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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

BRTの決定ではなく、今後も鉄路復旧を行政は主張すべき。


町が決定した「BRT」の整備への方向性で、今回、「鉄路復旧求める集会」が28日に午後2時から南三陸プラザである。発起人は歌津の小野寺氏で100名以上の賛同者がいる。近隣の推進団体とも連携して鉄路復旧を進めたいと言う。
町には若い政治を志す人間がいなく、地域から現町政権の支援の元に人を輩出する形が続いている。権力の維持に事業所・組合団体が同調している。これまでの町制の形に無い状況は、大震災により若者は離れ、カリスマ的な象徴となった人間を、全国・世界とボランティア団体の、町の歴史と人物像を知らない、支持者行動と復興特需の事業所が、自分を守る為の選挙支援が我が町には存在する。
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何で夢と将来のある若い職員を防災庁舎に残したのか?

図1
「どんなに怖かっただろうか」「津波はどんなに冷たかっただろうか」、20代の夢と希望をいっぱい持った若い職員を、防災庁舎になぜ残したのか。「おまえ達は将来があるから逃げなさい」と言えなかったのか。津波に対する甘い考えが、そうしなかった理由として相違はない。私はこの判断に、会社の社長なら多少の危険でも、「何も取らずに早く逃げなさい」と伝えるだろう。社員であっても、他人の子どもさんの「大切な命」を預かる社長としては失格だろう。異常なまでの地震に、マニアル通りの対策本部の設置は、社長として相応しいかと言うと、絶対に向いて無い。
我が社とて「人のお子さん」を預かる身、責任回避かも知れないが、5人の20代の社員には「直ぐに帰りなさい」と、専務して当然の決断と、両親の救済に対応した。多くの金品などを全て置いて避難したが、物よりも大切な「命」を守る事を優先した。普通の人間として当然の行動と自負する。
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見上げる防災庁舎の屋上に、こんな津波が襲来し43名の職員の命を呑み込んだ。殉職した職員の為に復興に頑張るは、貴方だけの問題で、将来の子供を失った家族の苦しみなど、真実の苦しみは貴方には解らないだろう。3体のお地蔵さんの優しい顔が、見る見る内に仁王に見えてきた。

がむしゃらに婚活事業の推進を


この前、同級生が「還暦祝い」開催の御礼の電話をくれた。奥様に代わり「今度は是非行きたい」との言葉が嬉しかった。御世辞ではなく「奥さんがいるから」の言葉に、彼女は「男の人の統率力」が一番との話になった。
来週の日曜日に「婚活セミナー」に友達と参加してくる。独身者と家族が結婚について意見を交換する集まりと言う。町が婚活事業に消極的な考えに、自分が私費で活動を今年から始めようと決めている。「ひも付き補助金」は、別な意味で自分を縛る事となる。20年度の町づくり事業「婚活」に補助金をもらい参加したが、満額の補助とはならず、自己資金の支出が補助を遥かに超えた。最終的な診査だろうが、震災で全ての資料と、生活環境を失っているのに、補助は75%だったように思う。町政を指示する町民には満額以上の待遇の中で、反発する人間への影響は、間違いがなく減額として表れる。
私は最低限の町への町民としての権利主張と、町への協力は最低限としたい。自我の行動・考えを町政策の失敗の反逆に繁栄させたい。「是々非々」を貫きたい。

こんな時に


父の知人が今日、「怒鳴り込んで来た!」。
こんな町の状況で議員の報酬を上げるとはいったい何なんだ。と言う。こんな事を平気でする町には帰ってこない方が良いと、みんなに言ってやる。と怒っていた。防潮堤も嵩上げもまだ復旧が進まない中で、町民の生活も落ち着かなく、再建もままならない今、何故に議員の報酬を上げるのか、色々な政治の動きがあっても、町民は理解できないでいた。
昨日も以前の同僚の先輩議員さんが、町民から多くのお叱りと苦情の電話をもらったと言う。
一人当たりの議員報酬が9300円の引き上げで、今後月額「23万円」とした。その他にも町長・副町長の特別職の期末手当と給料報酬が引き上げとなる。
議会の討論では、反対に「現在の状況下で住民の理解が得られない」「特別委員会でもっと議論を」「引き上げとなる明快な理由がない」などの意見が出た。賛成派は「議員個々の質を高める事が大事」「議会で議論を深める為にも提案を受け入れる」などの意見が出された。
採決では賛成が8で反対が7で、賛成多数で町からの議案は可決された。以前に私と議会で歩調を合わせた方達は反対したと聞く。そうなるといつもの町長支持の方々と、新しい議員さんの一部が行政の提案に賛成した。
この情報は気仙沼の「三陸新報」が臨時議会の8日開催の議案の一部として報道していて、新聞を購読している人にしか判らない。こんな被災地の情報不足の中で、知らない間に行政は数々の議案を上程し、9割以上が提案通り可決されているのが現実だ。私的には「どさくさに紛れて」と感じる。復興事業の加速と住民再建の支援策なら判るが、自分の肥す為の政策は現在必要がない事は、住民が一番感じている。
この結果は次期選挙に町民の意見が波及するかと言うと、その傾向が薄い。身内選挙が我が町には今も続いている。国も小さな自治体も、民主主義とは言え、諸々の利害があり投票行動は、政治活動の内容とは別の投票判断があるようだ。
今年の参院選があり、来年9月の町長・議員の選挙がある。また、県知事選挙も近々ある。被災地の現状の復旧の経過に対しどう感じるのか、大切な自分の一票を投じないと、町は変わらない。

復興の見える化ってなに?


