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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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土地さえあれば


日曜日、自分の時間を持てた。町内を浜区の「袖浜」「荒砥」「平磯」の、防災集団移転の造成地を見に行った。3つの移転地は各6区画の土地整備希望ながら、既に全てで5棟・4棟・4棟と、約7割の住宅が建設途中で、年内に入居という所まで進んでいた。
早期の土地確保さえあれば、被災者の住宅再建と繋がり、町外への流出者もここまでは進まなかった。残った町内の浜区の住民は漁業で生計を立てているため、この地で生きる事を3.11から決めていた。

志津川地区はこうして住宅再建と歩みを進めているが、戸倉地区は「藤浜」の10棟が土地造成となり、気仙沼・本吉で第一号となり、第一号に入居も藤浜で報道は、被災地の再建進むと報じた。まだ、9区画は建設は無いようだが、志津川地区は土地は造成終了と共に、住宅建設とその差は何なのか、私はその分析はできない。
戸倉団地は戸倉小学校が来年の秋の再建開校を予定するが、災害公営・戸建住宅は28年29年の予定だ。650世帯あった戸倉地区は、登米市への移転者が震災直後から、多くの住民が止む無く他の地区への転居を決めた。その数が南三陸町でも多いと感じる。
荒町地区は100軒余り、戸倉団地は180世帯足らず、他の地区でも残った世帯は高台移転を含めても100軒に満たない気がする。差引だと約200世帯が減少し、400世帯が残った事になるが、そこまで住民はいない気がする。
住民の行政への復興計画に、誰もが何の意義を申し立てない。ごく一部の住民が説明会で町長と関係の課の職員に、「遅い」「なにやってんだ」と声を、怒りの捌け口にしている。
被災前から人口流出は世の流れと大きな対策を講じない行政、震災からの復興町づくりはいったい誰の為なのか、将来に何を残そうと言うのか? 自分の再建計画の判断ミスの露呈する事の無いように、復興計画の見直しを含め、住民の為に町づくりを行政にはお願いしたい。

7月の町の出来事・動きを一枚の情報にまとめた。今後にこの記録が残り、どこに間違いがあったかを確認する材料として欲しい。私の情報を待っていてくれる町民に感謝し、続ける事の原動力になっている。
マイタウン31号_ページ_2
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