「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

社会情勢の異変の中の被災地


航空機の墜落は飛行士の故意による墜落との見方が強い。今朝のニュースで、事故の二週間前に彼女に子供ができた事を知るが、飛行機搭乗の前日に別れを告げられたと言う。ウツ傾向に沖縄辺野古の米軍基地の埋め立て調査の中で、政府と日本国民が戦っている。この事はなんなんだろう? と思う。
あった飛行士の病気を把握していた節のある航空会社の、運行に危機感の欠如があった事が、今後問題になりそうだ。「ソウ」「ウツ」の病は突然現れ、想像のつかない行動をとる事は、あるいてどの人々は知っているはずなのに…。

政府の南海トラフの防災対策が発表された。35人の被災者を想定する。地震はM9で九州から関東までの広範囲の津波被災を予想し、3日間の備蓄は自治体で確保してもらい、4日目からは政府が14万人の自衛隊派遣や、「プッシュ型支援」と言う物資の要請なしの支援を強制的に行うと言う。「72時間」の人の命の限界を検証しての、政府の大震災対策のようだ。

大衡村の跡部村長が辞任から2週間も姿を見せないと言う。跡部村長の出直し選挙への不出馬濃厚を新聞は伝える。村長の身勝手な「議会解散」「村長辞職」の異例の村の状況下で、副村長の専決処分による25億余りの新年度予算を決定し、人事などの代行決済で村は自治を運営している。村長の責任なさに驚くばかりだ。トヨタ系列の自動車会社の誘致があり、村は潤いの中にあり、村民は行政のゴタゴタに動揺はない。村を維持するのはこの会社と、この村に暮らし会社で働く村民がいるからだ。村長がいなくても、自治体は維持できている。しかし、地方自治は首長と議会で行政の事業の最終的決済がされる。だが副首長ひとりでも行政は一時的に運営できる事を実証する。

写真は「はげ山」だ、ここが志津川市街地の高台移転の中央区の今です。28年3月に西側の土地の引き渡しと、10月に東側の土地の引き渡しを予定している。予定どおり進む事を願っている。
スポンサーサイト

人がいなくなる事 ヒシヒシと


12月・3月議会で町から多くの議案提出により、新しい町づくりの提案が出され、「人口対策強化」も出されているが、人口流失は色々な事で私は知り自分なりに分析をする。

地域の防災集団移転の土地造成でも、3区画・1区画と再募集を掛ける周知が、復興ニュースで町民に伝えられる。現在、志津川3地区の検討会での土地決定りプロセスで、東が25の人が土地希望の確認が無く、西地区も7区画が残り、中央は135区画だが希望の結果が提示されていなかった。
南三陸町での再建を希望していた人たちが、個々の状況下で最終決断をし、自己再建か他の土地への移転など、町の把握できない人口移動がある。町の計画の見直しの元で、町外からも住みたい人を認め、決定している土地は今更、造成面接を削減できない。自公が減る事で、町民からの町財政への資金を充てこむが、その減少で10年間の復興計画での町運営は、更なる政府の資金を充てこむ方向へと進んでいる。
復興交付金での町再建があり、過疎地域指定の補助制度や地方創建への国の政策がある中で、地方のやる気が試される。
いったい人口が世帯がいくら減るのか、行政でも計算できないのが現実だろう。町を歩くとき周囲を見渡して欲しい。山の上や蔭に家が建っている。一時期言っていた「コンパクトシティー」の町づくりは我が町にはなく、広い地域に海岸部などに集落が点在し、志津川地区も3地区に分かれ、高齢者の生活環境の支援となるべき、行政サービスの町づくりからは程遠い。
女川町の町づくりは市街地に駅を中心とした商店づくりを進め、高台に住民の住んでいた環境を整備する。コンパクトな町づくりに邁進している。
我が町は高齢化が多くなる事を知りながら、末端で暮らす住民へのサービスの提供は厳しいものがある。商店中心の早期町づくりを市街地で展開し、巡回バスの整備も特別なものは無いようだ。
富山市の市民の交通手段を高齢者に優しいものとし、引きこもり・運動不足ほ改善している。コミニティースピリットを重視した街づくりを市が図っている。
南三陸町はマイナスからの出発なのに、交流人口を図る前に、本気で住民流出を阻止する行動が、行政に求められているのに? 病院できても通院する患者が居ないでは、病院運営への町からの赤字補てんは3千万円では済まない。
まさかの噂を聞く。「町の個人病院が町から出る」と言う、噂に留まって欲しい。町の人口は色々な事に影響する。スーパーの規模や企業誘致の会社も労働者がいないでは、話にならない。高校卒業の数も減り、その中で優秀な人材を確保するのは難しい。早くカンフル剤をと思う。夕張市の二の舞とならない為にも、副町長は中央の若い官僚登用で、新しい政策と言う「風」を吹かせないと、町の「風化」を止める事はできない。


