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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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八幡川沿いの風景は大きく変わるが時間はまだまだです。


今日、しばらくぶりで志津川小学校仮設に行き、駐車場から本格化する河川堤防の工事状況を見て来た。市街地の大きく変わる町づくりの状況に、今後の姿を見るまで生きていられるだろうかと、年老いた父親と話す事が多くなった。

27年5月末の南三陸町の人口が発表された。人口は「13990人」となり、震災前から志津川地区は5711人で2112人の減少となった。戸倉が1693人で603人が減り、歌津で4545人で516人が減少した。大震災の大きな被害が無かった入谷地区は、市街地の住民が入谷に土地を確保し家を建て移転し、桜沢の災害公営住宅の入居もあり、2041人と157人が増加した。もう落ち着いた状況となり、住民の移転は無いような気がする。後は登米市を中心に町外への流出が続く。
震災後当初、行政は「入谷地区を移転場所に希望する人は無い」と言い放った事を思い出す。入谷地区を一時的な志津川の二次避難場所とすれば、こんなにも人口の減少は無かったと今も私は悔やむ。スーパーや診療所など応急で建てる事は、被災住民の生活を守る、町を存続させると言う国の政策による復興交付金を活用し、10億から30億と投資はできたが、地区の議員さんは「行政と共に」と、その活動への意欲は皆無だった事を思い出す。
中の町地区の広い水田の被災者への土地活用で、人口の減少は最小限となり、第二の志津川地区が誕生していた。
私は今も町再生の検証を続けているが、今となってはただの戯言にしか聞こえない。
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