の家賃の支払いに対し、家を建てた方が将来への財産として残ると、隣市に家を建築した。震災から6年目の災害公営住宅の入居、土地整備での住宅建設に3年から6年の月日の経過などを考えても、国県そして町の被災者救済には、多くの改善を要する部分が多い。収入のある人は町を離れ、低所得者の町への加速は今後も続きそうだ。
震災から6年、住宅建設・公営住宅への入居から5年で、現在は税金の被災者控除はあるものの、被災町民の生活はこれからが正念場となる。
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新庁舎建設の両議会の決定を無効に


●遠藤前副町長が合併時の「着工」は、町の判断は「検討」の意味だと言う。誰がこれを信じるだろうか。
27年10月1日で旧志津川町と旧歌津町の合併が10年を迎える。歌津議会の合併時には「新庁舎建設」を両町の中央にと言う事で合併へと進んだ。2年以内に建設工事着手が盛り込まれ、合併協議会で合意を得た。しかし、合併後に町民の検討委員会が設置され、建設費やアンケートから「基盤整備を優先すべき」の結論に至った。
両町の議会の「2年以内に新庁舎着手」を文言に盛り込んでいる中で、「着手」の解釈で新町庁舎建設は実現しなかった。素人考えで「着手」は工事開始と一年以内に完成と捉え、3年後に当初の移転の中間から商工団地内で両議会の合意で、合併予定から半年伸びての新庁舎建設合意を見て合併に至った。計画通り進めばギリギリに大震災前に新たな町の拠点が出来ていたかもしれない。住民減少の中で自治体の被災建物に、復興交付金が使われ財政負担も軽減され庁舎が建設となる。佐藤町長の実績ではなく国の制度での再建事業と町民は理解して欲しい。
新庁舎建設の決定権は新町長にあり、両町で決定した事項を順守しなかった事から、今回の大震災での多くの死者と、被災町民の住宅確保の町づくりの計画に問題があり、合併の合意の中央付近に新庁舎の高台建設が実現しなかった事により町は「消滅都市」と近づいた。
(つづく)
串本への議会総務委員会調査があり、津波の発生が想定される中で、串本町は「消防署」「町民住居」の移転が実施され整備されていた。
志津川・歌津両町議会の合意を現町長が高台への新庁舎建設を実現していたら、南三陸町の人的被害は軽減され、震災下での行政活動も混乱とならなかった。済んだ事と片付けるのではなく、当時の町の行政運営の体質が、これまでの津波被害に対し、本気で取り組む姿勢に大きく欠けていた。
町の合併の執行部の中心だった当時旧志津川町総務課長の遠藤健治氏は、「着工」は「検討」と言う事だと言う。町民誰しもは新庁舎が建設されるものと思っていただろう。その後で副町長となり、現町長とのしがらみの中で「双方に認識の違いがあった」との、振り返る言葉に現町長への擁護としか思えない。
これまでも町政の中で「意見公募」でも14%の住民の回答に、6割の住民の「県有化賛成」を民意と、自分の都合の良い解釈や、戸倉の土地取得の経緯と産業廃棄物の県への処理委託など、「臭いものにふた」をした政策行動は、町民の為と言い自己保身としか私は取れない。今後も自分勝手な言い分は町に多くの損害を与える。
もし、商工団地付近に本庁舎建設となっていれば、今進む志津川地区の高台移転の状況と同じで、新庁舎の周りには商店が出き、住民も新たに高台への津波対策と家を建て、自然の成り行きは自然人口減だけで済んだかもしれない。合併の最大の「新庁舎建設」を怠った事が、今の現状を生んだと言っても過言ではない。

平成の森内に歌津総合支所の建設にも歌津地区民の不満がある。公民館と保険センターの併設も同じ場所となり、29年4月に完成となる。商工団地内の新病院の隣りに本庁舎が29年10月に供用開始となる。
≪平成29年10月29日記≫

教育長は南三陸町出身者を


3期の町議会議員から、旧町1期・新町「南三陸町」町長を3期、今回の選挙で更に1期の4年の町の舵取りで、町長として19年間する事となった。
「あの町長で無かったら、この町のここまでの再建はできなかった。」と先輩は言う。悔しいが私もそう思う。しかし、多くの疑問があり闇の部分を感じる。教員長人事がそれある。