こないだ三重県松坂市の方と、南三陸町の被災体験の方々との、津波防災を考える会が開催された。
そこで学校教師の方々の津波対策を想定した画期的な行動を聞いた。
東日本大震災の1年前に、チリ津波の発生を体験した。平磯の高台から平磯船揚場の堤防を見ていた。係留されている船が木の葉のように揺れ、見る見る内に堤防を海面が隆起し乗り越え、平磯湾に津波が押し寄せたが、今度のような大きな津波変化を見る事はなかった。
その後で、戸倉小学校の先生方の津波避難について話し合いがあっと言う。避難マニアルでは屋上の2階上が避難場所と指定されている中で、隣の保育所児童と小学校生徒の避難行動をどうするかが、双方一緒に話し合われた。「幼児・児童の教育の場からの避難は、浦山にしよう」と話され、地震があったら一緒に「五十鈴神社」に避難する事を決めたと言う。
内陸まで押し寄せた昭和35年5月24日にチリ津波では4~5mの軒下までの津波と父に聞いた。この津波で4~5mの堤防が設置された。しかし、戸倉地区の保育所・小学校での避難を裏山へは、先生方の自然災害の図り知れない威力への、最大の心の準備で、総ての幼児・児童の命を救った。この場所の住民も多くが津波で亡くなっている中でだ。
こんな判断が津波防災対策本部の本部長にあったら、優秀な幹部職員と将来を有望視された若い職員を、一人でも多くの命を救えた気がする。
終わった事と片付けるのではなく、将来に生かすのはこうした実証と、指導者の防災意識の養成にある。独裁的な管理下での強制的な強要による判断は、将来への教訓として、「何がいけなかったか」「何で行政機能の停滞となったのか」「復興が遅れ人口の減少となったのか」……など、将来にこの検証を伝える事が大切と思う。

近隣病院の助けられ


我が家も「老々介護」が目の前にある。現在町の高齢化率は、確定するみなし仮設の終わりや、現実の仮設生活者の把握ができれば、驚くべき高齢化率の実態がわかるだろう。人口も1万人へと大きく近づき、町の財政はいつまでも復興交付金と言う訳にはいかず、税収の確保に本気で当たらないと、町の存続と言う現実的な問題となる。人口減でも町は無くならないが、住民サービスの低下や、住民の負担は高齢者世帯にではなく、若者世帯へと回さらざる負えなくなる。こんな町に若者は・・・。

私も父と施設の母と3人の家族ながら、母は施設に住所を移してはいるが、生活の資金は母の預金ながら、長引けば長引くほど、我が家の生活困窮がその後に来る。
そんな世帯が増加に増加を重ね、高齢者の街になる事が目に見えている。
高齢化は国家の問題ながら、何の政策も無く、本気度の薄い国・町対策に、その活路は見えない。北海道の夕張よりともっと酷い、町の環境になるように思う。もう63歳?のトップには任せられない。若いリーダーの誕生による、政策転換が求められ、「女川に学べ」と私は思う。
震災の傷だけでも住民は病んでいるのに、今後もまだ続く「安心な町」「安全な生活」まで時間、高齢者は待っていられない。また、旧本浜町の方が亡くなられた。父のショックは隠せない。

防災庁舎、解体? 保存?


私は震災でこの場所で亡くなられた、町職員の殉職家族から出された、解体要望書に「賛成」の票を投じた。震災直後の震災死で家族を失った人達を思うと、職員の家族は「憎い防災庁舎」の存続を、苦しみ亡くなった事を思い出す事が、辛く悲しいと言いう。43名の震災死の家族は、津波での死があり、死亡不明の800名余りと多く、町民全体を考えると、防災庁舎の存続・解体など「どうでもいい」が、本当の気持ちと思う。

