「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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町づくりの想定はこれでいいの


町の病院の規模は果たして人口に会った大きさなのか疑問に思う。透析部門の必要性は高齢化の町と、生活習慣病の増加を考えたら当然なので、要望書を提出する活動をした。
被災前は18000人で今は14500と言うが、今後まだ減る人口に、今までと同じ大きさの病院建設維持は無理だろう。税収は被災前の25億だったが、現在は5億と言う。毎年3億の赤字の発生があり、ある医師は「この規模の病院はいらない」と言う。
またまた財政と病院の稼働率と、規模と維持の想定に甘い行政体質がある。

人口動向がカギで1万人までの減少を予想する人達も多い。当地方の中核病院として日赤石巻病院の増築が進む。

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ネコハ丸く


「キラキラ丼」がご当地丼で大賞となった旨の報道があり、高橋さんが笑顔でインタビューに答えていた。
震災の前の年に、中華の常盤さんで各店舗からの丼が並べられ試食会があり、飲食店組合の会員さんが自慢の試作品を持ち寄った。当時は常盤さんが会長をして皆が分け隔てなく南三陸町の発展を描き活動をしていた。
震災となり皆がギスギスした環境で、強い者・バックに行政の繋がりのある者が、幅を利かせる環境が今この町にある。
観洋の阿部観光協会会長の、事務局の職員の使い込みの責任を取っての辞職が、町の観光に大きなマイナスとなったと私は思う。
日本への外国客が1300万人となり、台湾からの120万人とも言われる観光客は南三陸町に何人来るだろう。
松島には今年被災前と同じの外国の来町者となったと言う。円安を追い風にしているが、我が町にはと言うと厳しい現実がある。

心が温かくなるのは何時になるだろう。

御前下の商店街に青果と焼き鳥屋さん開店


スタンド宮城とコメリの間の、沢田運輸さんの前に旧クボ前から、大畠青果さんが奥さんの焼き鳥店と一緒に移転改築をした。
焼き鳥のタレが私にはピッタリで、皆さんにも是非ご賞味頂きたい。
強い人への支援はもういいだろう。復興と言う名の、漁業再建と言う名目の、商業・観光で町づくりをしようと言う方への、国庫の支援・助成はもういいだろう。弱者への支援返還へと進む時が来ただろう。

三陸道の進捗は順調だが


ノーベル平和賞のマララさんの世界への発信は、「戦車は買えても学校は建てられない」と言い、6600万人の勉強のできない少女に支援を世界に呼びかけた。最年少での17歳の受賞に、世界の大人たちは衝撃を受けた。しかし、彼女を狙う犯罪者の益々の反発を心配するが、決して暴力や銃には屈しないと言う。

写真は小森地区に架かった三陸道の橋で、大雪の中でもくっきりと黄色が目立つ。三陸道と河川堤防・防潮堤の国の工事が進み、農地の復興も県事業として急ピッチだ。しかし、住民生活の再建工事は迅速な整地の進捗を私は感じない。

オレンジ色の町の税金の督促がまた届いた。今月は国民健康保険税の58000円と1004円の督促料だ。日々の生活に追われ、自分の身体の維持と周囲の状況にも影響され、税金の支払いは国民の義務ながら二の次としている。固定資産税の9000円もあった。年内にはコンビニで払う予定だ。

今年も残り10日間余りです。仮設での越冬は4年目を迎える。歌津での仲間の会で、多くの町民が町外へと流れていると聞く。土地があればと被災町民は言い、行政の押しつけの土地への整備は時間が掛り、もっと時間を要しない土地の確保はできないものか。歌津皿貝の個人の建設業者の土地整備は半年もかからなく、住宅建設も今後直ぐに進める。

地元にも優良な非常事態の防災に対応している企業があるが、行政は使おうとしない。なぜなら仲間とは見ていないからのようで、町が一丸となっての話は「言葉ばかり」と言うしかない。私も仲間以外のようだ。





寂しい


登米市に「南三陸街」が
南三陸町志津川地区の高台移転の復興計画が予定どおり進むなかで、登米市の人口減少阻止政策として、26年6月1日に「登米市災害公営住宅工事」が始まり、10月20に完成を目指し、もう一か所の市役所近くにも建設する。大きな災害の無い登米市の建設会社は、被害もなく通常での工事の迅速さに驚かされる。
登米市みなみ三陸町南方仮設から災害公営住宅を見に行った。町民の方の情報どおり、一期工事は20日までの工期で進んでいた。多くの建設業者の車が現場に張り付き、仕上げ工事にあたっていた。
登米市の建設会社が9つの工区を落札し、一つの会社が3つぐらいの現場を持つ、登米森林組合が元受となり、地元の建設会社に委託しているようだ。南三陸町も森林組合連合会経由での、災害住宅建設ながら住宅の建設の形は、南三陸町とは大きく違っていた。
見学に来た南方仮設の住民が「私もここに住みます」と言う。新井田に暮らしていた知人だった。震災後に多くの人への帰郷再建の働き掛け、情報提供を町はしてきたが、もう気持ちは登米市のようだ。
南方仮設の宮川自治会長はテレビの放送で、多くの入居者転出し、南三陸町に帰った方は少ないと話していた。