新し好きの佐藤町長、佐藤町長の初仕事の一つに、「教育長公募」があった。町のPTA連合会の高い位置に着き、町外の教育者やPTA関係者の繋がりもあり、公募前から決まっていたかのように、仙台市教員委員会の所属する校長を登用した。片桐氏がその人である。「自分の言いなりになる教員長」の確保の、政治戦略があった。教育委員会へのパイプを確かな物とする、教育長の人事はこれまで行政が深く関与する部署ではなかった気がする。歴代の教員長は、自分の新年で町の教育を考え、政治的な繋がりを断ち教員者として、児童・生徒の教育の環境整備にのみ全力であたり、行政がそれを支援して行く体制で、「町教員委員会」があった。教育の場に政治の介入は望ましくなく、地元で教員現場のトップとして、教育の場に携わった校長・教頭経験者が、教育界の時代の流れの変化をキャッチし、後輩の校長や教員と連携し、学校教育の問題や対策にあたった方が適格だと思う。
町村合併から12年間の教育長の一人に、田生校長があり教員となり地元を渡り歩いた人で、南三陸町の事を判り、歴代の教育長の意をくむ人思っている。残念ながらその道半ばで津波で殉職した。純粋な地元出身の教育長は、政治活動をすることなく、これまで町民の教育者の代表として、町の為に尽力してきた。教育機関は行政の長とは一線を隠し、町の為に両輪としての機関として、教育現場を第一に考え、時には町長への異論を申し上げて来た。現在は全てとは言わないが、町長が任命する教育長は、町外出身者が全てで、優秀な地元の校長出身者を教育長として登用しないのは不思議である。自分の思うように教育機関と学校PTAを自分の支持者として、教育を政治に取り込む、あってはいけない町づくりをしている。誰も独裁的な行動に「鈴を付ける!」事無く、お仲間政治が今もこの町に存在する事は、町にとっての新しい町づくりの障害であり、良き町の教区者としての人材の活用の場を失わせ、教育関係者の育成にも影響を与えている。

こないだ教育長として継続となった「佐藤教育長」は、岩手出身ながら南三陸町の教育の発展に尽力された。長年、南三陸町立志津川小学校校長として子供達の成長を見つめて来た。立派な良くできた人材と称賛したい。町の将来の教育者・教育委員会の発展の為にも、「もうイイでしょう!」と言いたい。次期の教育長は地元から採用を町長には懇願するものです。

歌津地区から南三陸町議会議長を


23日今日に「当選証書伝達」が議会三階である。無競争で当選した議員が初めて一同に会する。
来月には初めての議会で議員が招集されると言う。顔合わせと委員会の委員を決定するのだろうか。
私は8年前の議会から落選しての8年間、そしてその前の4年間は戸倉地区の議員が議長を続けている。後藤議長・佐藤議長で、佐藤議長は津波で殉職した。その後、後藤議員が再選され、私が落選した後の議長は星議長だった。12年間も戸倉地区の議員が議長というのは、異常と私は思っている。

その他にも入谷地区には4人・歌津地区には5人、志津川には2人の議員がいる。戸倉地区はこれまでも5人と多いにしても、合併した「旧歌津町」の議員さんが、議長になった事は無く、ぜひ歌津地区からと念願している。

私は絶対町長派でない議長を選びたい。裏でうごめく「野望」などは、私の知らない所でこれまでもあった。騙されないよう「清き一票」を、南三陸町議会議長選を投じたい。

合併して12年にして、初めての議長が歌津地区選出の議員になって頂きたい。

さとうみわ氏に学ぶ


「8番」の空白は「千葉のぶたか」です。初日17日の告示日に、志津川地区からポスターを貼り始め、戸倉・入谷・歌津地区の、志津川寄りを貼り終えのが、午後4時半となった。残った地区の掲示板の位置が暗くて判らず、選挙の一日を終了した。勿論、戦車も出せずしまいだった
「無競争」が選挙説明会から囁かれたのが9月28日、そして、10月17日の告示の午後5時がタイムリミットだった。自分にとって邪魔者は町政から「排除する。」が佐藤仁町政の政治戦略だった。
8年前に初めて町議選の立候は、町政の私物化と弱い者いじめの町長派の、町づくりに怒りを覚え立候補した。町民に取っては記憶にもないだろうが、私は決して忘れない。12年前に出身は外国で日本人と結婚し、南三陸町に住んでいた「さとうみわ氏」がいた。小学校での子供への「いじめ」があり、PTAの取り組みに対する反発行動が、佐藤町長へのリコールへの動きだった。行政の町民の行動への不親切な対応を聴かされた。こんな一人の反旗を゜良しとしない」「聞き入れない」、佐藤町政となっていた。
「阿部ひろゆき氏」には、奥様もいて全国のボランティアもいる。私は美和氏の意を継ぎ佐藤仁町政への戦いは当選しての4年間と、落選しての4年間、そしてこれからの4年間となる。

子供の為に戦った「さとうみわ氏」、一人で戦った彼女の行動は、ジャンヌダルク以上の政治行動と讃えたい。今回はこんな彼女の姿に学んだ。私の周囲に迷惑を掛けないように選挙活動をしたが、私の知人・友人、周囲の人たちは私の行動に理解と、蔭ながら支援をしてくれた。
みわ氏の意見に教育改革と志津川小学校の通学路の整備があり、駅前から新井田に抜ける町道整備だった。もしこれが実現していたら、3.11の大震災でも新井田地区の多くの人が助かった。佐藤町政の「直感」「先を読む力」の欠如で、たくさんの南三陸町民が亡くなったし、居なくなった。彼女もこの嫌いな町を離れた。一人の女性に学んだ南三陸町の実態だった。

希望は地元の若き町のリーダーの誕生


町外の人間の首長を私は求めてはいない。長く町に根差し生きて来た、「地の利」と「悪しき慣習」など、良きも悪きも知っている町民が、町長に就く事が望ましい。
町政の私物化を実践しての15年間の町政、またの継続はあってはならない。これまでの悪しき政治の実態を、議会で私は問い戦う。仲間も周囲も「余り敵対視しないで」「ながい物には巻かれろ」「上手にやれ」など、行ってはくれるが、私は「不器用で」「バカ正直」な人間で、今更この生き方や考えを曲げる事はできなく、政治から離れれば、もう町政を語らないと肝に命じ、今回の選挙に臨んだ。

昨夜は4年間の議員としての不安が一気に現れ、眠れず夜を過ごした。身体的な不安、高齢の父を抱えての家庭生活、会社や住宅ローンなど、多くの不安が頭の中を駆け巡った。

佐藤仁町長の能力は私が一番知っている気がする。経営手腕・社交能力・発想力・容姿など、私は全てで足元にも寄らない。しかし、志津川が大好きで、静かに暮らせばそれでイイが、佐藤町長は違い、その「野望」「我欲」はまだまだ健在である。大震災で多くの利権・金との繋がりがあり、益々その欲望が増した。彼も大震災でおかしくなった人間だろう。その才能を町の為に、町民の為、震災復興に早期達成に尽力して欲しい。だが、「我欲」は生まれ持った物、決っして身を改めるには、この町の現実を、将来の姿を思い思考の変換が必要だ。65歳になった人間には難しい決断となるだろう。

発展期は若き世代での取り組みを!


南三陸町の全国から義援金の出入り使途に関し、本当の義援金がいくらなのかは行政の一部の人間しか判らないのだろう。まさしく「ブラックボックス」で、透明性を欠き、その一部の人間だけで管理しても、町長以下の人間達も信頼できず、大きなお金が誰かの懐に入っても、町民の代表の議会議員も判らないなら、町民は誰も知らないだろう。こんな震災の復興途上で問題がある。政府と同じく「闇の中の政治」と同じだ。

国政は自公で過半数から、憲法改正の数にまで及びそうと言う。萩生田氏の選挙区も「希望の党」からの候補は、小池氏の側近の父で、地方の市議会議員から、娘の為、国も為にと国政に出た。小池氏の民進党の参加の仕分けでの、一つの言葉から形成が逆転しつつある。内閣府の萩生田氏の国会答弁の「虚偽?」かは、微妙ながら、総理の森友・加計問題も、国民は「もうイイ!」との考えに変わったか、あの国会の議論の不信感は「風化」しつつある。人間とは優しさと忘れやすい動物だと言う事がここからも判る。
小泉進次郎氏の演説の力と、学ぶべき視点で、多くの国民が安倍問題を忘れさせ、自民党は以前の勢力を維持しそうだ。与野党の数の拮抗・接戦は、国会に緊張感を生むのに、情けない結果に成りそうだ。

南三陸町議会は与野党の構図が対等となり、緊張感のある議会となりそうだ。

新しい風で町民を目覚めさせて


町長選が現職し新人の一騎打ちとなった。
新人の阿部氏の「人が代われば地域が変わる!」は町長選のアピールとしては弱い。公約を見ると「公平な情報開示」は判るが、「見える化」は現職も進めている政策だ。しかし、見える化は、高齢者の為にインターネットでの公開から、紙ベースの見える化は、自社に「水を引く」事の政策と私は感じる。
「再び誇れる町にします。」も余りにも力の弱い政策表示と思う。現職は「みなさんと共に」と、町民と一丸となってと言うが、決して一枚岩とはならない。何故なら15年間の合併から震災復興での、長期政権の不満も一部にあり、町民の反発が大きく渦巻く中で、町民以外の出場は弱いが、「危機感」を感じているのは現職だろう。

