「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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南三陸町への支援「ありがとうございます」を伝えに


大阪府印刷工業組合60周年記念式典・祝賀会が、ホテルオオタニ大阪で開催され、会場には組合・来賓・関連企業など400名が集まった。
「友好支部締結」をして頂いた、「東大阪支部」は46社が加盟する組織で、宮城県本吉・気仙沼支部は6社加盟の小さい支部で、東日本大震災の被災地支援で、地元同業者支援に留まらず、被災地の宿泊や買い物を、来町の度に支援し、東大阪支部のイベントでは、南三陸町の商店販売の品々を、商品として支部会員に配った。
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永谷支部長さんの支援の熱意には、アイデアも含め頭の下がる思いだ。そして、今回は被災地支援として大阪印刷工業組合の吉田理事長から、これまでの功績と活動貢献に感謝状が贈られた。
祝賀会では400名の参加者を前に、大阪の有名司会者が「南三陸町の方々が来られています。皆さんのご支援をお願いします。」と、会の途中で紹介してくれた。
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少しは被災地「南三陸町」を大阪の人達に伝えられた。大阪府印刷工業組合東大阪支部、そして、永谷支部長さんと会員の皆さんの御支援に感謝・感謝の二日間だった。
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震災復興の総てが見える写真


八幡神社から上山緑地公園に向かう、志津川保育所の前から志津川高校の方向を望んだ。
国道45号のう回路を眼下に見て、その後ろの赤土は「町開き」の旧五日町のショッピングモールと道の駅の建設計画の場所です。遠くの志津川高校は生徒数の減少が進み、学校の裏山は造成され、森林は伐採され山の赤土が露出し、海の青と山の緑の志津川地区の自然が、住民の新たな生活の為に破壊されている。
国道398号は橋脚建設された。その向かいの道路から橋が建設され下の国道と合流する。八幡川の両側の河川堤防の建設が進み、観光バスが防災庁舎に入る南町と汐入の川沿いの道路も、「通行止め」となり、観光客の出入りが現在できない。
8.7mの河川堤防は、これからの発生を予想する、津波の通り道となり、今回の大津波の勢いはさらに増す事を私は予想する。志津川小森地区で止まった16mの津波も、もっと奥へと進行する想像を私はする。
防災の河川整備は政府の試算によるもので、果然堤防が設置されても津波の増幅にはならないと言う。自然の脅威を軽んじる考えで、更なる人災となる事が心配だ。
高校下の14mも高い場所にあった「福祉の里」は全壊し、現在は南三陸農協本所建築が進み、気仙沼と南三陸の営農拠点が建設されている。
右側の橋脚の先には道路の高い部分が見え、その下を気仙沼線の走っていた、津波は高架橋を遥に高々と越え、家々を呑込み運んできた光景が、脳裏や網膜に恐怖映像として残っている。向こうの「旭ヶ丘団地」には、200世帯がありここだけが市街地で、地域として高台にあった為に存続した。もしここも奥地の低地部にあったら、志津川地域の町の市街地と町の住民は、もっと厳しい事となっていただろう。
残った旭ヶ丘地区の被災地での被災者支援は、志津川高校への「炊き出し」は、山を越えて届ける地区民が活動した当時の事を思い出す。私もこの場所に家族で逃げた一人だった。炊き出しの「おにぎり」は口にはしなかった。口から物を取る事は「水」だけだった。自販機も電気が無く買う事もだきないのが現実だった。
この写真だけでも多くの被災後を思い出し、今の現状を伝える事が出来る。

何処の自治体である事だった


大震災の対策本部となった「ベイサイドアリーナ」から、志津川地区の東地区西工区の現在を撮影した。
工区の中にポツンと「あさひ幼稚園」の施設が見える。現在は休園しているようで、大雄寺の墓地駐車場に高台移転工事が終わるまで、狭い場所での幼児の活動を余儀なくされている。今後は写真の同じ場所を整備し、開園すると聞く。
大型トラックはこれまでの稼働から、現在3割増しとなり被災地の復興を加速している。役場の入口の沼田信号は朝夕の大混雑が発生し、東工区・中央区の工事車両の片側交通により、更なる混雑が発生している。片側通行の旗振りが突然出現する。よそ見運転は絶対やめて欲しい、大事故の発生は、また大渋滞と繋がる。こないだも気仙沼市本吉の大型トラック同士の交通事故は終日通行止めとなり、旧国道45号を始め内陸への道路は、大きく迂回をする事となった。

