志津川市街地を城洋さんの自宅後から望む

上の山津波避難場所に行かないと! と最近自分に言い聞かせるも、台風と天候が悪いため今日に出掛け撮影してきた。
城洋新聞の社長さん前社長さん、そして奥さんの事をこの場所に来ると思い出す。息子さんが急逝し私が家を訪れるとお母さんは快く話しを聞いてくれた。もう皆居なくなってしまった。風の噂に驚き涙した。

現在は自宅の前まで10mもの嵩上げがされ、家のフェンスから志津川市街地を一望できるが、以前のように市場など、海と海岸線は見えなくなった。残った自宅まで3m余りとなった嵩上げ、避難の高台のここまで津波が来るとは予想はしなかっただろうが、あの想像を絶する大きな地震を体験したなら、天性の直感で察知はできたかも知れない。

この光景と震災の佐藤町長の復興への取り組みを3人はどう思っているだろうか。町の監視役の新聞報道に取り組み、行政の不公正や暴走に対し「ペンの力」で、行政と対峙してきた。そんな住民の側になった印刷会社として、南三陸町・旧志津川町を見つめて来た。
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