しかし、百選練磨の現職の力と、支持者はどんな方法を使っても当選を目指す。当然の事ながら有権者はこれまでの政治政策と活動を、人の言葉に流される事無く、真剣に投票行動をとって欲しい。家族の子や孫の為にも、将来を見植えた一票を投じて欲しいと思っている。

佐藤仁町長は間違いなく強いし当選する、勝つ事は決まっている。
町政への提案と政治姿勢の改変を求める、阿部候補の立候補の英断に拍手と支援をしていきたい。


南三陸町の政治情勢は
「南三陸町のみなさんと共(tomo)に!→検索」

9月28日の「立候補説明会」に出席の議員陣営
【現職】
*三浦清人*小野寺久幸*高橋謙次*及川ゆき子*菅原辰雄*山内孝樹*山内昇一
*西條栄福*佐藤宣明*後藤伸太郎*星喜美男*後藤清喜*佐藤正明*村岡賢一
(14人)
【元職】
*千葉伸孝(1人)
【新人】
*佐藤雄一*倉橋誠司*須藤清孝(3人)

有権者 1万1565人

1014.10.27 (前回)
有権者 1万2300人 ・佐藤 仁 5308人
          ・小野寺寛 4221人 


・町長選は現職「佐藤仁」と新人「阿部寛行」の一気打となった。

・議員選は予備審査には、現職10人と元職1人と新人3人が、受付を済ませ現職の二人が予備審査を受けなかった。その後一人が審査を受け、もう一人はまだだというが、一昨日に戦車の制作をしていたので、告示日に提出をする可能性が大である。結果的には立候補説明会に来た現職3人は勇退するらしい。現在は予備審査で一人欠ながら、「無競争ならと」現職の出馬もありえる。選挙はあった方が良い。そうした立候補者の本気度を探る為の、改革派の議員の戦略かも知れない。
結果的には告示の17日の午後5時まで、議員選も流動的である。

3.南三陸町本庁舎の10月新設は時期尚早


佐藤町政の町づくりの検証
3.南三陸町本庁舎の10月新設は時期尚早
東日本大震災から6年10か月余りの中で、造成地の完成の計画が遅かったと言う現状で、ハウスメーカーの建設順番があり、未だに住宅建設が終わっていない住民も多く、終の棲家の確保もままならないのに、本庁舎建設は早いと思う。住宅再建を全て見届けてからでも遅くない。
宮城県内の被災地の自治体の中で「一番先」は、合併の「合併交付金」の建設は、合併自治体の二つの町の経費削減からも、いの一番に新町の誕生の事業として実施しなくてはいけなかった。それなのに多くの復興交付金の国費の投入の中で、早々に「新庁舎建設」へと進めた佐藤町長の政策は、自己アピールそのものだ。
10月の選挙に合わせたかのような、「町の再建に頑張っている町長」とアピールしている、自分勝ってな庁舎建設決定の時期だと思う。無駄を無くし住民生活をもっと楽にするとは「二の次」といった気がしてならない。
一部の商業・水産業の店主の再建の事業資金の、国庫事業の被災地再建の情報を、町民の住宅再建の補助事業よりも、考慮に入れは個人仲間の政治政策に終始しているように感じる。
水産業の再生・再建は町の復興には欠かせなく急務を要するが、町の中堅企業への支援対策ばかりに見える。大森地区の水産業の施設整備には、27億の国費を利用し、工場の3カ所目の整備は、これまでの第一・第二工場の再建があってのことだ。これもまた国費である。全てが補助金ではないと思うが、町は震災復興の制度を商工会の仲間に周知している。南三陸町の商店は半減した理由に、町が被災した商店への支援・助言が無かったが、ある気がする。
南三陸診療所・仮南三陸町役場は、ともに3億ずつの赤十字からの支援によるもので、これをどうするのだろうか、無駄な経費の活用と私は思う。現在は水道事業所として活用はしているのもの、公的施設は今後復興交付金で建設される。町民は生活費を節約し最低限の暮らしを続けているのに、行政の交付金による「箱物増設」には疑問ばかりが多い。
自分本意の町づくりと、それを容認する議会の現在の体制に異論をぶつけたい。

