「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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間違いなく被災地は忘れ去られる



民主の支持を受け、県の重大な問題となっている「原発」を争点から外し、選挙となった。自民が原発支持を進める中で、原発の今後を議論としてない事や、県民も原発争点から目をそらす事は、被災地の復興風化を進める事へと繋がる。復興庁の宮澤大臣の東電株の所持は、本気で昨日は福島の知事選挙があり、長野県の総務省出身の福知事が、前知事と自民・原発被害の福島、そして被災地の復興を出来るのかと思う。6人の激戦ながら地元の原発問題の当事者の出馬もあるが、地元県民もこれからの福島の将来と、「原発を忘れたい」との願望があるからと私は考える。

23.3.11から被災地支援があり、多くの方々が南三陸町に来てくれた。しかし、もう被災地「南三陸町」として、「被災地支援」は風化の一途となり、「観光支援」から「観光」「水産物」による集客を図るしかない。その事はイベントに集まる人の数で判断できる。
気仙沼市の産業フェアでは「日本一の鉄火巻」のイベントがあり、1000人を超える来客が海苔巻作りに参加した。外国人の姿もあり「面白い」と言う。今回の挑戦で静岡の「220m」を2m上回り、日本一を達成した。人口が65000人あり市民が参加する環境がある。我が町は人口減少で現在14500人となり、年間500人が減少していると懇談会でも報告された。このままとはならないまでも、過疎化指定への行政の対策は、観光の町づくりで交流人口の増加しか語らないように思う。

東京オリンピックの2020年の開催は、被災地自治体に取って「被災地風化」があり、復興遅延となり深刻な問題として、町の将来への不安として町民を襲う。
今まで住んでいた住民の町外への流れは、この町で一緒に暮らそうと言う、政策の無さと町民が町を既に見捨てている現状がある。町の中枢で町政に物申していた人が、亡くなり町を去った事で、一方向しかない行政の復興の形で、誰もそれに対し反発・議論とならない事で、残った行政と係わりのある人達の考えの色濃い、町づくりの進め方に間違いはないのか。

町は忘れ去られて、多種多様な考えのない、この町づくりの在り方に「チェック」の薄い体制が心配でならない。
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街の衰退は避けられない


気仙沼の国道45号の道路沿いも1.5mの津波が来て、同業者も一階の一台の機械を残し、総てを失った。後継者の商売を続けるとの気持ちで、再起を誓い家族で頑張っている。私は自分の為と、父親が存命し家業に精を出し働く姿を、最後まで見せたいとの気持ちで努力している。

本吉・気仙沼地区は、気仙沼市すら少子化と高齢化の中で、日本の人口も1億2000万人から減少の一途だ。2040年には8000万人になる予想で、被災地の自治体の総ては人口減少が加速したに過ぎない。気仙沼の内陸部も家はあっても、誰も住んでいなく子供たちは都会で暮らし、私たちが居なくなったら、そこも又、空家となると言う。

南三陸町は今後どう変わるのか? 住民個々が町を愛し町の存続の為に努力する、家庭や家族の生活を、考え町の存続の為に暮らして欲しい。過疎化の進捗を鈍化させ、この町で少しでも長く生きたい。

先祖代々の我が家の土地の今

自宅2
21日に志津川地区まちづくり協議会「輝くみらいづくり部会」がある。
今回の協議は、1.たくさんの人に住んでもらうためには *みなさんは南三陸になぜ住んでいますか? 南三陸のよいところは? *これから南三陸にたくさんの人に住んでもらうためにはどうすれば良いと思いますか? だ。

南三陸町の人口動向資料もあり、今はっきり知ることのできない人口減の数字に驚く。23年3月の数字は震災死の数を引いてあり、「17064人」で26年9月現在で「14276人」と示され、単純に「2788人」の減少である。

志津川は1880人・戸倉は539人・歌津は486人が減少となり、入谷は海岸部からの移住と災害公営への入居があり、117人の増加となった。登米市への町からの移転数字はわからないが、震災前から2309人の人口減少があり、南三陸町からの流入があっても、地方の人口減少がある。気仙沼市は震災死が「4199人」で、震災後は「2403人」の減少と示された数字から計算できる。気仙沼市の人口の減少は「6602人」と深刻なものである。4年で8.9%の人口減となる。

これが南三陸町と近隣の自地体の、被災後の深刻な状況です。人口を増やすためはと、減少を防ぐだめにはどうするかは、密接に関係する。ある方は「住民が暮らせる場所を早く造る事」と言う。私は今後も減少はあり、行政の人口提示には、多く疑問が見え隠れし、今後も数字は減少する事を予想する。今後を見通した現実を直視し、町づくりを若者主体で考えないといけない。

みんなでガンバッぺ!


南三陸町の本浜地区の南方仮設生活者は6世帯位あった。その中の鉄工所を経営していた山内さん、行くたびに顔を見に寄っていた。「なにしているの!」といつもハッパを掛けられる。
当初は南方仮設の問題や行政の対応など、仮設生活者の切実な話を伺い、町の方へ「その声」を伝えた。
本浜地区の皆さんは高齢の方や、生活の後継者がいないなど、将来の不安を抱えた暮らしからの脱出で、登米市の住宅建設や身内の家へ身を寄せるなど、28年度の公営住宅・土地確保を待てなく、新たな生活へ向かっていた。知る限り2人しか残ってはいない。
「みんなでガンバッぺ!」と南三陸町のさんさん商店街で、趣味の会の「展示会」を開催した。山野草や盆栽など自慢の草木を持ち寄り、しばらくぶりの再会で、頑張ってまた会おうと確認し合ったと言う。
登米市での生活を決めても志津川出身には変わりなく、今後も時々会い互いの元気を確認したいと話す。
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住民一人一人が個々の事情による、離ればなれの中でも志津川の生まれで、その気持ちはいつでも一緒だよと言う。3年半も仮設で暮らし、次の段階と登米市の被災者支援住宅の建設は、登米市の人口流出を防ぐ為の市の政策に、被災住民の希望が叶い合致し、双方の利点がここにはある。

来年また会おうが互いの合言葉となり、志津川出身者で登米市に、志津川街として、多くの人たちの流れはしょうがないと、南三陸町の行政は思っているのだろう?

冠水対策


南三陸町は大震災直後に80cmの地盤沈下となり、至る所で冠水が発生した。旧病院前や警察前があり、嵩上げやう回路整備で、別な所も冠水の状況となった。今回の雨量は九州・四国・東海に比べればその10分の1の、総雨量の赤い柱の高さで判断できる。予想も付かない自然災害の現状に、人間の力の弱さを感じる。
観光支援で来られた皆さんの防災庁舎での慰霊もできない状態が、台風・低気圧の豪雨で幾度となく発生している。何の方策を取らない行政に、「南三陸町に来て下さい」とは言えない気がする。365日の数回かも知れないが、その一回を大切に来町したいとの方々も多い。こうした観光客の誘致にも不手際の多い、被災地「南三陸町」と思う。
現在「河川堤防」が県事業として始まっている。八幡川・水尻川・新井田川の志津川市街地の改修工事は、今後行われるものの、観光立町を必要性をうたうなら、観光客受け入れの慰霊の場の一時的整備は早急だろう。
防災庁舎を町は解体すると言うが、この遺構がどんなに町に集客となっているかの検証を、もう一度考える時が来た。殉職職員のことは私の心に刻まれている。亡くなった4人の同級生の分まで「還暦」の集まりで語りたい。

高齢者の生活できる環境はまだまだ!

志津川地区の高台移転が28年には、災害公営住宅ができ、同時期年度に土地の引き渡しを予想する。28年の2年前後には商店街の解体がされ、同時期に市街地の「ショッピングモ―ル」ができ、道の駅も併設予定です。商店街は市街地に土地の換地の終了時に独自再建となる。
御前下地区には現在、スタンド・ホ―ムセンタ―・ドラッグストアがあり、食料品も販売している。その他にコンビニと作業用品の店が営業している。
高台の移転が済んでも、生鮮品の買い物場所の環境整備は進んでいない。26年~28年末に掛けての志津川地区は、観光客の受け入れも含め、町民の環境はまだまだ大変だ。大久保地区の「さかなのみうら」さんの商店火災は町民にとって、大きな生活環境の打撃となった。
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写真は登米市南方仮設前の大型商店街で、業務スー―パ―・衣料品店・ホ―ムセンタ―・中華店・スポ―ツ用品店・本屋など、生活に関係する場所が全て揃っている。健康面では「笹原診療内科」さんが歩いて10分の所に移転し、志津川で看て頂いた先生に、安心して診察してもらえる。こんな環境の良い場所で生活が今できているのに、まだ2年・4年後の自宅再建と言う、南三陸町での生活環境の確保できない、南三陸町へは気持ちも足も向かないのが、南方仮設で住む町民には、当然と言えば当然のように感じる。そして、現在は南方仮設の隣りに南三陸町の被災者を迎える、登米市の災害公営住宅が今月・来月までには整備され、帰郷の心が日に日に減少するのは、当たり前の事と思う。
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大型台風が18号に続き19号が来ている。被災地の復興はまた2・3日遅れる。この積み重ねが10年間の、復興計画をまた大きく狂わせる。想定外はもう言い訳でしかなく、その言葉は通用しない。

苦しい辛い 一日も早い救済を


「木曽のな―木曽の御嶽山なんじゃらホイ・・・」と、御嶽山と聞いてこんなメロデ―が想い出される。火山の噴火・火砕流による死者が、雲仙普賢岳の死者43名があり、昨日までに47名と戦後最大の我が国の火山災害となった。今日新たに3名が発見されたと、テレビの字幕で放送された。山頂の神社は噴石・火山灰により跡形も無くなった。この神社の近くで11才の小学生女児が不明なり、その苦しみと熱さの中で灰に埋もれた。家族は早く山から下ろして上げたいと、できる限りの子供にして上げられる事を願う。

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登米市に「南三陸街」が出きつつある。大きな復興計画の予想しない状況が、登米市の人口減少阻止政策として、26年6月1日に工事が始まり、今月20に完成を目指し、もう一か所の市役所近くに建設が進む。大きな災害の無い登米市、建設会社の充実での工事の速さに驚く。
登米市の災害公営住宅を見に行った。町民の方の情報どおり、一期工事は20日までの工期で進んでいた。多くの建設業者の車が現場に張り付き、仕上げ工事にあたっていた。
登米市の建設会社が9つの工区を落札し、一つの会社が3つぐらいの現場を持つ、登米森林組合が元受となり、地元の建設会社に委託しているようだ。南三陸町も森林組合連合会経由での、住宅建設ながら住宅の建設の形は、大きく違っていた。写真を撮っていると声を掛けられた。「私もここに住みます」と言う。新井田に暮らしていた知人だった。私は震災後に多くの人への帰郷再建の手助けの、情報提供をしてきたが、もう気持ちは登米市のようだ。

迅速な登米市の人口減少対策

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登米市の災害公営住宅を見に行った。町民の方の情報どおり、一期工事は20日までの工期で進んでいた。多くの建設業者の車が現場に張り付き、仕上げ工事にあたっていた。
登米市の建設会社が9つの工区を落札し、一つの会社が3つぐらいの現場を持つ、登米森林組合が元受となり、地元の建設会社に委託しているようだ。南三陸町も森林組合連合会経由での、住宅建設ながら住宅の建設の形は、大きく違っていた。写真を撮っていると声を掛けられた。「私もここに住みます」と言う。新井田に暮らしていた知人だった。私は震災後に多くの人への帰郷再建の手助けの、情報提供をしてきたが、もう気持ちは登米市のようだ。
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南方一期仮設の現状は驚く。300戸と150戸の一期二期の450仮設があり、マイタウン誌は300枚の配布で全てが終わった。10軒並ぶ仮設で6軒が「空室」には、こんなにも町民の流失があるのかと思った。今回の登米市の災害公営住宅建設で、28世帯が登米市に移転となるのか。帰り津山総合体育館の仮設は「空室」は、数えるくらいしかなかった。ある方は「自分の菩提寺がある、それを守る為に南三陸町に帰ります。」と力強く話してくれた。

こうした人たちの心が折れないよう、被災者支援・心のケアをもっとすべきだが、自分の事が一番の行政体質であり、町の為の復興計画に私の眼には写る。

町長何しさいぐのや?


今日は南方仮設に行って来た。「空き室」が多い事に驚き、4割近くが登米市などに移転し、南三陸町に見切りを付けていた事を、現実として感じてきた。28年度に志津川市街地の高台移転となっても、「待てない」と言う方々がいる。以前から南方の仮設に知人もいて、情報を伝えに行っていた。
タウン情報の31・32号を南方仮設に配布をして、半年以来の自分の手での配布は、こんなにも写真の玄関ドアに張り紙があり、ここから退居の実情が物語られている。娘が自宅を建てています、なかなか南三陸町に行けないので、何処まで進んだか見て教えて下さい。親子二人での生活の方は、一人だと当時の事を思い出し心が痛いと言う。周囲の人たちに元気を伝えたいが、65歳以上の高齢者しか、もう居ないと話す。私も登米市の災害公営住宅の希望に当たり、来月には引っ越ししますと言う。登米市の戸建の災害公営の建設と、入居がもう始まっていた。ここ2・3か月で3人以上の二階建て戸建が譲渡された。その数は22戸で、2人以下の平屋の6戸が来月に完成し移転すると言う。

今は住民基本台帳に登録されているが、登米市の災害公営に移転する人は希望を出し近々移転する。これで少なくとも74人が登米市への転出となる。
我が町の長は台湾へ4日に出発し、7かまでの3日間、支援の御礼と観光客誘致という出張、その影でこうした動きは行政でも把握はしている。観光客よりも住民の転居の阻止と、登米市の積極的な人口減少対策を講じている。
我が町の復興計画は国の被災地再建の計画であり、南三陸町の現状把握しての町づくりからは、違った方向に向かっている気がする。人がいなくなり何が住民の町づくりなのか。毎日の町の姿にこんな思いが募る。国会での野党の質問で「復興計画の策定は国がしている、被災地の再建はこれでいいのか」と、総理・大臣に詰め寄っていた。「やっぱり」だ。住民が立ち上がらないと!


議員と首長の市町村民の代表としてのモラル


気仙沼市議が新人議員に対し、「議員辞職勧告」へ決議の提案となり、今日1日最終本会議に議案提案され審議される。
この案件は議会事務局へ、議長宛の「投書」から始まった。「本人は記憶がない」と弁明している。一部の議員は「議会の外での事であり、目撃証言はあっても証拠はない」と、慎重に扱うべきと話す。
悪い事は悪く、地方議会の議員としての意識の低下が全国で叫ばれている中での、市民からの投書に揉み消すことなく、議会で審議される議長の英断に、気仙沼市議会の市民の為の議会を貫いた事に、拍手を送りたい。議会はこうでないといけない。

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大衡村村長を村会議員3人が告訴状を大和書に提出し受理された。
元公務員公金着服の犯人隠避の疑い、その他に当時の副町長・総務課長。都市整備課長の3人も、書類送検された。当時水道担当をしていた職員は、水道料の徴収にあたり、アパ―トの建設業者から400万円を詐取した。
特別審査委員会の設置と6回の委員会で、元職員の不自然な会計処理を複数発見し指摘した。村長は「黙っていて答えようがない」「関係書類が捜査当局にあり分からない」と答弁していた。議会での説明には「できることは尽くした」と答えたと言う。村議会に対し誠実な答えとは感じられない、解明への意識に欠ける消極的な答弁だった。
議会での調査は村への事情説明の聞き取りで、ずさんな事務処理が事件を招いたと断じたが、議会での委員会では金額も使途も十分な説明は得られなかった。摘発した村議は「議会で虚偽答弁をしたら村民を欺いたと同じで、村長の責任は重い。執行部の監視役としての議会の原点に戻りたい。」と話す。

議会は警察ではなく出来る事は限られ、行政の書類の確認から不正を発見するのは難しい。証拠がなければ行政は決して真実は出さない。何故なら職員を守る事は自分達を守る事になるからだ。
村長職の5期目は町の運営も解り、職員との関係も密になり、「おごり」「議会軽視」との思いが、心に芽生えて来たのかも知れない。「発覚しなければ」「不正が奪かれなければ」など、村民の損害や村運営に遅延となっても、決して町の為に早期の解決へとは動かないようだ。どこか似ているトップの姿だ。




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