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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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旧高野会館から


震災時の瓦礫焼き場は、色々な変遷を通して、今は高々と山の土取り残土が積まれている。この辺は「親水地区」としての活用がある。築山や自然活用センターなどの、「ビジターセンター」とした人口交流の場所と防災対策現場として、来町者の安全を確保する。築山は200人の津波避難所として、20m高さで整備が進められる。

バスがどうやって防災庁舎まで行くのか? こんな疑問を持ちながら八幡川右岸を通行していた。今日、スタンドで「どう行くの?」と聞くと、「旧高野会館の前の砂利で整備した所から入る。」と教えられた。大型トラックに混じり入ったが、嵩上げの急坂が目の前にそびえ、どこから防災庁舎前に行くかは確認できなかった。
何の看板も無く、「普通車一方通行」とあるだけ。これから市街地の復興の中で、防災庁舎の「県有化」もあり、夏休みの「教育旅行」や「観光支援」の交流人口が増す。しかし、その対策を何も取っていない南三陸町と思う。ホテルや旅行会社にはその通路の情報提供をしているのだろうが、もっと親切で丁寧な案内板をお願いしたいものだ。
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八幡川沿いの風景は大きく変わるが時間はまだまだです。


今日、しばらくぶりで志津川小学校仮設に行き、駐車場から本格化する河川堤防の工事状況を見て来た。市街地の大きく変わる町づくりの状況に、今後の姿を見るまで生きていられるだろうかと、年老いた父親と話す事が多くなった。

27年5月末の南三陸町の人口が発表された。人口は「13990人」となり、震災前から志津川地区は5711人で2112人の減少となった。戸倉が1693人で603人が減り、歌津で4545人で516人が減少した。大震災の大きな被害が無かった入谷地区は、市街地の住民が入谷に土地を確保し家を建て移転し、桜沢の災害公営住宅の入居もあり、2041人と157人が増加した。もう落ち着いた状況となり、住民の移転は無いような気がする。後は登米市を中心に町外への流出が続く。
震災後当初、行政は「入谷地区を移転場所に希望する人は無い」と言い放った事を思い出す。入谷地区を一時的な志津川の二次避難場所とすれば、こんなにも人口の減少は無かったと今も私は悔やむ。スーパーや診療所など応急で建てる事は、被災住民の生活を守る、町を存続させると言う国の政策による復興交付金を活用し、10億から30億と投資はできたが、地区の議員さんは「行政と共に」と、その活動への意欲は皆無だった事を思い出す。
中の町地区の広い水田の被災者への土地活用で、人口の減少は最小限となり、第二の志津川地区が誕生していた。
私は今も町再生の検証を続けているが、今となってはただの戯言にしか聞こえない。

こんな写真に「あの時もっと強く」

101118_162605防災庁舎
3月の記事に業務上過失致死の告訴を立件見送りとの記事を見つけた。遺族は「何で高台に避難させなかったのか」と、いまだにその思いを強く持つ。
被災地の震災復興の加速が目に見える形で現れ、その行政の取り組みに対し「頑張っている」と敬意を図るようになってきた。何処の自治体も震災復興取り組み、それが国事業だったり県の事業として進んでいる。町は復興交付金の事業政策を国県に伝え予算を確保し、国県が計画した事業と町の公的施設の再建に全力であたる。当然の事ながら町民は首長に喝采を送る。
しかし、昔のような人との繋がりは希薄となり、多くの町民が町を見限り故郷を捨てている。町の住宅再建と土地の整地の遅れと、高値での土地の買い上げや補助事業も、住宅再建に「り災加算金200万円」があり、ローンなどの金利補助・浄化槽設置がその中心で、水道・引っ越し・ソーラー設置・地元材活用などの補助助成を受ける人は少ない。
家を持っていた住民は、高齢化も進み住宅建設は叶わず、見舞金の全壊などの100万円にとどまり、災害公営住宅の入居と多くがなっている。見舞金・義援金は生活の一部に充てるだけでなくなってしまう。もっと被災住民への手厚い町からの支援を求めるが、「何もない」と住民から返って来るだけだ。
それに引き替え農業・漁業の緊急雇用や、頑張る漁業など、町民の基幹産業への支援は大きい。商業関係とて「雇用を生む」との観点から、国の支援は大きく、町からの協力や後押しのある事業所は、復興特需となり震災前より大きな事業展開を遂げている。震災復興下の事業所も、震災前の厳しい経営から一転し、大きく発展した事業所をみると、その業種の内容により格差を強く感じる。
町民の少ない働き手のいない町の事業所の、震災復旧後の発展はない! また、トップの政治判断に間違いを指摘する。失敗となったら辞職すれば、その責任から逃れられる事は絶対許せない。取り巻きの「仲間」と言われる人たちの責任も同等に思い。誰かが「違うぞ」と助言する、本当の仲間は居ないようだ。独裁の町になりつつある。
公平・平等な、町民皆が明るい笑顔の町へは戻れそうもない。

防災庁舎の保存再検討に


防災庁舎は請願の採択を賛成多数で可決し、請願者の「時間を掛けて町民で議論し考えるべき」とし、「県有化の受け入れ」を求める請願の内容が、議会の起立により採決で9対6の賛成多数で採択された。
請願紹介議員は、後藤委員を先頭に、小野寺・佐藤正明・村岡の4人の各委員だった。初めに請願の紹介議員が一人ずつその理由を語った。「時間が経ちもう一度冷静に議論すべき」と同様の意見だった。15名の委員がいて、議長に発言権はなく3人の委員が発言なく委員会の推移を見つめて、結果的には賛成多数の採決となった。
反対討論では三浦委員が、「請願としていかがなものか」と、議会への請願の中身の不備を根拠に意見を述べ、賛成討論では、後藤委員が請願紹介となり「議論を深める事と解体・保存だけではなく、後世に何を残すか議論を尽くすべき」と、涙の訴えをした。最後にタブーな言葉ながらの発言と前置きをし、「防災庁舎は遺族だけのものだけではない」と言い放った。私はイイ方があるのではないかと思った。「みんなで悩み続けましょう」「避けて通る問題できではない」と最後を締めた。
私は政治家としてふさわしくないのなか? 涙と情に流される。やはりあの場所での保存は反対で、双方が納得できる形を執行責任者である町長が、打開策を提示すべきと思う。
傍聴席で参考人の若者達の生き生きとした発言と、特別委員会の各々の委員を町長の影響力と与野党としての視点から見ていた。新人議員の今回の数の論理を生む為に、裏で緻密な工作があったと勘ぐる。しかし、これが政治と国会の与野党の構図からも判断する。
参考人の若い3人の発言は立派だった。政治力に流される事ない意見に、これからはこんな若者の時代と思った。委員会で所々での委員間の綻びが発言にあり、一体だった議会の分列を思った。前議長・副議長の中立の立場での発言、委員会を締めた対応に、素晴らしい正副議長と共にいた事を感謝したい。今後はどうなるか議会体制に不安と、しこりの回復を懸念する。

自己防衛


全国でも「4割増し商品券」は無いと言う。予算は国が緊急経済対策とした「地方創生型交付金」からの支出する。
6月7日ベイサイドアリーナでの販売には、9時には200名が行列となり、早い人は1時間30分前に並んだ。
私は昨日に歌津地区の「うたちゃんショップ」に買いに行ったが、3時までとあり昨日の購入は諦めた。
7日の販売ながら志津川の仮設商店街にはプレミアム商品券で買い物をする方が既にいた。人づての話しながら町外の人も買っていたとの話に、南三陸町住民しか商品券は買えなく、色々考えたら町の買った方から、町外の親戚・友だちに譲渡され使われたのかと想像する。
写真のチラシはコピーした物で、手元には引き替え申込み書となるのでない。私の家はチラシには「0801」と記されていた。今回の予算は3980万円で、私のプレミアム商品券は1万円が「1804」で、5千円が「2071」だった。商品券の販売状況を通し番号から判断する。4千円と2千円の割り増し、合計で1135万8千円が既に消化され、私は商工会から買い、3カ所での販売だと「3407万4000円」が計算上だとなる。
残り少なくなっていると見た方が良いだろう。めったにない被災地での「特典商品券」、買わない手はない!
私も「無理して買わなくてもいい」と思っていた。しかし、生活も決して楽じゃなく、会社経営も順風満帆とは言えない。生活の自己防衛として今日買い求めた。5万円で7万円、2万円の上乗せはありがたい。
あくまでも私の想像です。購入希望の方は今直ぐに買いに走って下さい。しかし、今日の販売は終わっています。明日にでも!

一人ひとりの遺族の悲しみは防災庁舎が存続するうちは消えない


遺族の悲しみはこうしてメディアに取り上げられ、防災庁舎がテレビで映し出される事で、また悲しみの再現となる。遺族の母の「あそこを見るたびに悲しく辛い」との涙と言葉に、私もブログで「防災庁舎」の写真掲載に罪悪感を持った。
「保存」「解体」の議論は遺族の為ではない所に話題が移った。村井知事の「県有化」は県益の為であり、震災遺構を後世にという事や、防災意識の風化防止を図る為である。と言うが、解体し無くなっても、そんなに町の復興には関係しない。町の疲弊は進み観光客も何時までも来町する事はない。いまの殉職家族の心を癒す事が、行政職員のトツプとしての役割である。また、「自分たちの為に町長は生きて欲しい」との同じ屋上でした、職員の肩車にその気持ちをくみ取る。それなのにその家族への仕打ちに私は許す事はできない。町外の人間が「保存すべき」の意見や言葉に、真実の職員の行動への気遣いは無い。行政は職員の家族の意に添う防災庁舎の在り方を考えて欲しい。
雲仙普賢岳の大火砕流の火山灰に埋もれた姿の保存を議会総務常任委員会の視察で思った。20年目を経過してメディアも当時の惨劇を報道で流すが、家の埋没と観光地として、大切に火山灰の家の世帯の了解の元で保存していた。
防災庁舎は町長・知事の物でもなく住民の物で、人として職員の防災活動での亡くなった場所、何も無い鉄骨の遺物に何人の来町者とお金が町の落ち、住民サービスにプラスとなるだろうか。財政の厳しい町にとって県有化に、町の再建経費負担を県に負わせる為の、町長の住民意見のせいにした、「県有化」保存への目論みにしか感じない。

議会傍聴「防災庁舎解体是非のパブリックコメントについて」


しばらくぶりに議場の入り傍聴した。
今日の午後1時半からの特別委員会に、メディアのカメラ5台と新聞記者が10名近く、傍聴者が10名余りで席はいっぱいとなっていた。
山内孝樹委員長の開会の言葉で、パブリックコメントの説明が執行部よりあり、議事に入った。後藤委員の「県有化決定のような報道、町長の発言したのか」、次に高橋委員は「出したくても出せなかった人がいるのでは」、及川委員は「提出のパーセンテージは」があった。4人目は三浦委員で「県有化が決まったかのような町と議会の報道に対して」「町のHPを見れる人が何人いるのか」「経費はいくら掛かったのか」の質問があり20分間の休憩に入った。
休憩後、ホームページの紙ベースの住民意見を配布、新聞社への抗議文が提出された。次に阿部委員が「パブリックコメントの開封は誰があたったのか、第三者が開封に立ち会った方が良かったのでは」と質問した。
質問者は5人で、解体すべきと改選前の意見の方が3人と、新人2人が質問者だった。他の10人の委員は質問はしなかった。町内に留まらず県内外での話題の的となっている南三陸町の大問題、もっと議員の活発な議論があると思っていた。
委員長がこれで特別委員会を閉じますとの発言に、要望書を出している議員の方が、「閉会を承服できない」と発言があった。他の議員の数名は退出し、一人の議員と委員長の間でやり取りがあったが、閉会した。「陳情を出した一人と」、納得がいかないと議員が委員長に詰め寄った。
これが議会の今日のやり取りだった。執行部側の対応はこれまでの多くの議論と同じで、行政の正当性を述べるに留まった。

大災害前の予兆を感じ防災対策を


我が町にも大災害前に津波が、チリでの地震より発生した。発生のメカニズムは違えど、世界的規模の地核の変動の予兆として感じ、津波対策を講じていれは、対策本部の場所を真剣に議論しておけばと、今考える。「誰もそんな事はしない」と言うのではなく、優秀な行政職員の英知の結集も天災に対する考えは、普通の人と変わらなかった事に繋がる。
35年のチリ地震津波が5mの波高が、再び襲来したら、海抜1m足らずの防災対策庁舎はひとたまりもない。対策庁舎の移転・移築の時間は充分にあったのに、行政トップとして当然対策取るべき事業であった。
今回、鹿児島の屋久島の口永良部島の火山の噴火があった。島民は一年前の火山噴火があり、噴火・火砕流などの影響のない場所を避難所とし、防災訓練を島民が全員参加し幾度も実施していた。今回の突然の大噴火ながら、一人の被害者も出さなかった。島の住民が本気で火山噴火を考えた避難対策がここにあった。
危機感の薄い自然災害の驚異を軽んじ、観光に特化した政策の方向性のミスがあった。町長も普通の人だった事になる。
南三陸町は多くの死者・不明と、人口流出に大震災が繋がり、町存続の危機を今迎えている。
口永良部島の住民の天災への対策に学び、南三陸町の大災害を振り返った。行政・議会には救世主はいなかったようだ。
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Author:千葉のぶたか

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