「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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山のかげの高台に新築住宅が点在


眼が元に戻り狭い裏道路でも通行ができるようになった。沼田から袖浜の荒澤神社前を通り、福祉介護施設いこいの海・荒砥まで遠回りしていたが、平磯までの近道の通行に、何の不自由もなかった。母の支払と3か月ぶりに父が、孫の結婚のDVDを見せに行って来た。「何時帰れんのや?」と母に聞かれ、父も私も困惑している。
先週の末、平磯地区の防災集団移転の新築内覧会があった。9軒前後の土地整備に、完成し一年もたたないのに全てが完成の運びのようだ。洋風の建物でその他の住宅も、綺麗でゴウジャスな建物だった。袖浜も10軒も同様に完成している。
今日も知人で防集の土地の整備土地取得あたり、銀行などの融資の相談に駆け回り、役場でばったりと会った。
これからの再建に私のつたない経験を、誰にでも指導し無駄のない生活再建を達成して欲しい。

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震災遺構

2011-07-08 05.27.27
こないだ気仙沼市の市議団が長崎県雲仙普賢岳の火砕流での、家屋の被災遺構の視察が新聞に掲載されていた。南三陸町議会でも総務委員会の鈴木委員長以下5名で、長崎市への視察に震災の翌年に行った。火砕流に埋もれたままで、特殊な建物で遺構全体を保存が2~3軒、一階部分は火砕流に埋もれ、二階部分を見下ろすように見学ができ、火砕流の巨大な被害を目の当たりにし、震災の怖さを後世に伝え残した。もう一つは火砕流の熱風に襲われた小学校で、その脇に3階の普賢岳の全貌と、火砕流への対策として防御壁の広く繋がる光景を見る事が出来た。
しかし、多くの施設への来場者は少なく、観光としての伝承館の隆盛はもう無かった気がした。
本当の震災遺構など、もう我が町には無い気がする。写真は水尻川の水門の機械室に絡まる、養殖施設の牡蠣と浮きがあり、津波で防潮堤は破壊され海が陸地を覆い、ポツンと4階の公営住宅が残った。当時、鈴木委員長は残った住宅の部屋を活用すべきと提案したが、斬新な提案を悧巧する事とはならなかった。
消滅した町の震災伝承の、本当の現実構造物は「高野会館」しか、もうないと思う。

復興に思う

2011-05-20 06.35.59
西川農林大臣の献金の返還が続き、違法性がないと思っていても、献金に疑問があると言われ、「朝一番で返した」と大臣は言っていた。
林業に関わる会社への国の補助があり、その会社から献金を受け、指摘され返還し、今度はTPPの交渉前に、製糖協会から献金を又受けていた。この団体も国から13億もの補助金を受け、団体からの献金返還が2・3日前の報道にあった。国の補助を受けた会社からの一年間は献金はできない決まりの中で、「会社と代表が違っている」など、制度の網の目を潜っての、政治献金を国会議員の立場を利用した、政治献金は後を絶たず、また同じ人間が「禁欲議員」として政治家を続けている。同じ議員が同じ罪を起こす事があるが、政治家の座から居なくなる事はない。本当に不思議な社会だ。

復興も失敗は許せない判断がトップに求められている。約束を守り責任を全うし、町民に恥じない政治政策と人間の真摯な資質を持つ人材が、町民の先頭に立つべきと思う。

被災者を隣町に仮設を建築した事が、人口の登米市への流出に繋がった事は、決断の失敗であり、職住分離政策の造成・建設時間のかかる場所への土地決定があった。南三陸町の存続と復興待った無の今の現状に、ここでも政策の二つの失敗を私は指摘する。

町民に意見を聞く


議会で「防災庁舎の是非」をもう一度問う、新人議員と陳情があり、この問題に町長は「町民に意見を聞く」と言う。
町民は新たな生活再建に解体の是非について、感心は低いだろう。町民からまた「検討委員会」なるものの設置で議論しても、「合併庁舎建設」も建設しないとの、トップの思惑どおり、防災庁舎の県管理20年間となると思われる。
観光の進め方が観光関係者で議論された。報道写真を見ると数少ない人の議論で、町の将来観光が決定されそうだ。
他の市で学校にエアコン設置が新人市長判断で中止となり、議会で住民投票が採択され、投票率31%で5万の賛成と3万の反対で、設置となったものの、投票率の低さは、防災庁舎問題でも住民の関心は同様に低いだろう。

南三陸町の将来は一人と仲間の思惑で進む事は危うく、その町づくりの失敗は誰が責任を取るのか。そんな疑問を今から思う。

政府の検証委員会


私は常々、「防災庁舎」の43名死亡の検証を行政に求めている。行政のトップや幹部の関わる責任問題として、誰もが知りたい屋上での生と死の生きざまを、遺族や町民にも伝える義務が町にはあると思う。これにより「誰の責任かが決定する」かも知れない、この現実の回避が「防災庁舎震災検証」をしない理由だと思う。遺族からの「告訴」で警察が屋上での現場検証をしたが、関係者だけにしかその内容は解らない。

今回の「邦人救出失敗」で、政府は関係者による「検証委員会」を開く。早く忘れたいデリケートな問題ながら、何処がいけなかったのか、初動の活動はどうだったのか、周辺の国々との連絡網や、対策室をヨルダンでよかったのか等、総ての対応を一から分析する。この検討会により今後の事件発生と予防をどうしたら良いかを議論し、今後への対策を図って行く。
その後、報道カメラマンのシリア渡航を、パスポートの没収と言う形で、過去に例の無い外務省の対策はその一つかも知れない。日本国民の命は、報道の自由よりも重いとの判断からだ。

防災対策庁舎の殉職職員の命の重さを考え、議論しその結果を町民に知らせる役目は行政の責務である。役場庁舎が合併の約束どおり、歌津と志津川の中間と言われる、商工団地近辺に建設されていたら、どれだけの町民が命を失わずにいれたか等、今後の為にも、南三陸町は津波の町を知らしめる為にも、是非しなくてはいけない「津波検証」である。県知事が震災から20年間の防災庁舎保有は、証拠隠滅の阻止ができた面でも……。

約束を守れない政治の悲劇


朝3時半のニュースに耳を傾ける。アフリカのボコハラムの殺戮が続いているとの報道があった。これまでの村を襲い子ども・女性を拉致し、人々を殺戮する等、これまでの行動に近隣の国々が総統作戦で、ボコハラムの兵士200人を殺害した。今度は報復として別な村を襲い、100人の村人が殺された。ISILの非道な人質殺害のテロと言い、人間の醜さばかりが現れた現世となっている。

防災庁舎の二人のお地蔵さん、笑顔で慰霊の来町者を迎えていた。合併の約束を守っていれば、多くの町民が救われたと私は思う。行政の監視役としての議会は、このデリケートな部分への行政への追及は無かった。この部分も年々「風化」して行っている。
私は防災庁舎の鉄骨の屋上を見上げるともいつもそう思う。「いつまでそんな事を……」と言う町民もいる。これ以上の政策の失敗はどうなるだろう。
「消滅都市」「過疎化指定」など、研究者の予想を跳ね返すような自治体の努力を、我が町にも求めたい。被災の風化と、悲劇の風化というが、町民は決して忘れる事はないだろう。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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