町外の人間に町政を任せて


町長・議員候補には、震災後に南三陸町にボランティアや、この町で働き復興に貢献したいとの、町外の人間が「今の状況はおかしい?」と、町の中枢への参画をしようとしている。「議員は何もしない。」「町長は…」と言うだけで、「自分が何とかしたい」との郷土愛を示す人材が出てこない事にがっかりで、南三陸町の「将来が危うい」と思っているのは私だけだろう。
「無競争だから」「定員に達しないなら出る」など、町議会議員の地位が軽い物となりつつある。町長の勢力の維持に、自分の友達からの両立や、町長自身が議会議員選挙に手を突っ込む、政治家なら当然と言うが、「南三陸町は被災地の真ん中である。」と私は感じる。首長が進めやすい「政(まつりごと)」は、議論が少なく、自分がやりたいように進めたい「町づくり」が、今後にまた「想定外な事態」「被災地だから」と言い訳に終始するだろう。責任を取れない首長の町は、明るい未来を創造できるかと思い、町外の人間に「良き故郷の再建」を任せていいのかとも考える。しかし、町長派はもういらない、町外からの優秀な人材に、町の未来を賭ける事も、一時的な一つの手段でもある。

李下に冠を正さず2


≪李下に冠を正さず2≫
過剰な印刷物の発注は必要なのか。南三陸病院の赤字経営は今も続き、今後も毎月3千万もの町の負担は、高齢者の拡大に財政の枯渇に繋がる。病院の経営改善と新たな町の体制が求められる。経費を削減して住民の環境・介護の整備に支援に回すべきと私は思う。商店街への過剰な支援も、個人事業所の努力に委ね、経営が厳しい商店主への、資金援助・販売拡大への協力への、町の取り組みをしたらどうだろう。

総理・町長が「李下に冠を正さずむとは口で言っても、今後も続ける事が目に見えている。一強独裁政治が成せる「技」である。
国政では「希望の党」「立憲民主党」の新党の設立により、自公の保守一強が崩れると予想する。過半数の「233」を総理は言うが、総理継続でこれまでのアベノミクスの継続と、森友・加計問題の発覚を抑えるための、選挙で大敗してもその場に君臨しようとする策略が見える。
「10.12現在の選挙情報では、自民党は300議席を伺う勢いです」
南三陸町町政も新人3人の立候補は、町長と商工会・観光協会への不信感がある。与野党の構図は接近し、多くの議論が出来る環境が整いつつある。町長の議員取り込みに応じる議員がいると、現職の野党議員が居る。1人また一人と新らしい。「誰の為の議員」なのかを忘れた利己主義の行動と私は感じる。
「10.11町長選の対抗馬の記者会見があり選挙となる」
(おわり)

さあ、南三陸町の町長選挙が始まる


南三陸町長選挙が現実のものと物となった。
NPOの南三陸町歌津で活動している「阿部寛行」氏の記者会見があった。ハマーレ歌津の隣りの選挙事務所で午後2時から開催された。カメラが5台と記者5人から矢継ぎ早に質問が飛んだ。
スローガンは「人が代われば地域が変わる」
      「日本一の『共助』の町を一緒につくりましょう!」だった。
南三陸町の佐藤仁町政からの脱却で、新しい町づくりを!
選挙の裏でのいつもの動きを警察の選挙違反対策本部の厳しい目で監視をお願いしたい。

李下に冠を正さず「1」


≪李下に冠を正さず≫
昨日の党首討論で安倍総理から、この言葉が発せられた。これは森友・加計問題に対し、「自分の行動は疑われる事が在ってはいけない。」との意味と私はとっている。その上で自分は潔白だと言う。
国政でもこの言葉を引用し、南三陸町議会でも佐藤町長は議会の答弁で、この言葉を使い自社の「兼業禁止」の質問に答えた。首長・議員が代表を務める会社との取引は禁止され、売り上げの4割を越えてはいけない。この問題で佐藤町長は会社社長を辞め会長となった。
私も印刷会社の専務として町の印刷業を受注しているが、社長が実質の代表で「兼業禁止」には当たらないが、現在は行政の仕事に依存している。だいたい4割に近い位となっている。事業所が減少し、震災での4か月の休業で、大きな仕事先の農協と漁協と多くのお得意様を無くした。そんな中で行政の仕事は確実で、安定経営には欠かせない。しかし、「カラー化」の流れの中で、入札のカラーの仕事で受注は厳しい。現在は利益を減らしても、デザイン・仕上げを自社で、印刷は「4色機」を持つ中元の印刷会社に外注し、何とか経営を続けている。
震災後は印刷物の増加とカラー化が我が町では進んでいる。登米市・気仙沼市の印刷経費費と比べても突出している。現在は2社の見積の中で行政の仕事が、入札価格で落札されている。我が社も後継者が無く、10年の近い将来は廃業するだろう。その時には町外の印刷会社との見積競争は、町長の会社一社では厳しい争いと思う。この問題で二人の議員さんが我が社を訪れた。「色々あるけど何とか業務はやっています。」と答えた事を思い出す。
(つづく)

