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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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長野県飯島町の宮沢さんありがとうございます


長野県飯島町の宮澤さん・竹澤さん、じゃがいもの物資配布に集合住宅の30名以上の住民の皆さんが集まって頂き、喜んでくれました。南三陸町の被災者の方で、被災して初めて物資貰いましたなど、皆さんから感謝されました。本当に被災7年目にもなるのに感謝いまします。住民の皆さんに変わり御礼を申し上げます。
午後1時半からの配布でしたが、1時には待っている方もあり、時間を待たず配布終了となりました。今も電話で「配布は」と連絡が入りました。丁寧にお詫びしました。また、物資来た時に配布を致しますと伝えました。貰う人達の笑顔に、私も幸せな気持ちになりました。
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我が社にはデザイン・印刷・製本の総合印刷


橋本神戸市議が、嘘を嘘で解決しようとした結果、議員辞職を今日にも提出する。今井参議院議員との新幹線での恋人繋ぎ爆睡を激写され、「一線を越えていない。」と互いの説明の中で、収束に向かうはずと橋本議員は思っていただろう。橋本の説明は、妻との別居状態との嘘で始まり、今井との交際も事実としてあった。週刊誌の第二段の報道は「政務活動調査費」の不正授受へと、政治資金規正法違反の犯罪へと変わった。
政治家の「生活費」と揶揄される「政務活動調査費」の不正に印刷会社が関わっていた。デザイン会社と印刷会社での業務体形は、印刷業界では当然の形態としてある。デザインは技術と技能の部分で、印刷は高額な設備を整備しないと業務が成り立たない。もう一つと言えば「製本会社」の部分もある。印刷業界は機械設備の大変さから、分業へと業態改変が進んでいる。
議員として多くの会社社長との交流があり、議員活動で地元の事業所支援として、印刷などの仕事をしてもらうがある。橋本は頼んでいない物を頼んでいた事とし、A社とB社を使い分け、頼んでいないものを頼んだ事として、領収書を貰っていた。領収書の偽造と言う嘘がここにあり、メディア対策としての「問答」をメールでA社社長に送った、A社の顧問弁護士の指導により、「もう嘘はつけない」と、橋本に弁護士がその旨を伝えた。B社の社長は「架空印刷ではない」と今も言い続けている。デザイン会社の原稿を印刷会社で刷るという業務なのに、片方はしていない、片方は「印刷した」は無理があり、これも嘘と理解できる。
これが政務活動調査費の不正授受の新相だろう。気仙沼市の政活費は月1万円で、4割が県外への視察費となっていた。年12万の調査費はネットで公開され、透明性を担保している。

印刷会社と議員には常々こうした癒着の疑惑がある。印刷会社の代表だった方が首長で、その会社に半分の議員が仕事を発注している。領収書の書き方で「贈収賄」とならないか。政治協力する代わりの代賞を? これが成立したら癒着となっていないかと感じる。大がかりな悪の体質が首長と議員の間に印刷会社が存在している。私がここに関わっていたら、仕事はいらない。こんなまじめすぎる考えが経営者として合わないのかもしれない。

南三陸町の悪しき慣習からの脱却


10月22日の投票に向け、選挙の事前運動が始まっている。
「お金を受け取る」「お金による投票指示を得る」など、贈収賄は選挙違反で罰せられます。素晴らしい活動の議員・候補者は当選します。
警察の「選挙違反対策本部」も間もなく、開設されます。新しい町づくりは汚い選挙違反行為からは、良き住みよい町の再建は出来ない。

合併から10年が過ぎ、何が変わり何が町を駄目にしたか、皆さんと考えましょう。【1】

27年10月1日で旧志津川町と旧歌津町の合併が10年を迎える。歌津議会の合併時には「新庁舎建設」を両町の中央にと言う事で合併へと進んだ。2年以内に建設工事着手が盛り込まれ、合併協議会で合意を得た。しかし、合併後に町民の検討委員会が設置され、建設費やアンケートから「基盤整備を優先すべき」の結論に至った。
両町の議会の「2年以内に新庁舎着手」を文言に盛り込んでいる中で、「着手」の解釈で新町庁舎建設は実現しなかった。素人考えで「着手」は工事開始と一年以内に完成と捉え、3年後に当初の移転の中間から商工団地内で両議会の合意で、合併予定から半年伸びての新庁舎建設合意を見て合併に至った。計画通り進めばギリギリに大震災前に新たな町の拠点が出来ていたかもしれない。住民減少の中で自治体の被災建物に、復興交付金が使われ財政負担も軽減され庁舎が建設となる。佐藤町長の実績ではなく国の制度での再建事業と町民は理解して欲しい。
新庁舎建設の決定権は新町長にあり、両町で決定した事項を順守しなかった事から、今回の大震災での多くの死者と、被災町民の住宅確保の町づくりの計画に問題があり、合併の合意の中央付近に新庁舎の高台建設が実現しなかった事により町は「消滅都市」と近づいた。

公平公正な議会制民主主義は何処へ

8.20政治
議員も無競争と言うが、巷では町にある団体を職員の反発で退職した人間を、議会に入れる事の工作が裏で進めている気がする。そんな政治の議会までぎゅうじる政治姿勢は、議会の「行政の審査期間」「町民代表を利用」などを歪める、民主主義への冒涜である。
議員定数問題も与党と言う議員は、総てが現状維持ながら、野党の議員も「立場保身」への行動は現状維持とした。16人の内の議長・副議長を除く14人の採決では、10対4で「現状維持」と採択された。一番若い議員と最高齢の議員、元職員の唯一の女性と、前回の選挙で公約に定数削減を訴えた前回の議長で、この採決でも町長派の力の維持の為に「現状維持」になった。何年まで佐藤町政が続くのか。

