「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

日は沈み また昇るのだろうか


志津川地区の市街地整備説明会が6月28日午後6時30分から役場で開催される。2回目だと言うが、初めて知った。被災地での生活はゆっくりと、町のニュースなど読んでいる時間はない。しかし、60坪の志津川市街地の換地の土地は、私が生を受けてから暮らしてきた土地で、強い愛着と思い入れのある場所で、買い上げとならない事で、土地利用は今後の私の最後の取り組みとなる。
災害公営住宅・戸建の志津川地区の空家・空き地の問題が続いている。集合団地が19戸で戸建は4戸が空いている。住民の確保は町の財源確保の面からも、クリアして置かないと大変だろう。
大震災後に「南三陸町」は世界でも、日本中で一番有名な自治体となった。観光で多くの来町者やボランティアが、今も町に流入し、町民の子供達は住みにくいと町を離れ、新しい人々の町が今出来ようとしている。町の形成が異常の状況を、行政はこれで良いと考えている。全国で人口不足から「交流人口の拡大、自治体の財源確保に「インバウンド政策」を掲げ、「ふるさと納税」の税収確保にやっきとなっている。

スポンサーサイト

町づくりは私たちの手で


6年目を迎えこれまでの歩みの検証に、住宅建設を上げたい。震災後の一年目から簡単に住宅再建のできる場所の選定で、土地の造成ができれば、町内の建設会社で多くの町民の住宅を建てられたのではないかと思う。国県の支援や町の住宅支援策を講じれば、住民はもっと町に残ったかもしれない。町は町の住民の再建を第一に、商店再建や水産業の整備は国県に任せ、住民の生活再建に全勢力を回せばと検証する。交流人口者が町の経営に多く流入し、被災地での事業の運営は、震災特需への関係する事業者が来町し、復興交付金のあるうちだけ町に関わり、町の復興が終われば、町から直ぐにでも離れて行く。総ての参入者はここに利益がなければ、直ぐに町を捨てるだろう。町民は住宅を建て最後までここで暮らすしかない。こうした町民を守らずして、町は誰を守ろうとしているのだろう。

九州の豪雨災害が広がる中で、広島県福山市で洪水や崖崩れがまた発生した。一日に6月の降雨量が降ったと言う。梅雨前線の停滞は、再度九州北部へ今日の大雨の予想が出ている。中国では前線の左端で、竜巻や雹が降り78人が亡くなり、500人の怪我人の200人が重傷だと言う。自然災害の地球各地の発生は、オゾン層拡大であり二酸化炭素の排出によるもので、これまで対策と言い、本気で取り組まなかった事に起因する。
参院選が始まり与党の圧勝で出口調査が出た。強い者が権力を握った者が勝、こんな社会がまかり通り弱者は二の次の社会が拡大して行く。18歳以上の高校生が、期日前投票の一号となり、立会人として初めて高校生があたった。話題ばかりが先行しているように感じるのは私だけだろうか。将来の安心な生活の確保の為に、本気で政治を考えて欲しいものだ。

私のこんな心配は必要がないのだろうか。行政に町民が物を言って、住民生活の至らない部分を改善するよう、行政に物申す権利は町民にあるはずだ。

今日は涌谷から訳合って移転した人が、故郷の「南三陸町」へ人を連れ民宿へ案内し来る。こんな町への一人の小さな支援が町の発展の一つになっている事を忘れてはいけない。

リーダーの資質

CIMG8433.jpg

(つづき) 写真は現在の防災庁舎

気仙沼市本吉町小泉地区の、「震災の教訓」の碑ながら、被災し亡くなられた遺族の追悼の場・場所として、多くの被災家族の心を癒している。


現在の町の復興の経緯を見て欲しい。町づくりと称した税収確保の政策と、公的施設の原形復旧と、義援金・補助金確保の町の再建方法、見る限り住民再建への支援は、こんな大震災の中で本気度が薄い。気仙沼の菅原市長と比べても、目立つ事が大好きな首長の姿を常に見て思う。
今期限りでも退任と後継者育成で、新しい町の再建への取り組みを若い世代の、次期町長に任せた方が良い。だが、今の任から退く事は「告発受理」への警察の方向が見える。国内ならず世界で有名となり、震災不幸の先頭に立つ人間の県警告発は、そのトップの大きな決断と勇気が必要だ。こないだ震災死の裁判で「自治体に責任あり」と、賠償が幾度かの裁判で裁判官のこれまでの自然災害の、予測できない事への責任を認めた。「自然災害だから。」だけでは逃げられない遺族の思いが、警察や裁判所でもう一度審議の必要性の表れが見えてきた。

写真は水尻川の護岸工事で、葬儀の参列後で撮影した。原形復旧の基本的復旧工事だが、そんなにも大工事が必要だろうか。民主党の「コンクリートから人へ」の行き過ぎた政策もあったが、自民党に代わり大分の停止された工事が復活した。建設会社の疲弊が加速した中で、再度、大震災の復旧は建設会社の復活があるが、再建の形は人の住まない場所までも、津波の人的被害とならない場所までも、生活環境整備が異常なまでに拡大し進んでいる。「人への救済」で過疎化も鈍化される気がする。
河北新報の29面に載った記事、まだまだ先は長いようだ。
前回と同様に佐藤仁町長は「不起訴」となった。

震災後の事件である。風化させてはいけない、被災市街地の再生で、土の下に埋もれるつつあり、事実として後世に語り継ぎ、再び想定外の大災害と、尊い人命が失われない対策は、町民の適切な人材の選択から。

大震災慰霊碑を一日も早く


大川小学校が震災遺構として保存する事となった。ここで亡くなった多くの子供たちの家族の「解体」の気持ちは届かなかった。命の尊さと震災の苦しみ悲しみを知る家族の思いは何処にいったのか。関係者以外の「震災の教訓に」との、当事者以外の人々の意向を重視した結果は、人道的に間違いないのかと思う。究極の家族の思いは「見たくない!」から、「この町に住みたくない」との選択へと繋がる事が心配だ。

殉職遺族の9人が再度の告発を25日に県警南三陸署に提出した。以前は6人の家族が告発するも、仙台地検は15年8月に不起訴処分とした。今回は防災庁舎での殉職家族以外の3人も加わり9人で「業務上過失致死容疑」で、南三陸町長佐藤仁氏を告発した。
防災庁舎で亡くなった方は43人で、その内の33人が死亡・不明として報じられている。その中には町長の共同経営の「旧南三陸新聞」の編集員(実質の運営者)も亡くなっている。こんな大地震の発生で、災害対策本部に報道陣は一社だけで、他の報道機関は避難している。こんな事にも津波への危機感の無さがあった。また、本部に集まるのは課長など幹部職員がマニアルにあるが、16坪にも満たない場所に24人の幹部の集合が必要だったのか? その他にも総務課・危機管理課の若い職員が、殉職した職員にはある。こんな現状を加味しても、町長の津波に対する「職員の命を守る義務欠如」があった。震災直後は県警も町長の過失や義務違反について捜査をしていたが、証拠や立証が出来ないままに捜査が立ちきれとなった。
しかし、自分の過失を認める事は町長職の失脚となり、そればかりでなく震災復興の計画でも多くの問題が浮上する。それを正当化する為にも罪を認める訳にはいかない。告訴を受理したら最高裁まで裁判を続ける事は分かりきっている。政治家の引き際が肝心である。

写真は気仙沼市本吉町小泉地区の、「震災の教訓」の碑ながら、被災し亡くなられた遺族の追悼の場・場所として、多くの被災家族の心を癒している。

(つづく)
プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター