「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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町長のコメントに唖然!

防災庁舎
仙台地検の「佐藤町長不起訴」の記事が河北新報に掲載された。その佐藤町長のコメントは、
「不起訴になっても防災庁舎で亡くなった方々は帰ってくるわけではない。今後も災害に強い町づくりに尽力したい。」と語った。
殉職した家族の一部の方々の思いは、佐藤町長に責任の一部がある事を認めてもらい、強い謝罪をして欲しいことが、亡くなられた家族への追悼・慰霊の気持ちとして受け止めてとの思いからだと感じる。
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多くの工事看板に注目して


町の多くの被災地の復旧復興工事が実施され、期間内での完成に建設会社が、厳しい状況下で頑張っている。復興期の5年の災害工事期間は、大規模となり現場も多く期間通りとはいかないのが実情だ。
南三陸町の基幹産業である水産業の破壊された漁港整備は生活に直結し、震災直後からいち早く予算が組まれ工事が始まったが、志津川市街地の旧魚市場のある本浜漁港は、被災したままで早期の漁業再開を果たすが、5年間での災害工期期間での漁港整備が今も続いていた。
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国道45号の再建は「観光の道」として、町の今後の町づくりの根幹として行政は取り組んでいる。汐見橋の架け替えは8.7m以上の工事となり、志津川市街地は10mの土地嵩上げの基で、橋の高さを「12m」と以前聞いた。現在水尻橋の橋脚工事が進み、八幡川と新井田川の橋工事はこれからと言う所だ。
「町開き」は28年10月と目標はあるが、予定どおりは難しい感じがする。国道45号の整備は町民の「希望の道」としてあり、高速道は命の道「三陸復興道路」よりも、町民は45号線の早期開通を望んでいる。
自分の年を考え新町の復興を見つめている。また以前の場所でと言う気持ちは、私の最後の強い願いとしてあり、嵩上げされた土地の上で、仲間と美味しいビールで、新しい市街地の完成と、私の夢の実現を「乾杯!」したい。

町の力は町民と水産業


町の税収は22年が13億円だったが、震災時の23年は5億7千万円に落ち込んだ。平成27年は水産業の再建が進み、見込みとして10億3300万円と予想し、震災前の8割まで戻ったと言う。今後は事業所の販路拡大と従業員不足で先行きは不透明となっている。
気仙沼の漁師の若者受け入れと、若い協力者が数多く参加している。と言う。歌津地区でも若手漁師の農漁業連携など、今まで町に無かった漁民の取り組みが報道されている。
民宿で見た新仮設魚市場の若手漁師の笑顔の輪に、大きな可能性を感じた。今日は役場内でもポスターを見つけた。町の税収アップはここにあるのは間違いがない。志津川魚市場も今年中に完成の槌音を聞く。
銀鮭は宮城の「伊達銀」として、全国へ南三陸町産の「美味しい銀鮭」を発信している。漁民も言う「漁民が食べない魚は消費者にも受け入れられるはずがない」との言葉に、銀鮭の新たな拡大と可能性を感じる。
還暦は「何も言うな」、こんな女川町の若の達の声を思い出す。町長さん貴方はもう終わった人かも!

本浜町の方々との突然の出会い


8月のお盆中にお寺への用事で行った折に、本浜の向かいに住んでいたピアノの先生と会い、近況を伝えあった。
子供たちも大学で私は移転した町の社会貢献活動の仕事をしていると言う。ズーと床屋をしてもらっていたお母さんも震災後に移転先で亡くなられた。この日は被災前のピアノの教え子の指導で帰って来たと言う。
一昨日は登米市の笹原総合診療科に行った時、十日町の兼田屋分店の向かいの菅原さんにあった。以前、町の仮設生活者の「生活不活発病」の町の取り組みに、テレビ放映での生活者として出演していた。「私はしゃべる事が好き」と、仮設の暮らしから外へでる事を続けていると言う。
笹原先生は南方の仮設の南三陸町の住民ならず、登米市民からも愛され診療を続けている。50分も掛けて笹原先生を頼って多くの町民が待合室にいた。「あんだどこにいるの」「だれどきたの」「わしたち同級生なの」・・・など、志津川に帰ったような話し声が聞こえてくる。
私も昨日は糖尿病からくるバイ菌の化膿で、切開手術で通院している。

(今また地震があった)最近地震が頻繁に発生している気がし、地球的異変は異変でなく、今の地球の当然の現象と言っていた話に同感だ。

「医は仁術」を実践している先生と私は敬愛する。外科手術で以前の公立志津川病院での叔父・親戚の「胃がん手術」の執刀医であり、私の叔母は看護婦助手だったとこないだ聞いた。外科は笹原先生と決めている。甲状腺がん・背中のできもの・今回の傷口の化膿があり、震災後の2か月ごろに背中の傷が、糖尿病の悪化から化膿し、アムダの国際医療団体の大類先生の執刀から、先生の処理と1か月もかかった。イスラエルからの仮設診療所でのことだった。その前はアリーナ「ジム」の特設診療所で、血糖値の安定の治療を国内・国外の先生にもお世話になった。