叔母の話に驚く。現在暮らす町でも「パワハラ」「セクハラ」があったと言う。大衡町の町長が職員の告発で、セクハラの事実が公表され、選挙への出馬を断念し、3世代の町長の歴史に幕を閉じた。しかし、町長は裁判で自分の潔白を主張すると言う。叔母の暮らす町でも選挙があり、親戚同士の町長選挙となり現職が落選した。「パワハラ・セクハラ問題が私の町でもあった」と叔母は言う。選挙は接戦だったが結局は現職が落選した。対抗馬は気仙沼市でボランティア活動をし、仮設商店街の運営をしていた。
我が町も被災前に水面下で職員へのパワハラ・セクハラが囁かれた。現在は町の再建に行政・住民も奔走しての活動・生活で、震災前の問題は何処かへ行ってしまった。「これで良いのか」と私は今も思う。色々な自治体での、弱い立場の者が泣きを見るこんな行政トップは在り得ない。自分に服従する者を自分の近くに置き、反発する職員は「左遷」し、定年前に退職する理不尽なケースが発生している。
町のトップの長期政権に付く事で、問題の発生があるようだ。安倍総理も数の論理で、自分の理想を掲げそれが日本を守ると言う。「議会制民主主義」で、選ばれた総理の行う事で仕方がない。民意が決めた事と言えばそうなる。選挙は若者離れが今後も進む。

この現状は誰の責任 町民、町長。


気仙沼市の人口は67000人余りで、死者不明と人口減少で1万人近く減少している。4月の人口動向では87人が減少したのに「103世帯増」は、災害公営住宅の建設戸数が入っているからなのだろうか。鹿折地区の41人減少が最大で、唐桑・大谷が16人・10人と減少の大きい地域となっている。気仙沼地区でも震災で土地の造成や復興が遅れている場所の減少が大きいようだ。
南三陸町の今月の町広報では、人口が14068人で4653世帯と、3月の人口動向は、13人の減少に留まった。出生は11人で死亡は12人だった、少しは落ち着いてきたなら安心できるが、志津川市街地の造成整備も28年度と言う中で、派遣職員や工事関係者の流入がこの数字に表れている気がする。本格工事は後2~3年との予定ながら、復旧から復興期間が終わると、人口推移の1万前後の減少というのは、本当の調査予測なのかと疑問さえ抱く。しかし、人口減少統計は多くの調査の元で、大きな間違いがないものである。
遠藤副町長が辞職し、幹部の職員も退職し、こうした職員は職を離れれば町の復興活動や、町の再建にどのように関わり、計画の進行や推進を指示してきた。その予定どおり行かなく、町民への損害となった場合、復興計画の推進役としての責任や、退職後の町づくりへの協力者として、関わる努力の義務を感じる。
行政トップの指示だからと言い逃れるだけで良いのだろうか。町の職員として自分の考えを言えない幹部職員の、これまでのトップへの気遣いだとしたら、町民の公僕としての南三陸町の職員だとしたら、間違いなく公務員として失格だろう。不法な左遷や影響力があったとしたら、大衡町は女性職員の状況と同じだと判断するしかない。パワハラがあったと、不当な移動を聴いて、小さからず現実と私は確信している。いくら考えても町民が選んだトップの判断だからしょうがないと、私は思えない。

他の観光地に学ぶ


町は観光で新しい町づくりをすると言う。ショッピングモールや道の駅を造り、観光客が回遊する町づくりで観光地を目指す。そこに南三陸産の海産品を加えお客様を「おもてなし」する。

加美町のやくらいリゾートに行った。「薬師の湯」があり、パークゴルフ場・フラワーガーデンがあり、勿論、産直の「道の駅」もある。わさび定食、わさびアイス・米湖麺もある。また、やくらいビールも美味しい。15年前にやくらいゴルフ場に行き、3種類のビールの飲み比べをした。その味は普段飲むビールとは違う味を今も覚えていた。震災後に「防災庁舎ビール」があったが、在り得ない企画を絶対忘れない。温泉であり5種類の入浴ができた。2時間で全ての施設を体験した。連休で駐車場は満車で、一番遠い駐車場までいっぱいだった。野菜などの特売所もお昼前には、2割が完売し追加で農家が補充をしていた。
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色々な業種が共に助け合い営業をしている。雇用の人数も見当が付かない、家族連れが8割ぐらいで、地元や近隣から買い物客も多かった気がする。「今日はいっぱいで何もないや!」と、帰る客や地元の高齢者もいた。温泉に浸かりビールを飲み、休憩所で一休みこんな休日は、地元民でも楽しいだろう。
今度は秋保と作並・鳴子に「日帰り温泉」でもしようかと計画している。南三陸町からの脱出、こんな事が何故起こっているか考えて欲しい。なーに! 一人ぐらい他に行ったって、こんな考えは町を守れない気がする。連休に仲間5人で会を催した、地元の魚屋さんの船盛りは豪華でやっぱり最高に美味かった。
また町内で仲間と飲む会を計画している。南三陸町の良さを独り占めする町の体制には、最後まで反発し続けたい。