そして何も変わらなかった


自民の安倍さんは選挙の大勝に全てが国民に承認されたと思っているようた。小泉氏は「これから身を引き締め国政にあたる」と、その責任の重さを語っていた。
「そして何も変わらなかった」とある政治解説者が語っていた。50人の減少を覚悟した自民党は5人の減少となり、民主は11人の増加となり、維新は1人の減少に収まった。国会は拮抗していた方が国民の為と私は思うが、世情にあった適切な政策を取れればどこでもイイと思っている。強権政治は国外に向け国民には優しい政権が望ましい。

海江田民主党党首は落選した。党の発信は自民党の批判に終始し、政策の対案を示さずにいた。
普通の党首には誰も魅力を感じなかった。
みんなの党の前党首は金銭の不明瞭な借り入れ、責任を妻に被せた。党首としての金策はあるが、責任の転化と除名にも見苦しい態度、そして、党の分裂による、5名の仲間もできず政党の成立も出来ず、無所属での落選は、「自分の頑固さによるもの」と彼は言う。自分の招いた結果である。

こうした国政選挙に多くを学ぶ。しかし、私は筋を通したい頑固者である。

議員さにて何しているの


昨日、知人が電話をくれて諸々の世情の話をした。一つ良い話は新人議員さんの活動で、チラシを地区に回していて、配布していた方は丁寧に頭を下げていったと言う。
議員の個人の活動に「議会報告会」があり、そういった行動と直感した。私も1年5か月の特に大震災で、地区の「本浜町解散」の集まりで現状を伝えた。その後も地区の人たちへ情報を伝えたが、今はもうバラバラとなってしまった。地域を問わず「復興の今」を多くの支援者に話したが、不特定多数を集めてとなるとできなかった現状だった。
新人議員の方だと思うが素晴らしい活動と絶賛する。こうした若い方がしがらみもなく、周囲からの影響も受けず真剣に本気で、町の再建と将来への展望を描き、町の復興に何が一番やるべきかを判断し、若者を引きつけ新しい町を造ってくれそうだ。
今日までの12月議会日程ながら、次の行動をしている。多くの同志と共に広い視野で活動していた。





いま必要とされるもの



現在はショッピングモールと病院が造成建設中で、公営住宅ができると頃に市街地商店街が整備され、同時に戸建の土地の整備がされ、その後で個人の住宅建設へと進んで行く。一番に町民が求めるものは大型ス-パ―であり働く場だと私は思う。行政の町づくりは住民の再建が置き去りで、町民からの税収による財源確保が先と、町民と行政に考えのミスマッチで町再建が修正される事無く、復興の名の元に進んでいる。

安倍総理の自問党が圧勝で選挙戦は進み、自公で3分の2を獲得する勢いと言う。野党の政策見えなく共闘が難しい中で、国民の強い党への期待も大きく情勢は動かないようだ。20代30代の投票率も上がらず若者の政治離れがあり、今後も厳しい若い世代の苦悩は続く。
アップル社が横浜に工場を建設する。IT部品の調達の整った立地と、ドル安の社会情勢の中で世界でトップの企業が日本を選択した。スマホなどのソ―シャルネットワ―クの普及の、若者の興味をそそる会社の進出は、今のアベノミクイ効果として投票行動と綱がる気がする。

写真は昨日の石巻日赤で「地域拠点病院」しての役割を強固なものとしつつある。高速からの直結や病棟の拡大など、圏域病院の役目の確立へと進んでいる。町の病院の役割は診療・診察と一時入院の場所として、大きな施設の確保は必要かと思い、「医は仁術」としてその意味を達成できる先生の確保が行政の役目である。病院組合から町職員への組み入れで、その功績の町長への献身的な支援・考えは、町民への心として向けるべきと常々私は思っている。

我が町は他の自治体と大きく違う事を、残念ながら町民は知らない。



入谷地区への移転続く


国道398号の入谷街道の鏡石地区の住宅建設移転が続いている。入谷地区の人口は114人が9月時点で増加し、桜沢の災害公営住宅への入居や住宅建設移転で、再度増加の地区となる。土地も志津川3地区の55000円~65000円の坪単価と比べてもその半分ぐらいと聞く。
南三陸町では志津川地区が1880人も減少しているが、この何人かは入谷地区への移転であり、住宅の建設移転は2世代・3世代家族でもある。一日も早く安心できる住宅が欲しいがある。しかし、全ての被災住民が、このような移転ができるとは限らない。

