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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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6回目の3・11


町から明かりが消え、満点の星が町を照らした。そんな真夜中、多くの町民が家の下敷きとなり、津波に押しつぶされ、津波の引き波で海底奥深志まで流されて消え、今は海の貝や魚と海の生物に変わったしまった。
真夜中にカーナビのワンセグやラジオで東日本大震災の猛威に目をやり、「1万人以上の町民が死んだ。」と、眼下の光景から感じた。明治・大正・昭和と大津波を経験している津波の町、津波防災には町上げて取り組んできた。しかし、今回の16m以上の津波には、5.4mの防潮堤も何の役にも立たなかった。海から1~2k離れた場所での死亡者が多かったことには、「まさかここまでは!」と人々の油断が、尊い人命を失う事となった。
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山からの煙は天王前にあった自動車会社の車から出火し、山にも燃え移り避難場所となった「ベイサイドアリーナ」まで、その火の手が迫っていた。志津川地区は川の両側の、土地に町が発展していった。その総てが津波で消滅した。
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避難場所指定だった廻館館前の「福祉の里」の悲劇を高台から見ていたが、何もすることはできなく、デイサービスセンターの前で逃げ惑う人達に、「津波がきてるぞ!」「早く逃げろ!」と叫ぶのが精いっぱいだった。御前下地区には、消防署・県福祉事務所もあり、町の消防関係者の多くが殉職している。

また、あの寒かった日が来る。
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