ご苦労様でした


最後まで残っていた本浜地区の家が無くなっていた。こないだまであったはずの津波にも壊れなかった家、多くの悲しみの中の決断だったのだろう。
志津川市街地の本浜町、昔の思い出を辿るのも新井田川に残る橋と、旧市場前の作業場と低くなった旧防潮堤だけとなった。昔のままで振り返るとそこには高く積まれた、赤土の山だけがある。今年にはその前にもコンクリートの防潮堤が建ち、防潮堤に嵩上げされた土地が繋がり、新しい市街地の土地ができる。そして、新しい換地された場所に商店街と加工場が建築される。
私も換地だがそれまで生きられるだろうか。買い上げとならなかった分を、早くあらゆる手を使い回収を図ろうと思う。細やかな抵抗は強大な国・県・自治体にはかなわないが、町の為と考えを変え、未来の子供達が暮らせる、輝かしい町並みを創造して欲しいとの願いへと移った?

大震災の予感の暗示

23年3月11日のブログを見て驚く、多くの災難の回避が時々私の身に起こる。皆さんもだと思うが、偶然ではなく普段の生活の中で身につく物と私は思っている。大震災を前にこんな事を暗示するかのようなブログを書いていた。
2011
03/11
津波襲来

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昨日の三陸沖地震の被害調査は未だと言う行政、半面、デジタル化となった無線関係の不備・故障が歌津地区であった。漁民からの有事の際の高額を掛けた行政の取り組みの事故に、地区出身の議員からは、税金の間違いない活用をと発言で、「新設置された不具合の器具は返すべき」と強い口調で、担当者に注文を付けた。国からの補助はあるものの多額の町民の「血税」を活用しての、行政の仕事!「防災の町」をアピールしている事を思うと、地震・津波対策への取り組みに欠ける。また、「新町舎」の耐震にも不安を感ずる議員も多いが、行政の「取り組む・努力する」との言葉に終始する町長の発言に、議員との活発なやり取りがあり、議場は緊迫の様相となった。議会議員の意識は確実に「改革!」への動きに向かう。「悪しき古き町政業態からの脱出」となる事と、3月に14人の退職者と4人の新職員による新体制での行政の刷新に、意識の改革に、町民全体を考える体制で臨んで欲しい。
 
 昨日の「津波襲来なし!」との漁民以外の町民の意識が強い。テレビでのワカメ養殖施設や牡蠣いかだの影響があり、知人は「海に行くのが怖い」という。漁師の多忙の次期、一日の間をあけ今から施設を見に行くと話していた。
 行政の津波の襲来状況説明に、65㎝の潮位上昇があったと報告された。大船渡の60㎝の一波目のテンビ情報があり、国の潮位観測点はこの辺は「鮎川」と言う。歌津地区の議員からの消防団の情報だと、131㎝の報告を受けたと言う。同僚の漁師をしている方より、「それは潮位の上下値」と説明を受けていた。そうだろう130㎝の津波なら、被害発生や目視でも津波を容易判断できる。「我が町」では第4波が最大の物だっと言う。テレビの「1波よりその後の波が大きくなる」との、情報は間違いがなく、引き波・寄せ波の相乗効果がここにあるのだろう。

 昨年の2月の津波・猛暑・爆弾低気圧の、「我が町」への度重なる自然気象災害は、漁民に大きな減収と施設修理の、更なる負担・苦悩があり、こうした状況に「漁師離れ」を懸念する。昨日の農林水産業費に議論が集中した。この部分に精通する議員の厚い追求に、「簡略に!」との委員長の言葉に、それぐらい厳しい現状況なんだ!と。議場での活発なやり取りは、今までに無い情景に危機感と共に「このままでは?」との気持ちの表れで、活発議論が随所に見える議会となってきた気がする。だいたい「1年半」がたった。

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