こないだの志津川の東団地の災害公営の入居抽選会の新たな情報が寄せられた。会場には地元出身職員の顔がなく、抽選に当たった方は外れた人たちが「可哀そうに」だったと話す。80世帯ぐらいの入所で、抽選に外れた方は8名余りだと言う。何とか話し合いで譲ってもらう事ができなかったのかと言う。町の公正公平にとは何と非常な事なのだろう。震災で全てを失い、1次2次避難の生活の移動、そして仮設入居の抽選での最終の仮設完成での入居、またの意向希望が叶わない現実の中で、心の身体面の苦悩で心身的な異常は大丈夫だろうか。

生活障害の苦悩は体に少しずつ蓄積される。入谷中の町の広大な田んぼに、震災直後に住宅建設が成っていたら、仮設住宅が建てられたら、人口の推移も変わっていただろう。当時、私の提案を相談した同僚がいた、「町と一緒にしないと」と、自分からの提案も無く、私だけが入谷の第二の町構想を訴えた。今となれば私の構想のような住民行動となっている気がする。

陸前高田も商店街から被災地スタ-ト


大森から本浜の海岸線をしばらくぶりで通過した。写真は造船工場の内陸側の工事で、防波堤が建設予定で、すでに本浜の旧防潮堤は解体されて無くなっていた。巨大重機に基礎の杭打ちには嵩上げの大工事を感じる。青空に高く突き立つ柱は、まだまだ時間のかかる事を物語る。

陸前高田の嵩上げはベルトコンベア-により、市街地は12mを土盛りする。昨夜のテレビで老舗の若い店主は、再建を悩み今の仮設商店も被災1年半後再開だったと言う。今後の新しい商店街は嵩上げ後、最初の市の事業なから、あと4年後だと言う。震災から8年もかかりやっと事業の再開となる。菓子店の五代目も閉店か再開かを苦しみ今を迎える。現在6割の商店が再開を目指し、3割はすでに廃業していると言う。残りの1割はまだどうするか決めていない。「高田の一本松」に手を合わせに来てくれる人があるあるから、店主は頑張ると言う。また、昔のお得意様が私のお菓子を待っていてくれる、だから続ける事を決めた。

現在の高田の仮設商店街は小さく、道路向かいの物産の直売所も今年行ったが、商品の充実とはなっていない。その隣に「黒ゴマ担担麺」の店があった。担担麺は辛くて自分はあまり食べないが、この店の担担麺は店主のこだわりで、小さい店ながらお客さんがいっぱいだった。二人の店主は互いの再建を、嵩上げした市街地でと誓っていた。
嵩上げのベルトコンベア―での特殊工法も、震災から8年も掛かるのかと落胆する。南三陸沿岸の豊富な水産物があっても、お金に変えるのは充実した販路だと再確認した。

ここまで変えなくても


天王前から新井田地区を望むが、ここまで全てが津波で無くなり、あの会社もあの方も皆亡くなってしまった。
ここに一端積まれた山の切り土、三陸道のトンネルや造成で発生した土が、8m以上も広く積み上げられた。廃棄土もこの土にはあり、あんなに大型ダンプで運んだ盛り土も、何時も他の場所に移す作業は、予算の無駄使いの何物でもないと、意を同じくする仲間と同感となった。
政府も経済再生と言い被災地を少し置き去りにし、町のトップも観光・商業の充実を、町づくりの政策に掲げ、津波防災や対策を軽んじた町政が、多くの町民の命が奪われた。
昨日も「今回で町長は辞める」と多くの町民は言う。住民の流失と町の新たな形成を図り、その途中で責任を取る事無く辞職は決して許されるものではない。
誰も後継者がいないままでの町政の投げ出し、次へ引きつぐ役目を果たして辞めて欲しい。ブ―レンと言われる人に「新生南三陸町」を任せられる人はいない。

3年後の人口はどうなるだろう。気仙沼市は毎年900人が減少していると報道は伝える。南三陸町はこれまで年500人以上が減少している。議員定数も1000人に一人の議員としてら、今後は12名の4人減で良いと思う。こんな町になったのは震災の為だけではない。
一昨日も南方に行って来た。同級生の一人暮らし母の部屋には別な人が住んでいた。「以前暮らしていた土地を買いもどし、家を建てる事はできないの」と町の人に聞かれた。「職住分離」のトップが掲げた政策が足かせとなり、住民の希望は叶わない。町の土地譲渡の条例は町の財政の確保のためにしか使えない。こんな不条理な町の政策は「行政の為だけ」としか言いようがない。



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