「千葉さん、いま私は息子に仕事をまかせ、登米市に暮らします」と、知人の奥さんに聞いた。義理のお母さんの付き添いで、同級生の母でもある。多くの志津川町民の懐かしい顔に、私の視力低下で人のはっきりとした確認は1.5mと、失礼の数々をお許し願いたい。免許は裸眼の両目で0.7をクリアし、なんとか免許取得となり生活が維持できている。顔を見たら何処でも声を掛けて欲しい。
被災地「南三陸町」の皆さんは各々の厳しい環境下で、日々生活を何とか生きているようだ。

志津川市街地の再生で町の昔の営みの再建はならない


商店が半分となり世帯も減少し、生活の余裕や商店の販促での印刷業の生業は厳しい。大きな商店との繋がりと技術の高度化を実現している会社は生き残れるが、我が社のような昔ながらの経営は、近い将来淘汰される状況にある。立て直すのも技術者の確保と設備の高度機材の投資が必要で、整備費には1500万円は掛かるし、工場施設も必要となり、私の後継の居ない状況では無理である。南三陸町に於いても人材不足に事業所は頭を痛めている。企業が進出してもこの部分が厳しいだろう。
漁業の町で水産加工品の商店の経営維持は出来るが、町外への販促と観光客無に町の発展は厳しい。農業は特別な地場産品も少なく、道の駅が出来ても農業者の収入増加は以前同様厳しいだろう。第一次産業の林業は震災復興の住宅再建があり、建設資材の需要は拡大しているものの、復興が一端終わる5年頃には、今のような木材需要は望めなく、「ブランド三陸産材」の住宅建設の需要は、県産材補助金が後押しでの一時的な物と思う。復興終了後の需要はと言うと、人口減の日本の状況と生活保護者の急増と、高齢化の中で古い空屋やリフォームなどの拡大で、多くの木材需要は今後厳しく、林業を含めた林業も淘汰の時代は間違いなく来る。
高齢化や生活保護家庭、福祉施設の需要拡大と、福祉社会が進み、町の事業所の減少は多くの業種に現れるだろう。

佐藤町政の無駄の検証


こないだ町の歴史を知る方に話しを聞いた。
勝倉三九郎元町長は35年のチリ津波を体験し、子供達の教育環境の学校を高台にと、小学校・中学校・高校と総てを高台へ移築建設した。今回の津波で高台の教育施設が住民の避難場所となった。もし先代々の町長がこうした先を見通した町づくりをしなかったらと思うと「ゾッ」とする。
現在、町のゴミ焼却は気仙沼市に委託し、最終焼却灰を山形?に処分を委託している。以前の戸倉ゴルフ場跡地に高圧焼却炉の整備には、現職は並々ならぬ熱意で望んだが、地元の「ダイオキシン問題」もあり、整備とはならなかった。その裏の増収賄の「5千万」の噂も町にあり、実現とはならなかった。
何で「合併特例債」を活用し将来に残る、町に絶対必要な物を整備しなかったのか。町は下水道設備をこの資金を使い実施したが、今回の大震災で全てが無駄になった。現在、住宅再建には各自の「浄化槽」の整備を、町の補助金を利用し、家庭排水を海に流さないようにし、町の海の汚染防止を図っている。
特例債で下水道の浄水施設を山の上に整備し、松原の海岸線に「町営住宅」の4階建てを整備したが、住宅は被災し解体され、浄水施設への家庭排水を山までポンプでくみ上げ、設備・経費など余計に掛かる工法を取ったと言う。ある先輩はこれを逆にすれば良かったと未だに言う。
町政を担うには「想定」「判断」「先見」など、多くのトップに必要な直感に必要だが、これ欠ける人材のよう私は感じる。
前町長の阿部公三氏もこんな山奥に「総合体育館」「交流ホール」の建設には、町民や反町長派の厳しいバッシングがあった。しかし、今回の大災害で、もしここが無かったら、雄勝地区のように人も多く亡くなり、人口流出が拡大したと思う。先人の政策を讃え、見習い英知を結集した政策が行政に求められる。
私が今心配しているのは、低地部への復興交付金を大きく投入した商店街形成は、将来の町を考え大丈夫かと懸念し、戸倉団地の学校整備と住宅建設は、将来にツケを残さない結果になるのか心配だ。震災時の落成を控えた戸倉小学校の体育館建設に、9千万を投じた計画も、活用も無しに水の泡となった。
色々な政策に意義を正した人もいたが、「聞く耳を持たない」ことで、無駄となった気がする。住民の税収からも出資がされているはず、もっと住民の監視も必要と思う。最終決定組織「議会」への政治工作など、町民は知るよしもないだろう。
私のこんな政治の発信には平均で5人ぐらいしかアクセスしかなく、町の改革へ等繋がっていない事は分かるが、そのままにしておけない自分がここにある。

