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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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志津川市街地の商店街はできても ほかの場所は赤土のまま


62号11月記事南三陸1
『10月30日三陸道の志津川インターチェンジ(IC)が供用を開始した。開通の式典には安倍首相をはじめ、今村復興大臣が出席した。南三陸町佐藤町長や登米市の布施市長など、関係者400人が出席した。同区内の事業費は約150億円。志津川ICの開通で仙台市までは99分で結ばれ6分ほど短縮される。』

◆南三陸町の産業フェアが開催され、カキやホタテ、養殖銀ザケの刺身の無料試食(200食)に2万5千人が来場した。来町された安倍首相も恒例の「餅まき」に参加した。
◆10月30日戸倉街道方地区内で、付近を通りかかった男性が1.5mのクマを目撃したと、南三陸署に通報した。
◆11月1日に南三陸町の「あさひ幼稚園」の園舎が、ベイサイドアリーナ隣り志津川東地区西工区内(天王山)に完成した。津波で園舎を流出し5回目の引越しを経て再建された。落成式典には工事関係者など30名が出席し、園児は感謝を込め鼓笛演奏を披露した。

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『政府は秋の褒章に気仙沼・本吉地方から、南三陸町細浦の徳性寺住職の辻文生氏(69)が藍綬褒章を受ける。長年の更生保護への尽力が認められた。今回は県内で2人が藍綬褒章に輝いた。』

◆歌津地区の「みなさん館」で、南三陸de芋煮会2016が29日に開催された。東日本大震災の復興支援の感謝と地域ににぎわいをと4年前から開催している。会場では秋ザケや焼きガキ、町内の野菜を使った芋煮が500食準備された。
◆11月1日南三陸・登米署の合同検問を戸倉地区で実施し、無免許1人・免許不携帯3人の、4人が検挙された。


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我が志津川市街地の土地も、換地の引き渡しとはなっていない。昨年の暮れには復興整備課の派遣職員から「引き渡し早くなりそうです。」と連絡がきたものの、未だに次の報告が無い。市街地の土地の整備を見ていると、何時の事になるやらと注視している。復興土地整備課も今年度で無くなる。新たな町づくりの行政の体制の変換は、早期整備へと向かっているのか。行政に問い合わせれば良いのだが、快い報告はなさそうだ。私の性格から「怒りの指摘」となる事は見え、あと一か月はおとなしくしていようと思う。
商店街の本設・水産工場の整備など、町にとって必要なのは判るが、私の年齢から「時間はない!」。
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塩入・汐見地区は何処に  結婚は益々厳しく


志津川地区のさんさん商店街は、八幡川に隣接し向かい側には、商店街からギリギリに写真のような被災した防災庁舎の姿を望める。また、商店街と遺構を結ぶ物に、隈研吾氏の設計の人道橋が建設中です。車の通行は出来ない橋として、商店街と「震災復興祈念公園」が30年度の完成へと進んでいる。
商店街から新しく造られる慰霊・追悼の公園が完成し、志津川市街の整備が終了し、震災からの復興への一つの区切りへと繋がる。
南三陸応援団の皆さんとの交流会が先ごろあり、「南三陸町とランティアの絆」が再結束した。震災後の年に宮城の被災地に、ボランティアとして御出でになられた人数は、35万人にもなった。しかし、今年度まだ数か月を残し、1万2千人との数の報道に驚く。
まだまだ皆さんの支援が必要です。町がどのように変わったかを確かめに来て下さい。あの荒廃した大地はこんなにも変わりました。まだ来町者を迎える環境は整ってはいませんが、町民の笑顔で皆さんをお迎え致します。

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私も震災後に親戚の結婚式が4回あり、従弟は既に30歳を廻っての結婚だった。甥も30歳近いが付き合いの末に結婚をした。被災地の結婚は益々厳しく、女性の震災の津波の映像は余りにも衝撃的だった。そんな所へ娘を嫁にやれない。女性本人も「不安」「怖い」との想いが胸中を駆け巡る。従妹の相手も全てが町外の人で、内陸部の方との結婚、被災地の悲劇の場所からは遠い。一人は今も家庭を被災地に置き、子供達に囲まれ、この地で生き続けている。
隣りの市では、結婚された方に「24万円」の補助が、新年度予算を計上した。しかし、二人の所得が「340万円」を下回った場合に限るとの話だ。世間で言われる「所得が低く結婚できない。」との問題への対策ながら、相手を見つける場が、出会いの機会が少ないが、被災地の結婚率の低下に繋がっている。

行政が本気で結婚問題に取り組み、メディアなどの利用も視野に入れ、将来の街づくりに欠かせないのが、人口の確保と私は思います。私の30歳での結婚は仲介の方が一生懸命に、千葉家を考え相手を紹介してくれた。相手は宮城から東京に生活している女性で、私の未熟さが離婚へと繋がった。自己の努力なしにゴールは遠い。

防災庁舎と商店街


長期政権は「なれ合い」「強権主義」を生み、モラハラ・セクハラ・パワハラの温床となり、町の今後を考えれば、これからの若い世代が町づくりをして行くべきと私は思う。どうにもならない町になった時では遅すぎる。首長の後継や教育も図らないままで、町は進んでいる。将来への負担を若者達は理解していないだろう。華やかさばかり、復興と言う名の元に、佐藤町長のカリスマ性に踊らされている。彼が起こした結果を「風化」させる事無く、政治の検証も大震災の多くの悲劇の原因も追究しないと、町の負の部分で、町は再度消えてしまう、危機感を共有する事が大切だと私は思う。

3月議会で佐藤町長は南三陸町の4期目の出場を発表した。志津川町長1期を含め現在まで15年間の首長を続けている。震災からの復興を進め道半ばで辞める訳にはいかないと話す。三陸道の延伸・商店街の完成・住民の生活の場完成など、これまでの政府の政策を、自分の成果と勘違いをしている。国の被災地の復興の為の交付金による物で、その予算の使い方を議会と共に決定しただけと私は思う。住民は町を離れ、子ども達は減少し、商店街の盛況も何時まで続くのかと、町民は冷ややかな目で見つめている。

南三陸町の行政から町民への月中告知物


我が町の3月中の行政配布物を紹介します。

新年度を迎えるにあたり、ゴミの収集日の告知チラシが入り、住民に生ごみ分別の協力を訴えている。私の地区の沼田には「外国人労働者」が、会社の所有のアパートに住み込み仕事をしている。ゴミの集積所での分別に問題があり、来年度からカラー写真による分別を示し、外国人の皆さんにも判りやすいよう、カラーでチラシを集積所に貼ったり、雇用の企業さんにも協力を訴えている。

行政の包括支援活動の一環で、保険福祉課では「認知症・安心ガイド」の印刷物を全戸に配布した。南三陸町の65歳以上の高齢化率は「33.2%」となり、3人に一人が高齢者と言う計算にかる。平成28年3月のデータで、一年が経つ今年には、もっと高齢化率が上昇していると思う。大変な町の状況になって行く。若者達も安定した仕事場を求め町外への足は留まる事はないが、「南三陸町の復興に貢献したい!」との志を持つ高校生も沢山いる。

気仙沼・本吉広域事務組合があり、消防・リアス美術館と運営にあたっている。その他にも気仙沼市と本吉郡の共同イベントの開催を支援している。本吉郡は唐桑町・本吉町・津山町が、近隣の市と合併し現在は「南三陸町」しかない。名称を「気仙沼・南三陸広域事務組合」と変更する時期に来ている気もする。
その表紙を飾るのは南三陸町の水産業を生業とする、漁民の朝の寒さの厳しい中での海作業風景と、太平洋の水平線から登る朝日を写真に収めた作品だった。「気仙沼・南三陸フォトコンテスト」の最優秀賞に、南三陸町の遠藤さんの「日の出と共に」が輝いた。ときどき袖浜のサンオーレ海水浴場で遠藤さんと一緒になった。私の撮影は素人なので、「陽が出たらパチリ」ながら、彼は陽が登る大分前からシャッターチャンスを待っていた。この志津川湾での昔から変わらない人々の営みを捉えていた。漁船が4隻と大きく太陽を写す技術は、私は持ち合わせていなく、素晴らしい写真で真似はできそうもない。

その他に「第14回復興グルメin南三陸」のチラシが入っていた。また、観光協会の「みなみな通信」が入っていた。「公衛連だより」「駐在所だより清水」と「輝き通信」「町の広報」、「みなみさんりく復興まちづくりニュース」が、行政から配布物として町民に配られている。あと、志津川さんさん商店街の道路通行案内図があった。

私は何をすれば?

6回目の3・11


町から明かりが消え、満点の星が町を照らした。そんな真夜中、多くの町民が家の下敷きとなり、津波に押しつぶされ、津波の引き波で海底奥深志まで流されて消え、今は海の貝や魚と海の生物に変わったしまった。
真夜中にカーナビのワンセグやラジオで東日本大震災の猛威に目をやり、「1万人以上の町民が死んだ。」と、眼下の光景から感じた。明治・大正・昭和と大津波を経験している津波の町、津波防災には町上げて取り組んできた。しかし、今回の16m以上の津波には、5.4mの防潮堤も何の役にも立たなかった。海から1~2k離れた場所での死亡者が多かったことには、「まさかここまでは!」と人々の油断が、尊い人命を失う事となった。
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山からの煙は天王前にあった自動車会社の車から出火し、山にも燃え移り避難場所となった「ベイサイドアリーナ」まで、その火の手が迫っていた。志津川地区は川の両側の、土地に町が発展していった。その総てが津波で消滅した。
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避難場所指定だった廻館館前の「福祉の里」の悲劇を高台から見ていたが、何もすることはできなく、デイサービスセンターの前で逃げ惑う人達に、「津波がきてるぞ!」「早く逃げろ!」と叫ぶのが精いっぱいだった。御前下地区には、消防署・県福祉事務所もあり、町の消防関係者の多くが殉職している。

また、あの寒かった日が来る。

こんなにも荒廃した人口減少の町に誰が来てくれるだろうか


「明るい南三陸町創造の会」を立ち上げ、これ以上仲間に迷惑を掛けられず、自分一人の活動として、昨年3月からの「婚活・南三陸から結婚したーい!」と、広告・新聞掲載・地域会報など、男女の独身者を年齢制限なしに、一年間会員を募集し、本町からは3人と他町からも3と、男性だけ6人の会員が集まった。
震災前は「南三陸町のホテル一泊招待」の会員募集に、6名の女性が5か月余りで集まった。今回はと言うと、それ以上の募集を掛けたものの、女性は一人もいなかった。
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震災での町の変わり様に、「怖い。」「津波が来たら。」「町がない。」や、独身男性も職を失ったり、住宅再建などその道は険しい。もろもろの事情から「南三陸町へ!」との呼び掛けも、震災前のように順調とはいかなかった。

自己出費の資金も20万円は超えただろうか。あと一年の30年3月末まで活動は続けていこうと思っている。
仲間になりましょう。千葉総合印刷株式会社(46-3069)へ連絡頂きたい。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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