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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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還暦を迎え我が町に想う


気仙沼市の教育長の白幡先生が70歳で後任の齋藤氏に、2期8年の任期を終え退会した。後任は以前に教育委員長だったと言う。昨年の教員委員会改革で、教育委員会の委員長を廃止し、教育長一人体制とする議案が可決し、初めての教育体制で教育環境の充実を図って行く。白幡氏は私が志津川高校時代、22歳で物理の教科の先生だった。私が卒業した後で教頭として再度志津川高校に来た。その後で気仙沼に戻り高校の校長を経て、気仙沼市の教育長として、震災後も子供達の教育や学校の統合問題に取り組んで来た。地元の地を知り尽くした地元出身の教育に精通した人材の登用を図った気仙沼市。現在の教育委員会の今の体制に、町民の一人として、行政の人材の登用に疑問がある。自分の思い通りになる人材の登用が、今の行政にある気がしてならない。
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志津川地区の嵩上げの山根・新井田地区風景と、新井田川が無くなる姿に寂しさを覚えた。子供の頃には、アユ・ドジョウ・トンボが沢山いた川は、天王山側に付け替えとなり、昔の自然が元に帰るまでに、数十年かかる。昔から引き継がれた自然の風景が無くなる事を、これから、その決定が「良かったか?」は住民が、計画を推進した方に住民の意見や投票で訴えるしかない。町ができ自然を破壊して、人の住む場所の確保がいかに自然との共生のない愚かな事かを。ここまでしないと町の再建は出来なのか。
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震災からまだ5年 行政と牛民には意識の格差拡大



 議員の活動の監視を町民はしっかりしていた。

 南三陸町は町議会議員の報酬を月額平均2.8%引き上げる条例改正案を、8日の「臨時議会」に提案する。合併後初の引き上げで月額23万円となり、以前より9300円のアップとなる。

 議員報酬で臨時議会。「時期尚早」との意見の中で、反対7賛成8で可決となり報酬の引上げを決定した。

  〔議員報酬引き上げは『妥当』かと、町民から疑問視する声〕
 特別職(町長・副町長・教育長)の給与改定とともに、議員報酬の引き上げとなった。町総務課は、人事院勧告の給与改定を受けが、3回にわたって消減してきた。これまでも特別職に準拠し、提案してきた。議員報酬引き上げの議案の上提は「慣例」に基づく対応という。
 町民は「震災から5年が経ち、生活は今もギリギリの中で、もっと議論をしてほしかった」と話す。
 本議会の質疑では、三浦・及川・今野の3氏が反対意見を述べ、菅原・後藤の2氏が賛成意見を述べた。(5月1日発行の南三陸町議会だより)
 星議長は、議員報酬や定数に関しては、今後は「議会改革特別委員会」で議論していくと話す。

2月の出来事の新聞確認をしていたら、住民の「もっと機論を尽くして欲しい」との、議会への注文を付けた。町民の議会への監視は薄いと思っていたら、新聞で知った人たちが、記者にその考えと気持ちを訴えていた。





町の復興交付金や財源は人口減少阻止と住民支援に回すべき

何か空しい町の姿を見る。町の広報に国の復興支援金を受けた地元事業所が、広告に数社も町広報に掲載していた。掲載に対し事業所への直接話しも無く、広報での告知だろうが、町長が独自に商工会の仲間達に依頼したとしか思えない。町の広報と言う媒体を通して、印刷会社へのページを増やしての製作費は、復興支援金の国費の還流と言えないのか。自治体の課長や職員は何とも感じないのだろうか。
自分で「李下に冠を正さず」とのことわざを引用し、議会での別な件での発言もあったのに、疑惑をもたれない政治に取り組むべきと思う。震災前にも何かで指摘をした。町民より癒着の念を抱かれるような行動は自分から慎み、公正公平な行政運営をしないのだろうか。
以前に町長の兼業禁止の問題も、印刷会社の代表を退いたものの、同じ疑惑を抱かれる行動を、行政は容認するのかが解らない。私は同業の対抗となるもう一社の印刷会社である事の不運があり、自己での問題提議をするしかない。他の事業所は生活に関係無いので、何とも感じなく知らないのだろう。