千葉のぶたか選挙事務所開設


今日はたった一人の事務所を開設し、「千葉のぶたか連絡所」の立て看板を立てた。スローガンは「佐藤町政の町づくり継続反対!」だ。これに異論のある方は、是非私に異論をぶつけて欲しいです。
前議員選挙で落選し、町の為に町民の為にもう一度、チャンスが欲しい。その四年間には、支援活動と震災復興の情報発信を続けてきた。
町の議会選挙の「無競争」は近隣の市町でない。これを異常と言わずにはいられない。「無競争なら出馬する!」こんな考えで、町民の為に何ができるだろうか。自分の公約(マニフェスト)を示し、議会で何をしたいのかを町民に伝えるべきだ。町の選挙公報が出るので、その内容を早く見てみたい。

選挙の書類の予備審査終わったのに、未だに流動的な町長・議員選挙に異常さを感じる。町長候補の阿部氏や、議員候補も14人で立候補の可能性が二人ある。無競争で1人の欠員なら、立候補を控えていた現職が立候補をすると言う、そんな情報に議会議員の候補者の町政へのやる気が疑問だ。立候補をし選挙で意見をぶつけ合う、それが選挙と言う物なのに、我が町の異常なまでの政治行動に、町の再建を危ぶむ姿があり、町の将来を任せるには頼りない議会体質を嘆かずにはいられない。

佐藤町長のあやまち

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初当選の佐藤町長の新しい取り組みは、町への「新風」と町民に新しい町政をアピールするかに見えた。「公募による教員長の登用」はその取り組みの初手だった。しかし、南三陸町でのPTA連合会の役員として、県内の校長やPTA役員との繋がりを持った。仙台からの「片桐氏ありき!」の公募は、町内の方も公募に挑戦したが落選となった。
商工会・志津川地区の学校PTAの大きな指示を受け、佐藤町長は過去の教育長や教員関係者からの支持が薄く、自分のやりたい町の政治を行うには、この部分がネックといっても過言は無かった。佐藤教育長から、阿部・勝倉教育長と、これまでは教育関係者に町の学校教育を、2期前までは町の教校長出身者が教員長に就任し、地域の子供や親との係わりから町の状況を知る人があたり教育委員会を守ってきた。それが町の子供や地元の学校を卒業した親たちを何も知らない人を機用した。過去の良き伝統に逆らい、自分のやりたいように、町の教育に対して深く関わり、自分の支持者をPTA役員に起用に、この時点から「佐藤町政大国」を築く活動が始まった。町長就任から3人の教育長野全てが町外出身者の起用は、実に不思議な現実である。

千葉のぶたかのマニフェスト


合併・復興の佐藤町長の検証
.1.両議会の新町合併時の約束「新庁舎建設」の不履行
旧南三陸町と旧歌津町の「平成の合併」は、両町の議会にとっては、当時に両町議員の重なる議論により、15年前に合併が実現した。
その議論の中で合併から2年後以内に、両町の間に「新庁舎」を建設すると言う、互いの協議が締結した。しかし、佐藤町長は町民の「新庁舎建設審議会」? なるものを設置し、再度の建設の議論を町民にまかせた。その当時の委員には津波で亡くなった社長や、両町の商店主などが参加していた。
元志津川商工会会長として、その影響力は大である。だが、両町の議会で決定した議案を無効にする、最終的な首長の判断は「新町の私物化」、そのものである。
この議会の決定が履行されていたから、現在の庁舎があった「沼田地区」で、大震災の津波から多くの職員「43名」の死と、町民の800名余りの犠牲者とはならなかった。一人でも多くの震災死を防げたのに、「想定外の大津波」での説明には、私は納得などできず、多くの町民にも怒りと疑問の声がある。自身が議会決定を無視した事への謝罪は今も無い。

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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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