震災遺構として、その保存のしかたを「どうするか」が問題と思う。解体して鉄くず処理に、それは私は考えなく、アメリカの高校生が特殊なガラスで覆うなど、震災から間もなく議会への提案を思い出す。
この写真を見ると五日町の方向は10mの嵩上げ、逆の祈念公園側は、見ると5mの土の山が見える。これは残土の一次置き場かも知れないが、嵩上げ土の中に埋もれようとしている。外部から来た人からは、今の場所までいく方法と、現状の川に近いは見えないだろう。
存続させるのがこの場所なら、被災地に類を見ない「追悼の場所」となる事で、殉職家族との行政当事者が遺族の事を一番に考え、存続の形を考えるがあり、どう保存するかだと私は思う。

3.11の追悼報道で防災庁舎の白い階段を、木の棒で「こんな物いらねえ」と、叩きつける遺族の父親の姿に、家族の辛い思いを感じた。
千葉さんは議会事務局の職員だった小野寺さんの父親だった。小野寺さんの議員に対する気遣いと、間違った考えには「凛」として、仕事に臨んでいた。私の信頼できた議会職員だった。町の職員の模範として欲しいと常に思った。駄目な事はダメと言う公務員が居なくなっている中で、大衡村の職員も村長の理不尽な行動を拒否できなかった時もあった。「誓約書」をかわし闇に葬ろうとの行動もあった。初めから行政トップであっても、人間の自尊心を汚す行動には「凛」として対応すれば、こんなにも大きな村の停滞する事とはならなかった。村民・町民の損失なき行政の運営は当然ながら、公務員の考え行動が「自己保身」に感じる行動が少なくないと思う。

日本の震災遺構の保存と行政の英知があれば、遺族・町民が納得できる保存がある。そうしないと町民を二分する「しこり」が残る。広島の原爆ドームが戦争の悲劇を伝える遺構として、認められるまで20年掛かったと言う。冷静に時間を掛けて皆で話し合っては、「当時の苦しみの癒え」「震災の風化」の中で、住民投票をしたとしても、感心も町民は薄く、残す事で利益につながる態勢の影響力で、「保存」となる気がする。

私はこの場所での保存は、早期震災復興を考えると無理で、南三陸町防災センターの建設で、防災庁舎を分解して施設内に、再建をする事を提案したい。神戸にこんな施設ある。独自の震災の怖さを伝える施設の建設も、人口交流増を図る町づくりの計画なら、並行に進めるべき事業と私は思う。

大衡町の行政機能の今後の崩壊に学ぶ


自治体でのパワハラがある事が、大衡の3代続く村長の強権体制と、本人の自分の言う事は何でも通り、女性職員も行政で恐々と事務仕事をしていた。おとなしい真面目で素朴で物静かな女性職員にターゲトとした今回の事件のように思う。卑劣極まりたく自分の反省にも嘘で固めた体質は村長として、仕事ができてもトップとしてふさわしくない。
教育機関や警察署での男女間の問題で、殺人まで進む男性の強硬に女性は何の対処も出来ない中で、最悪の結が生まれ、毎日のメディアでのワイドショーの格好の餌食となっている。
被災地の宮城県での事件で在り、被災地の仮設で今も生きている、仮設生活者の労苦を思うと、同じ県の自治体のトップの問題発生を情けないと思う。
跡部村長は47歳で村長となり20年目の、慣れと奢りが今回の事件原因の一つとして思う。トヨタ系列の自動車会社の誘致で、村民の生活安定に働く場の確保を実現し、高校まで無償での教育や、妊婦のタクシー使用を無料にする政策を実践した。
女性との関係は昨年に「もう強要はしない」との誓約書を昨年11月20日に交わしていた。しかし、議会での質問に「何のやましい事はない」との答弁から、被害女性も告訴への弁護士の会在する事となった。議会は村長に「不信任決議案」を出し、賛成多数の議決があり、それに対する村長の権限で「議会解散」をした。議員は口々に話す、「幼稚な漫画」と怒り・失望をしている。町民とて同じく「恥ずかしい」と取材に答える姿があった。
県内でのトップの不信任決議による解散は、旧河南町・七ヶ浜町の二つで、結果的には当時のトップは自治体に戻る事は無かった。今後は来月に議会議員選挙があり、再度「不信任決議案」が提出、可決されれば村長は失職となる。27年度予算も可決しない中で、自分が失職する事で、町の混乱を回避するのが、なんの疾しさも無いトップの英断だろう。
しかし、何処でもだがトップの政治介入がある。自分に影響や議会の反発が起こらないように、選挙工作が裏で起こっている。何が何でも自分を守る為に、取り巻きも自分の利権を守るために全精力を傾注する。大衡町でもそんな政治工作が展開されるだろう。女性への軽視・蔑視・差別は、男女平等が全国・世界で叫ばれている中で、在り得ない出来事だった

