津波防潮堤の推移

南米チリ国の「M9.5」の大地震で、太平洋を横断し三陸海岸を「チリ地震津波」が襲い、南三陸町に41名の死者を出し、志津川の平磯地区に5.6mの津波が押し寄せた。私の旧地区「本浜町」も一階の軒下まで津波が押し寄せたと父は言う。
入り江の戸倉折立地区にも約5.5m近くの津波が襲来し、ある人は「仏壇の上がり助かった」と言う話も聴いた。
チリ津波で志津川地区の防潮堤は「5.4m」の高さだったと記憶する。今回「千年の一度」の津波は、戸倉折立には最大の「22.6m」の津波襲来で、次に志津川地区は「21.5m」の津波の増幅の原理により、市街地を全て呑込んだ。当初、気象庁は6mの津波警報を出したが、リアスの湾入り江には21m・23mと津波増幅をした。仙台空港を見れば内陸の場所であり「3m弱」がロビーに押し寄せた。入り江と平地の差は歴然である。

大森地区の加工場用地の防潮堤は「8.7m」で防潮堤が建設されている。ショッピングモールや土地換地の商店街は「10m」の防潮堤で同等までの嵩上げで現在工事が進んでいる。市街地の整備はこれで大丈夫なのかと私は思う。自然災害は人間の想定を絶する事を、今回の津波で把握しているのに、防災庁舎を同じ場所に残し、市街地を同じ場所に形成し、再び予想される大津波に甘いと感じる。町の総てを20m以上の高台に形成し、リアスのジオパークとして津波が再度来ることを予想し、多くの復興交付金を町民の高台生活の予算に回す事も視野に入れるべきと思う。
そうすれば住宅再建・町づくりも、もっと早くでき人口流出も最小限に抑えられ、新たな産業形成も図られたのではないかと思う。
私の暮らしていた「志津川地区」は、2052世帯が津波で被災し人口は5832人が震災前に暮らしていた。袖浜や林・大久保は入っていない。
27年5月現在、志津川地区は5711人となり減少率は「26%」で、南三陸町の中で戸倉地区と同じ減少率となっている。志津川市街地だけで「2052人」が減少し、震災死は全体で793人ながら志津川地区だけで500人前後の人が亡くなった。
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