町の財政は火の車であり、財源確保の方策と担当課は言うだろう。しかし、「みえる化」の町の政策推進は、住民へのサースと言うが、印刷の仕事を増やす事が目的だと私は思っている。私は震災後に将来の印刷業の低迷を思い、設備の拡大を諦め最小限で印刷物の入札に、近隣の同業者の力を借りて営業を続けている。そんな中でこんな町の印刷業務拡大は、同業の私しか知らなく、町民にはどうでも良いことだろう。
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気仙沼市では月に二回で合計16ページの広報で、女川町は南三陸町と同じ4月は36ページながら、ゴミの回収日の告知のページにしている。町民負担の税金拡大と、無駄を無くし住民の支出を削減の手伝いをすべきだ。町の再生を一番に考えて行動するべきと行政トップに忠告したい。
広報に地元の事業所の広告スペースがどれだけの効果があるだろう。クループ補助金を商工会の支援で受け、町からの水産業整備の助成も受けながら、大変な経営状況で町への広報広告は、一体誰の為なのだろう。広報の掲載でページの拡大は税金から支払われ、事業所再建の支援金は国から、そのなけなしの復興資金を広報のページへは、入札で受注した印刷会社へ流れる。こんな裏ワザを町民は誰も知らないだろう。知っているのは町長と担当課長だけだろう。
震災前も当時の担当課長と同様の問題で議論した。制度上問題が無いと説明を受けたが、その後で議会で追及したが、問題はないと押し切られた。震災後に広報に広告掲載は無くなったが、震災5年を迎えまた今月から、同様の事を行政は行っている。町長が印刷社でなかったら、こんな事を行政は、大変なこの時期に被災事業所に広告掲載はないだろう。人口も18000人から12500人と減少している中で、広報掲載の効果は無いに等しい事に、何の意味でこんな広報事業を展開するのか。
私が知らなかったものの、知人が「広報にこんな事が載っていた」と教えてくれた。現町長の以前の職員なら町長のする事に意義を唱えた課長もいたのに!  と話す。震災だから何をしても誰も分からないと思ったら大間違いだ。人の苦労の元に、町民の力が落ちている時にする行政の事業とは思えない。これで町からの仕事の受注に影響があってもしょうがない。しかし、最後までこの町長と戦うしかないのか。
争いは嫌いで震災復興に真摯に謙虚に、住民と町の再建だけを考える町長であって欲しい。多くの批判もあるだろうが、自分だけの事とは私は思えず、こうした形で思った事を記録に残し、伝えるしかない。

助け合い気持ちが世界を救う


南三陸町震災支援への恩返し交流会
3月19・20日  飯島町「料亭 天七」
南三陸町への長野県飯島町マジッククラブによる「笑顔の支援交流」があり、今回は伝統と歴史の300年間も続く大50年目の節目の「七久保御柱祭」に招待を受け、飯島町に感謝の気持ちを伝えに向かった。
3月19日の朝6時に南三陸町を出発し、南方仮設に入居の先輩の3人で宮城県を離れ、一路、長野県飯島町に12時も掛かって到着した。こんな長い距離を3度も長野県飯島町から南三陸町への支援を続けている。ジャガイモ・ネギはクラブの宮澤会長が自分で育て、100Kを8回も送ってくれた。「また、ジャガイモを今年贈ります」と言う。感謝でしかない。
歓迎会の初めに宮澤会長がこれまでの南三陸町への支援の経過と、防災庁舎で最後まで避難を呼びかけた遠藤未希さんの事を話し、「未希の家」に宿泊した4番目ですと語る。また、南三陸町出身でシンガポールに海外勤務の須藤さんとの交流の事を語った。続いて南三陸町のキッカケを作ってくれた、飯島町の町議会の久保島さんが、私のブログを知りメールで連絡をくれた経緯を語った。震災直後で行政の受け入れ体制も整わない中で、私への被災調査協力が依頼され、23年夏ごろに総務常任委員会と副議長を含む6人の交流会を、歌津の「泊崎荘」で開催した。また、飯島町の竹澤議員が歌津出身のお嫁さんだった事も、南三陸町との繋がりの一つと話してくれた。
食事の後はマジックを会長が披露した。一緒に行った兼田先輩も、被災者支援や障害者施設でのマジックを行いたいと、宮澤会長から直々の指導を受けるなど、参加してくれたか仲間との、新たなマジック交流も生まれた。
会場となったクラブ会員のお店「天七」さんでは、地元長野県飯島町の郷土・自慢料理を堪能した。長野県は馬肉の産地とあり「馬刺し」や、馬肉を使ったコロッケ「バロッケ」など、飯島町でしか味わえない「特製蕎麦」や「特産野菜天ぷら」などを、味わう事ができた。楽しい美味しいひと時となった。
飯島町マジック倶楽部会長の宮澤会長はじめ会員の皆さんの、心温まる「おもてなしの心」に更なる感謝を申し上げたい。

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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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