こんな南三陸町の政治の姿です。地元新聞は、町長・議員とも選挙は、2か月前の時点で「無競争の公算」と分析していた。町民の生活・環境再建よりも、政権の維持が一番と言った形を、そのお仲間も全力で「佐藤町長指示」で、同等に政治工作に加担している。何故ならそこには「甘い蜜」があるからだろう。

9月4日? 開庁は速すぎ。


まだ町民の住宅再建が全て終わっていないのに、南三陸町の本庁舎建設開所は、早いと私は感じるが、皆さんはどうですか?

安倍総理の度々のテレビでの記者会見や、世間への挨拶は自民の支持率アップと、自分アピールの政治活動でしかない。「親切」「丁寧」「説明する」、こんなフレーズを国民は誰も信じていない。それでも「親切・丁寧に!」と話す。彼こそがメディア政治戦略である。もうあきあきだ!
以前の民主党政治を「景気回復がなったか!」と常々、国会で総理は野党を非難する。東日本大震災での対応のまずさは否めない。現在進めるアベノミクスの三本の矢は、日銀の過剰なまでの金融機関への投入と、大震災での設備整備資金の増加と、厚生年金の強制加入があり、被災地の復興に建設関係の需要で「求人率」の2倍となっている要因は、震災復興と自然災害の頻発する状が、総理の言う景気のアップを生んでいる。年金の投資への繰り入れで「約30兆」の増収となっていると胸を張り豪語する。株高・為替相場は水物であり、高収入と源減は相互関係で、上がれば下がる。為替機関のやり取りで大きく財源高が変動する。だぶついた資金の投入が好景気を作り、そのしわ寄せが必ず国民に返ってくる。

昨日も「おらほの政治は、国政と似ている!」と話す人が来た。私も同感ながら、厳しい批判は国政と同じ「一強政権」の為で、議会の体制も「与党が8割を占め」、正に国政と同じだ、大企業やお金持ちが潤い、生活弱者・高齢者の救済にお金が回っていない。国政も社会保障や医療費の拡大など、高齢者への対策は、将来に多くの不安を描かされる。

今年10月22日の県知事選、南三陸町の町長・議会選挙も、無競争との世間の噂が広がる。「無競争なら出る。」。誰の為の町民の代表なのだろう。若い議員に将来を託す動きもあると言う。「だまされるな!」、大きな勢力に利用されるなと言いたい。若い町のリーダーも、現職の生きの掛かった人間が多く、その「根回し力」を全町民の為の政治に発揮して欲しいものだ。あり得ない政治が、被災地に起こっている。国民の血税の適正利用を、国の監査で調べる事も必要な時期に来ている。弁護士も警察も、腫物には触らない気がする。日本はこのままだと本当に腐ってしまう。

千葉印刷企画第一弾


遊び心で、こんな事を企画してみました。
興味のある方は遊びに来て下さい。
何か変わった事もして行きたいです。
(こいつ、「よくやるよ」、とよく言われます。周りは無関心みたいですが。)

町民を代弁して「ありがとう!」


ウジさんの大前身の登米市「こがね町店」があった頃、母の妹の嫁ぎ先の義理のお姉さんであり、父の剣道の仲間として「氏家家」との繋がりが我が家に会った。
先代の社長さんは剣道の県下でも有名な方で、「昇段審査」の審査委員長して、今から20年前に、私が三段に挑戦した時に御世話にもなった。

震災後も私の全ての家・会社が流された時、米川の叔母さんは、倉庫で暮らす私の家族の為にと、多くの食べ物を持って来てくれた。

町民がウジエスーパーの早期開店の活動には、町民の皆さんと一緒に署名活動も行い、今年の7月20日の記念すべきオープンを迎えた。もう少し早く開店が出来たのではと私は思っている。震災後の早々の開店も、行政の理解があれば、入谷地区に仮設のウジエも開設できたと思う。

そうした多くの係わりから、小さいがお祝いと感謝の「胡蝶蘭」を送り、店長さんが快くこの気持ちを受け入れてくれた。
これでウジエさんとの一つの節目の活動を終えたい。これからは出店にあたり、少しでも購買の支援をしていきたい。

父と懐かしい人たちに会い手を取り会った


今日は長野からのジャガイモを、災害公営住宅に持って行き、欲しい方に配る。どんな状況になるのか不安もある。知人が「まだ物資あるんだ。」と言い、いま多く出回る「ジャガイモなんて」と言われるかも知れない。アリーナ向かいの災害公営住宅の人の話では「喜びますよ。」と、力になる言葉も頂いた。
「人が集まってくれるかな?」の不安は、9月入居の「南三陸町役場」のとなりの志津川東区「災害公営住宅」は、ジャガイモ配布の午後1時半を前に、会場としたA・B棟の間の駐車場には、既に10名が待っていて、3袋のじゃがいもは全て1時半にはなくなり、会社に戻り3袋を再度持って来た。2時には6袋が全て無くなった。
災害公営住宅の皆さんにも喜んでもらい、父も本浜・大森など昔の志津川の人達との会話を楽しんでいた。本当に支援の受け皿で、自分も幸せな気持ちにさせて頂いた。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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