私も我が町の事とダブって見え、大衡の事を思う。商工・漁業・農協・林業・社協・観光・教育など、総ての団体のトップの変更のない状況に、改革は無く、観光ではゴタゴタの中で、現在の体制へと移行している。町の総ての実権に影響を持つトップの形は、独裁的な町づくりの方向に向かう。
リーダー的若者が町を去り、各団体のトップの変更がない状況下で、新しい町づくりの根幹とはならなく、町にならう若者は利用されているとしか、私には感じない。今後も行政改革への声を高くし、この南三陸町志津川で生きていく。

これからは女性の時代


被災地「南三陸町」で、国債地域女性アカデミーがアリーナ多目的ホールで開催され、10か国から15名の外国から参加者を交え、150名の女性リーダーが結集し女性の役割を考え合った。
国連防災会議が仙台で14日から開催され、プレイベントとしての開催だ。

そんな中で在り得ない事件が起こった。大衡村の村長を女性職員が勇気を出し、セリハラで提訴し1千万の請求告訴を検討、こんな世界全国から防災会議で来日した、女性も沢山来ている中で発生した。
パワハラによる女性へのセクシャルハラスメントで、女性職員への行政トップの卑劣な事件で、勇気を振り絞り提訴した。女性は「同じような被害者はまだまだいる。悩み苦しみ、もがいたが、勇気を持って立ち上がった。こんな村長が政治を担っていいのか。」と告訴した。
女性職員は性的関係を10回以上、強要された。66歳の村長が50代女性職員に、約1300通のメールを送り、応じなければ交換条件に人事異動をほのめかす事をした。村の代表は選挙で村民が選んだ。村役場の中で職員に対しパワハラで、村民は恥ずかしいだろうが、こんな人を選んでしまった。

何処の自治体にも同様の事件はあると、告訴した女性は言う。泣き寝入りで「うつ病」で若い優秀な職員が定年前の退職を聞く。パワハラに一人で悩まないで、きっと助けてくれる人が居て、正義が勝たないでどうする。村長のそのままり職はあっはならなく、村民が決起して行動をとるか、次期選挙での当選には女性の大半が反対だろう。
大衡村の女性職員の毅然とした態度、勇気を振り絞った行動を、私は称賛し応援して行きたい。

南三陸町で透析ができるように


前日の三陸新報に南三陸町の「新病院で透析再開」との記事に、地元の患者さんの喜びの声が聞こえてきそうだ。

記事によると今年10月の完成に合わせ、医師の招聘が叶わず、現在勤務する医師に研修を受けさせ対応し、透析施設の運用をすると言う。今後も東北大学にも支援を検討する。こんな記事だった。
新病院建設計画にあたり、戸倉地区の透析中の阿部さんの依頼により、「新病院に透析を」との嘆願書の署名活動をした。
その要望が叶い病院には、20床の透析室が整備される事となったが、医師の招聘が厳しい状況だった。そんな中で苦肉の策として、常勤の先生の協力を頂き、透析ができる事になった。病院・先生の尽力に感謝の言葉を申し上げたい。

4人の南三陸町の4地区の代表者で、嘆願書に代表者になって頂き、今回の吉報が聴けた。しかし、透析施設がない、早期生活の確保ができなく、町を去った方もある。
4名の代表の方は言っていた。「生活習慣病」による、透析患者を見込み、「これからの町民の為にも」と、こんな言葉が今も頭に残る。自分の事は元より、これからの町を考え行動は、辛い環境での努力が報われ、私もその一助になった事に喜びを感じる。

復興はまだまだ


9日の一日降り続いた雨は、宮城県3月の雨として観測史上の記録的な降雨「93ミリ」となった。町の津波で地盤沈下の大きい海岸部は、川の排水も雨量に勝てず市街地へと集まった。伊里前市街地も通行はできるものの、深い冠水となり大森地区は一時通行止めとなった。水尻橋の隣りのスタンドは相変わらずの、交差点とスタンドの冠水で、社員もこの毎回の状況に諦めの感じた。車の停車中に写メを撮った光景です。普通の国道なら通行止めながら、震災復興工事の嵩上げの遅れの中で通行止めとはできない。10日の休めない状態と翌日の追悼式典とあり、多くのメディアも来町し、町の復興の遅れを露呈する結果となった。町の復旧対策の進め方に間違いは無かったのか、と? 疑問を投げかけた事になった。
写真の場所は現在進む「町開き」の場所と比べても、西岸の「祈念公園」の場所の計画は、何一つ決まらず防災庁舎存続の議論の再燃で、復興の遅れに繋がる。しかし、もう遅く住民は町外への移転を決めていて、その姿が「10年後人口統計」に表れている。
150311_120437.jpg
10日神奈川県三浦半島から物資が届いた。写真の太い大根とキャベツだった。新鮮な野菜はありがたい。町には4年も経つのに新鮮野菜の買い物に困り、小さな店はあるものの、価格も高く選択も出来ないのが現状です。

午前は父親を病院へ送り、母の施設への支払、申告に歌津平成の森に行く。町の担当課は14・16日は混雑するので今日がイイです、と言う。

防潮堤があっても守る子供がいない町に


大森から本浜そして南町・汐入までの、防潮堤工事う回路に迷い込んだ、交通整理の方は道路案内が、今日が職に就いたばかりで判らなかったと言う。
既に防潮堤らしきものが出来ていた。迷った高台からの写メながら、海は見えなく漁民の海を見ながらの仕事をする環境は難しいようだ。
今日、新聞に驚くべき来年度の小学校の入学生数が掲載されていた。昨年の数より志津川は「9人減少」で28人に、伊里前は「10人減少」し15人となり、南三陸町全体で15名の減少で77名の入学となった。全小学校の児童は594名で、毎年の差はあるにしても、厳しい人口減少の姿と懸念する。
南三陸町の中学生生徒数は、志津川220人と歌津107人で合計327人となった。
気仙沼の気小は昨年の33名からも今年の一年生は62名の倍となる、児童数の異変となった、全体では444名から今年434名と、10名の減少に納まった。
減少率は南三陸町が「83%」で、気仙沼が「97%」と、人口の多い自治体に人が流れている。登米市の児童増加率は1300人が登米市に流出している事を考えれば、間違いなく上昇か維持はしているだろう。

若い世代が流失し、子供達が居ない町に、高い防潮堤整備に時間を掛ける事が、果たして必要だろうかと首を傾げたくなる。「消滅自治体」の要素を多くみたしている。
しかし、行政に誰もこの辺への強い追求や、対策・提案も少なく、町民も知っていて知らぬふりなのだろうか。こうした「声を出さない町に未来は明るく開けるのだろうか」と思う。これで人が帰ってくる想定は、また町づくりの政策失敗を指摘したい。

合併10年の総括は

20080915_八幡さまの稚児行列_080913_112819
今日、役場に行った折、窓口のテレビの議会中継を傍聴した。合併10年間の行政の取り組みはどうだったのかと、三浦議員・及川議員の質問に続き阿部議員の、行政とのやり取りを丁度聞いた。10年間の歌津と志津川の合併は、合併協議会により行政の形を議論し、町長は8割方合併による成果は達成されたと話していた。遠藤副町長も事務方として職員の削減に、新規採用を抑え定年退職により、70名の職員削減ができたと話す。財政削減の大きな部分は人件費であり、住民サービスの低下が無いようにと、歌津支所の充実も図り10年間の合併後をここまで来たと言っていた。今年度での退職があり、答弁にもこれまで2期8年間の震災時の混乱の中での行政運営の職務に、大きな思いと言葉の重さを感じた。副町長も町外に行くと言う話だが、今後もきっと南三陸町の再建に尽力してくれる事を願う。

今定例会で町長への一般質問で、いつもの与党議員が「巡回バス」の今後を質問し、町長の答弁に「有料化」への方針を示す旨の話があった。町長の2年前の立候補出馬への考えも、同じ議員の問いが初めてだった。その前の副町長2人制も与党の元職員議員が提案した。政治とはこういう物とは知らなかった。

町の市街地の商店・工場再生も遅れ、働き手がどんどん町外へ出て行ってしまう気がする。

志津川湾の神秘


南三陸町の椿島の戸倉側と島の光景から判断できた。「デベソ岩」を、志津川湾を潜り写真に収めている、ダイビングの佐藤さん、震災前から南三陸町の海の生き物を発見・紹介している。「クチバシカジカ」「ダンゴウオ」など、代表的にものは町の海の素晴らしさを紹介するキャラクターとして、色々な所に出て来る。
現在、ウニの大量発生による、海藻類の食害で磯に大きな変化が起こっている。震災後にデベソ岩に付着していた天然若布・昆布の姿はもう消えうせていた。自然界の再生の驚異と言い、生物の繁殖力など、その力を人間は調整できなく、これからの対策を一歩ずつと言う感じだろう。
プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター