「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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津波防潮堤の推移

2011-04-24 13.52.47
南米チリ国の「M9.5」の大地震で、太平洋を横断し三陸海岸を「チリ地震津波」が襲い、南三陸町に41名の死者を出し、志津川の平磯地区に5.6mの津波が押し寄せた。私の旧地区「本浜町」も一階の軒下まで津波が押し寄せたと父は言う。
入り江の戸倉折立地区にも約5.5m近くの津波が襲来し、ある人は「仏壇の上がり助かった」と言う話も聴いた。
チリ津波で志津川地区の防潮堤は「5.4m」の高さだったと記憶する。今回「千年の一度」の津波は、戸倉折立には最大の「22.6m」の津波襲来で、次に志津川地区は「21.5m」の津波の増幅の原理により、市街地を全て呑込んだ。当初、気象庁は6mの津波警報を出したが、リアスの湾入り江には21m・23mと津波増幅をした。仙台空港を見れば内陸の場所であり「3m弱」がロビーに押し寄せた。入り江と平地の差は歴然である。
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大森地区の加工場用地の防潮堤は「8.7m」で防潮堤が建設されている。ショッピングモールや土地換地の商店街は「10m」の防潮堤で同等までの嵩上げで現在工事が進んでいる。市街地の整備はこれで大丈夫なのかと私は思う。自然災害は人間の想定を絶する事を、今回の津波で把握しているのに、防災庁舎を同じ場所に残し、市街地を同じ場所に形成し、再び予想される大津波に甘いと感じる。町の総てを20m以上の高台に形成し、リアスのジオパークとして津波が再度来ることを予想し、多くの復興交付金を町民の高台生活の予算に回す事も視野に入れるべきと思う。
そうすれば住宅再建・町づくりも、もっと早くでき人口流出も最小限に抑えられ、新たな産業形成も図られたのではないかと思う。
私の暮らしていた「志津川地区」は、2052世帯が津波で被災し人口は5832人が震災前に暮らしていた。袖浜や林・大久保は入っていない。

27年5月現在、志津川地区は5711人となり減少率は「26%」で、南三陸町の中で戸倉地区と同じ減少率となっている。志津川市街地だけで「2052人」が減少し、震災死は全体で793人ながら志津川地区だけで500人前後の人が亡くなった。
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志津川市街地の運転での来町は気を付けて


志津川湾夏まつりが今月の25日土曜日に開催される。午後1時から9時まで、トコヤッサイやメッセージ花火大会が企画され、志津川魚市場通りの道路沿いでは震災前の「露店」に変わり、南三陸町の商店が出店する。
大森地区の市場入口から、はまゆり大橋から下った加工場の道路までが、祭の会場として予定されている。現在の仮魚市場の周辺が、花火の観覧の場所として利用される。会場の整備は整ってはいるので安心だ。
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旧松原からの市場までの「海岸道路」は、現在防潮堤と市街地嵩上げの建設が進行し、道路の細さと曲りくねった道が心配だ。8月4日からは海岸道路は通行止めとなり、以前の農協前から大森の市場へのう回路が整備される。石巻からの45号の右折は禁止となり、志津川の民宿や海岸部への通行は気仙沼からの左折だけと、ややっこしい志津川地区の交通事情がある。
被災地観光と町づくりの連携がなかなか取れないのが実情だ。
一日も早く市街地の換地が成されれば、町の状況が変わるが、五日町の「ショッピングモール」と「道の駅」の整備が、28年10月を目指して工事は進んでいる。十日町と本浜町の旧市街地の商店換地は28年度末以降の計画で、ぎりぎり私の仮設商店も29年の夏まつりに合わせて整備しようと思っている。
小さな夢の達成はまだまだ先のようだ。