志津川市街地の海岸道路の今


私の古き良き地区「本浜町」から大森町に向かい、旧阿部歯科医院と大森屋があった場所が、現在の8.7mの防潮堤の建設場所にあった。この道路は28年10月予定の「町開き」がされる頃に完成するのだろう? 町開きは「道の駅」と志津川仮設商店街の「中小基盤整備事業」の5年間の整備期間の終了時点で、今嵩上げが進む五日町の旧商工会跡地と朝緑商店のあった場所に、移転整備を町は先行開発をする。整備には7億前後の補助金を利用し商工観光の拠点として整備される。それと同時に国道45号と398号の整備、新井田川のルート変更など、町の交通網は大きく様変わりする。
私の換地の場所は旧魚市場の前を予定しているが、土地と外構の水道・側溝・電気などの整備が終わるには、想定から多少後退することを、私もその計画の遅延を想定し、元の土地での小さい商店ながら再開を目指している。土地登記の前に商店整備の工事が出来ると言う。
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こないだ大雄寺の駐車場の上の新墓地に、同級生の物故者の塔婆を建立した。その隣に立派な観音様が建立された。昨年の3月と聞く、本浜町の小野さんの寄進によるもので、菩提寺でのご理解の元に、津波で亡くなられた人たちの為に、自費を投じ家族の永久の供養を願い建てたのだろう。
町民の為に本気で町の将来を考えた行政の活動が、なかなか見えてこない気がする。

子供達には勉学とスポーツに励んで欲しい


車の荷台に積んである剣道の防具を見て、「まだ剣道やってるんですか?」と聞かれた。勿論と答えたが、私の剣道のスポ少の指導など町民は興味がないようだ。中学校に今夜から水曜日も追加し、気仙沼での「種目別剣道大会」の参加と高成績をめざし、夏休みの締めくくりの8月30日の大会を目標に団員は頑張っている。
中学校の下には陸上競技場と野球場が7mの嵩上げの上に整備される。400mの公認陸上グランドが欲しいが、原型復旧と公認取得にも登録料が掛かると言う。復興には大きな壁が次から次と立ちふさがる。
今日の新聞に志津川高校の「防災庁舎保存・解体」の県有化について、生徒会でのアンケートの結果が出ていた。賛成35%・反対18%で、どちらとも言えないが46%だった。反対の18%の意義と、子供達の心に残った防災庁舎の悲劇の大きさを思う。防災庁舎の調査費に県は「約1800万円」掛かると言う。町の活動は他力での資金集め的な事が多い。戸倉団地の「産業廃棄物」も県の工事で見つかったので、廃棄した業者を探すより、早期戸倉の住宅再建との町の要望を県は負った事となった。
子ども達には「自分の事は自分で」と教育目標を掲げさせ、多くの復興事業に子供達を社会勉強と引っ張り出す事は、私はどうかと頭を傾げる。中高の勉学の高度化は、将来の肥しでもある。「今やらせないで何時やるの」、学歴社会の時代に負けない体力頭脳を養う事こそ大事と思うのだが。

亡くなった職員に恥じない仕事をお願いしたい


南三陸町での過剰税金徴収が発覚した。今日は友人が来社し「俺も国民健康保険」が大きく来たと言う。また、別の友達も被災後のカップに驚き、税理士に聴くと1億も利益がないとそんな税金にはならないと言われた。先月末の「過剰税徴収発覚」と町は言う。4月の一期目の税収時点でも、私の知人が役場税務課に「おかしい」と、苦情を言いに行って間違いを発覚している。
ブログで以前にも「徴収額をチェックした方がいい」と警告した。こんな事が発覚し、新聞に掲載されるまでになった。その総額は137件3600万円にも及ぶ。町の職員が200人と自治体派遣が100人いてもミスが発生する。被災地で事業を再建し新たな人の居ない町で、私も仕事でミスとなり、その代償を迫られた。
震災だから、人が少ないからと、何時までも大震災のせいにはできない。多額の「復興交付金」20年の合併特例債延長、過疎化指定交付金・消滅都市指定もあり、地方創生資金など、町運営はやり方で余裕ある事業展開ができる。
10年・20年後は、1万人・8千人と言う。自然死と出生の人口減少が進む、ある報道では「年間25人」の出生しかならないとの数字には驚きしかない。
誰が責任をとるにしても「辞職」だけでは済ませられない。業務上の町への損害としてその償いはしてもらいたい。
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千葉のぶたか

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