「ボランティアセンター」のプレハブが金曜日に解体が始まった。若布の刈取りも繁忙期となり、「観光に来ながらボランティアをお願いしたい」と言う、若き漁師の苦悩の声が昨日放映されていた。せっかく養殖で育てたワカメを、加工できなく捨てる事もあると言う。ボランティアの力に寄る生産活動は何時までも続く訳も無く、他者からの依存の脱却が求められる。しかし、多くの地域の住民が流出し、作業員の確保は町では難しい。「南三陸応援団」のボランティアの継続策も、安易な自治体の考えもいつか破たん、こんな現実からも見えてくる。日本はまだ元気だと言うが、国民の生活の疲弊はそこまできている。自分だけに肥しをまく政策はもう終わりにしないと駄目だ!
最近、町の印刷業務としての見積依頼が、南三陸町から多く来る。総合計画の中でも「見える化の推進」など、町民に復興の姿を伝える為の印刷物なのだろう。
パブリックコメントも、「防災庁舎県有化」「町の今後5年の総合計画案」など、町民から意見を求めている。しかし、回収率や費用対効果を考えても、どのように復興にプラスとなっているかが分からない。
こうした被災自治体の復興へ向かう活動を、復興交付金の算定基準にしているのだろうが、町の復興の加速や住民の為になっているかと言うと、自治体の予算の確保と一部の業者への仕事でしかない。
「県有化」のパブリックコメント「住民意見」の14%ながら、民意とその結果を行政の進もうとしている考えに、無理にあてはめようと言う節がある。
気仙沼市の人口減少による交付金額が決定した。「23億円」で、5年間での交付だ。当初は50億の減額を覚悟していたが、被災地特例軽減と5年間だけ猶予された。その後は減少した人数分の交付税となり、この最低額から年間「10億円」が給付されない。また、今後の人口減少からも交付金の減少で、住民への生活環境の整備と財政難は厳しくなっていく。
南三陸町も同じだ。気仙沼で1割の人口が減少し、我が町も3割の人口減が今後も進む。復興が順調と言う自治体としてのメンツと、復興交付金の獲得に懸命に町職員と町長は一生懸命だ。
今度も4千万円の外国赤十字からの支援があり、「生涯学習センター」の建設資金として使われる。台湾からの町病院への「222億の支援」があり、小さい町には相応しくない巨大病院が建った。昨日に発生した「台湾南部直下型地震」があり、支援の恩返しとして南三陸町はどんな支援をするのだろうか。この発生により台湾からの観光客の誘致も厳しくなる。人の支援を受ける事は「お互い様」と言う、昔からの人付き合いの基本がある。アメリカからオーストラリアからの、多大な支援の恩返しを今後も続ける事の大切さは、震災時の首長に責任があり、辞めたからと言ってその任から解かれる事はない。今後一生被災地のトップとしての役目がある。
政府からの4000億もの復興交付金は、南三陸町の再建が目的で、住民の確保もその大きな政府の要望だある。しかし、こんなに町民の減少による町からの税金の徴収は厳しい。私はこの町に国民・町民としての役目を全うしたいと思っている。会社の維持はその根本となる。公平・平等に地元の事業所を見て欲しいが、町には何も見えないし、そんな余裕も職員にはないだろう。自立居派遣の任期を全うし、多くの手当の保護の元に元の暮らしに戻って行く。
綺麗ごとでは片付けられない、被災住民の気持ちなど首長の顔色を伺い、本当の復興は何かを見えないでいる職員も少なくない。


「伊里前商店街」今年12月「町開き」を目指す


伊里前の商店街が市街地の嵩上げに伴い、小学校下から国道45号の向かいの盛り土した場所へ移転となった。向かいの伊里前川の水門は未だに撤去されていなく、他の南三陸町内の水門は全てが撤去された。この水門跡は震災の驚異と威力を後世に残す教訓として、このまま残して来町者の観光目玉として、歌津地区の「震災遺構」の一つにして欲しいとも感じる。

昨年12月の初め、歌津市街地の現風景を撮影した。商店に飾られたサッカーj1の全チームのフラッグが撤去され、移転の準備が進んでいた。これで伊里前市街地の復興整備が本格的に始まる。

(歌津地区の伊里前商店街の再建本格化へ)

「歌津地区の伊里前商店街地かさ上げを年度内着工へ、南三陸町は予算の措置をした。」、こんな記事が気仙沼・本吉地区の三陸沿岸に配布されている、地元紙に掲載されていた。
伊里前商店街の整備は、都市計画地域外として国の復興交付金の対象外で予算のメドが立たなかった。その為にかさ上げなど復興が遅れていた。
町は復興庁との協議の中で、事業費の一部を町が負担する事で、今年1月に「効果促進事業」として交付金の一部が認められた。町はかさ上げ工事請負費として今年度補正予算に2億8千万円を計上し、議決後に現在の仮設商店街を向かいの造成地へと、一時的に移転させ営業を続ける。
伊里前市街地の整備エリアは、「伊里前福幸商店街」の向かいにかさ上げされた町有地1.4haで、県漁協歌津支所の用地3500㎡と、商業用地として2千㎡で、現在の地盤高2mの上に5mを盛土かさ上げする。その他にイベント広場や駐車場、郵便局や金融機関の誘致を図る為、公的施設スペースを整備する。
敷地北側に区画道路も配置する予定で、商店施設には8店舗が入居予定で、早ければ28年12月の開業を目指す。
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これまでの報道だと、志津川市街地の商店街の開業は29年3月を予定している。歌津伊里前商店街の整備が志津川地区よりも3か月余り早い事で、その分伊里前商店街の「町開き」を、町外に早く発信ができ、一時的な観光客の早期集客が可能となる。歌津地区の伊里前商店街の魅力をアピールし、南三陸町の志津川と歌津の商店街が、互いに独自の特色で競い合う事で、町の活性化となる。リピーターの観光客確保と、歌津地区へのボランティアから定住も多く、町の交流人口拡大へと繋がっている。17年の夏ごろに志津川地区に開業するスーパーに、負けるとも劣らない商店街づくりが、南三陸町の二つの商店街に求められる。

活気ある住民の言論はどこえやら

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南三陸町の住民アンケートが欲しいが、真実の人口動向と若者の就職意識など、町の調査は住民には伝わってこない。地元の事を気仙沼の報道で伝える事はできるが、購読者が500軒ぐらいのような気がする。私の「南三陸マイタウン情報」には、少し前の町の動きが、「千葉総合印刷のホームページ」に掲載されている。震災の2011年7月頃から、2015年12月迄の、PDFから出力できる。

気仙沼市の被災住民の意見がある。定住・帰郷を希望する住民は「戻るつもりはないが52.9%」にもなり、戻りたいが現実的に無理が「20.7%」で、帰郷が決まっているが「1.4%」でしかない。年祝いの同級会に帰郷した668人の内208人(31%)のアンケートなよるものだ。故郷に戻る条件に、「働く場がある事が62.5%」が一番で、次に医療や介護の面で不安がない事を上げた人が「45.5%」となった。
若者が自分の将来の為に安定した職場・報酬も求めるも、企業誘致がなく、地元の事業所も今は建設特需があるものの、後5年の復興期・安定期が終われば、職場が減少する。行政の企業誘致も、若者が居ない我が町に設置は難しい。優秀な若い将来を担う人材が町を離れ流出し、将来の町形成に不安が募るだけだ。
町の人口減少阻止へは「将来への安定感ある働く場所の確保」が、町民が一番望んでいるようだ。入谷の震災後の企業進出も、国の企業立地補助金目当てで、町の廃校の有効利用の互いの思惑が成立した。結果的には継続は無く撤退したと聞く。現在も1社が同じ町の為の企業立地となったが、町の支援なしには継続は厳しく、雇用も住民の望む体制ではない気がする。
漁業・農業もさることながら、商店主の後継もなく自分の代で終わりが半分以上と感じる。親もこの町での事業の継続は厳しいと、後継を望んでないが現実だ。しかし、町の事業者の後継者は優秀で有名大学に入り、高い能力をもっていた。
現在、私たちの前後の年齢の子供達が、安定職種として「地方公務員」として町に就職している。町民皆が望むものの狭き門である事は間違いがない。家督として町に残り役場職員を希望しても、挑戦するが何回も就職は叶わないと言う。年齢制限の終末にきている。
気仙沼市の家族も「子供達は仙台市や盛岡市」の一時間圏内に暮らして欲しいと、被災地の地元での生活を望まず、子ども達も「望む職がない」と、地元就職を諦めている。
昨日、志津川市街地に初めて事業所が本設された。セブンイレブンで渡辺さんと言う地元の方が、震災後から仮設で家族で経営し再建を果たした。現在の来客を見ると建設関係者が多く、復興後の経営は「三陸道」の開通で、ストロー現象となり来客の減少を想定する。志津川市街地の商店街も観光客の集客も一時的な活性化となるが、風化による厳しい状況が必ず訪れる。町の住民数が町商店の復興に大きな繋がりを持つ。

あーあ! この町に住み続けるか思案は募る。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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