南三陸町の被災者の住宅再建事情


防災集団移転の12団地の余り・残った・取りやめた42区間が、土地の希望公募が「まちづくりニュース」に掲載されたていた。造成引き渡した団地の他にや、現在造成が進む団地などに、町に登録した住民の希望は受けない。
志津川地区の3地区「334区画」は入っていない。そのうち15区画の東工区東は既に希望者に引き渡されているが、今後に希望者の他所への変動が無い事を願いたい。
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そんな中で町内では個人の造成による「土地販売地」もあり、住宅建築が進んでいる。町の防集も土地の整備が終わると登記前から、住宅の建設が可能との話も聴く。なんで町造成地を希望しなからも、取りやめ個人の土地造成に被災者は動くのか。
その理由に造成完了が遅い・立地場所が意に添わない・土地価格等の諸々の問題で、自己防衛で終の棲家を決定している。行政の影響・思案など何の抑制も関係ないようだ。
気仙沼のある土地は坪単価「2.5万」と言い、借地も100坪当たり「年1万円」足らずと聞く。我が町は「坪5.5~6.3万」で借地も「月5千円」と、被災者再建には大きな影響として重圧となっている。
しかし、昨日の「寄木・韮の浜団地」「平磯団地」の様変わりは、町民の早く安心できる家が欲しいが表れている。被災者再建の補助制度も色々あるが、それだけで直ぐに家が建てられるかと言うと、私の周辺を見ても大変で、借地希望者が多いのも、平屋の建設などが、その理由の現れと思う。
28年度の町の土地造成も終わり、引き渡しとなった後の建設ラッシュが目に見える。

土地は高いし 住宅建設も高い


写真は津山町柳津の中心にある建売だった。震災の1年目には土地開発会社が6区画を整備し、あっと言う間に売れた気がする。1400~1650万円で、土地は50坪前後で、総二階で約18坪の二階だった。志津川の高台に当てはめると土地は坪6万で360万円となり、建設費は現在坪65万円で35坪として単純に1950万円で、合計2310万円となる。当時としては買い得で、戸倉から5世帯と歌津1世帯が入居となった。
東浜団地で100坪「6万」として600万円、住宅は親子2世代が住むとても、40坪は必要となり65万円で2600万円となり、合計3200万円だ。被災し全てを失った町民再建は、厳しい現実が待っている。
浄化槽と水回りは200万掛かり、浄化槽補助は40万円で、大きな補助金としてはり災加算金の「200万」がある。県・南三陸産材補助もあり最高100万円の補助だった気がする。ローン金利補助は450万円までながら、最高で80歳まで組めるが精々「75歳まで」だろう。その他に引っ越し資金支援や太陽光支援補助もあるが、さらなる出費となる気がする。外構工事としても経費が掛かる。私は舗装で120万掛かり、庭の整備とて50万以上の経費が必要となる。
土地が整備引き渡されても大変な建設費が予想される。何でもっと町の補助を出す事ができないのか? 他の地区移転の方は土地代も建設費も安いと聞く。ここまで待ったのに住民が「南三陸町で暮らしたい」との、最小の町民の願いを町の復興計画はまるで考えてない。
家族で共に苦しみ最悪の状況になったら、誰が責任をとるのだろうか。行政にきまっているが、その時にはもう首長は居ないかも知れない。町民の自己責任にしては酷過ぎる。復興交付金は町民の為に使って欲しい。騙されないで!

観光の案内拠点?


志津川復興商店街の隣に「アムエ」の義援金数千万円の義援金により、「南三陸ポータルセンター」が建設されたのが2年前頃だった。
町づくり協議会の会議場として、町外から来た方の意見交換の場として、商工会の補助制度説明会場など、会場の利用開催で私も出向いた。その他にも町づくりの会議場して、報道などでその名称が出て来る。隣の建物は南三陸町観光グッズや被災し新たな仕事として制作した商品が販売され、観光バスの大型駐車場もあり、商店街に来た方々が、復興の支援と情報収集に訪れている。これから夏本番となり多くの来町者を迎える事となる。
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ポータルセンター前は木材チップが散りばめられ、その場所には木製の子供たちの遊具が設置されている。取り囲むように「切子」の盾もあり、南三陸町の復興を全国に発信している。
知人から聞いたが、旭ヶ丘団地下を整備し、事業所の再建の構想があり、浸水域の活用が実現となりそうで、ここで登米市での営業から地元へとの帰郷を図っている方もいた。
人口が10年後に9990にまで減少し、1万人を割る。観光だけで町が維持できるだろうか。高齢化が40%を超える町で、子ども達が3割からの数で、「観光立町」の実現は叶うだろうか。キリンが南三陸町に「6千万円支援」し、ホヤや銀鮭の加工に参入する。町民の若者が新たな事業を展開するのなら良いが、既存の商店が新たな拡大へと震災復興の名の元に、突き進む町再建で良いのかと心配する。

ドームで震災遺構を覆わない


防災庁舎の県有化について、受け入れる事への確認の回答書を村井知事に渡した。
1.町は解体方針を保留し、保存の是非を改めて検討する。
2.保留期間は震災から20年間の平成43年3月10日まで。
3.保留期間中は県に譲渡し、県が維持管をする。
4.具体的な取り扱いは町と協議して決定する。
ことを明記した。
冷静に議論をと言うが、実質的には「保存」と言う事で、若者達の求めた「町民間でもっと冷静に議論を重ねて」と言う請願ながら、「解体」と町民が議論の果てに結果を出しても、保存する事はくつがえらない。
今回の請願者は何処まで考えていたのだろうか。大人はこんな行動を利用した節が多分にある気がしてならない。

他人まかせの財政


ギリシャの債務不履行が現実となった。首相の債務を支払う事に国民も「NO」と言う。
ギリシャの国民性と国の体質がある。公務員は4人に一人で報酬は企業の1.5倍と言う。こんな政府の支出がある中で、納税意識の低さが国民にあり、これにより財政破たんへと繋がった。厳しい財政の中で、EUからの借り入れは約17兆円あり、政府はこの借金を払えなく、「棒引き」での要望をEUにしている。こればかりでなく色々な世界銀行や国々からの借り入れも払うつもりの無い国の首相の、責任の無さとこれを指示する国民がいる。これで世界に通じる国家かと言うと違う。国民の中の公務員25%があり、自分達への増税と報酬減への反発は、自分の事しか考えない体質を露わに出ている。
我が町の行政の施設は補助金や義援金が多く使われている。ポータルセンターは「アムエ」、図書館は「オーストラリア」、病院・役場は「赤十字」などがある。
町民は国の支援はあるものの、自己での申請により助成・補助を受けられるが、町独自とは言っても国県の交付金の活用であり、町独自の資金の捻出によるものではない。
もっと町民の再建は、町づくりの根幹である。将来への投資としての考えが低く、自治体の職員意識の薄さを感じる。もっと町民再建に大きな支援が町には必要だ。
身の丈に合った町づくりで、継続的な町の存続を図るべきと思う。「大胆な町づくりは街を救う」との考えの人も多く、将来への「ツケ」とならないようにと懸念する。

防災庁舎異例の津波安全対策は


川をさかのぼる津波を目の当たりにした私は、この場所での防災庁舎保存という事に、大きな不安でいっぱいだ。
見て判る通り1mも無い防災庁舎焼香台があり、観光客の突然の津波発生にパニックが予想される。たった今も震度4に近い直下型のような地震が発生した。地震から津波の対応も知らない観光客の、津波警報の発生した場合、防災庁舎のこの場所からは、大型バスでの避難行動は難しい。
「県有化」は良いが、早期の津波対策を講じないと、避難しようとした人々のパニックによる、けが人などを心配する。これまでもそうだが、来町する方は、津波発生の心構えはしておいた方が良い。防災庁舎のある志津川市街地の整備は、29年~32年頃で津波が来ない保証はどこにもない。

「県有化」決定に!


今日午前に45号のう回路から入った普通ワゴン者が、防災庁舎前で右往左往していた。南三陸町の被災地のシンボルへの慰霊者の訪問に対し、道路の整備を早くお願いしたい。来月は5回目の8月の地元のお盆月となる。
「政治家はそこまで頑固なものではない」と、「解体」「保存」のこれまでの決定の紆余曲折を言い切る。苦渋の決断、20年の県有化で、遺族に説明の場を、後世に語り継ぐ等、この結果に対する記者への説明をした。決定理由は「落ち着いて議論すべき」の請願の議会の採択、「住民意見の14%の解体支持」など、その理由に上げる。しかし、「県有化」により維持財源が県より支出があり、防災庁舎を移譲する事で、町の財源を出さなくても済む事が一番の決定理由だろう。
被災者遺族の対応はテレビの報道で見る限り冷静な態度と思う、「保存」を覚悟していた感がある。双方は大人である。私はこれまでの経緯を納得はしていない。原点は何処にあるかを、これからも自分なりに、総ての面から町づくりの在り方を考え、今後も発信していきたい。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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