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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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一日も早く


27日の河北の報道に町の姿を見る。
9月26日現在の住民意向調査の結果が発表されたとの記事。町が被災し再建の方法は、住民の中で個々に進んでいる。町の被災世帯が3071世帯あり、これまでは629世帯が「まだ決まっていない」との回答で、2割に達していた。震災から3年半が過ぎるのに決めかねている方々は、今回も「98世帯」いた。入院している方など諸々の事情があるようだ。
昨日の「中央区検討会」があり、今日は「防災集団移転説明会」があった。傍聴で聴くと工事の進捗が思ったより早く、前回の30年当初の土地造成も、28・29年の完了との報告があり、災害公営も28年度内には全ての集合マンション・戸建ができ、早い者で28年の4~6月までには入所と言う。こんな嬉しい行政からの報告は近年ない。
公営住宅へのペットと共に入居が2割あり、その対策もしっかり計画にあり、高齢者・障害者などの福祉入居にも、優先順位で住まいを考えていた。

町長が10月2~5日に「台湾に感謝」を伝えに行く。病院の建設費に22億5千万の義援金が、台湾赤十字からあったと言う。随行には観光関係者が参加する。女性が「おもてなし」に活躍する時代となり、グロバ―ルな観光戦略に町として取り組むと言う事なのだろう。あとはオ―ストラリアに随行した総務課長だろうか。気心のあった職員と体を休めに行く?

復興推進課長の及川氏をしばらくぶりで、町民の集まる場で挨拶を聴いた。町長が来てくれたら住民も喜んだ気がする。
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議会質問で現状があらわに 対策本部立ち上げの検証を

2011-04-29 12.53.43
昨夜の「志津川病院の震災の現場からの検証」が、夜8時から教育テレビで自治体病院の震災対応と、緊急拠点病院の石巻日赤の震災時の活動により、今後の医療機関としての「防災対応の在り方」について、震災現場の菅野医師の証言を元に検証をしていた。映像は病院への津波襲来の映像で、サンポ―トと今も残る「高野会館」の間を、津波が勢いよく志津川病院に向かい押し寄せる、初めて見た映像に、現場の危機感が伝わってくる。
志津川病院での入院患者は106名で、菅野先生は「一人・一人と息を引き取る姿を見届けるしかなかった」と言う。屋上には患者職員「63人?」が津波を逃れ、寒さの中で7人が息を引き取り、14名が12日に石巻日赤に搬送された。総数が35名あり一週間市内で4名が亡くなり、志津川病院からの14名搬送のうち4名もが後に亡くなられた。

震災から3年半が過ぎ、震災の検証は時間が経つ事で記憶も薄れ、検証により将来の防災体制の新たな構築へと繋がる。防災医療センタ―の医師は、災害などの緊急時の医療の在り方は、こうした情報の収集分析される事が必要で、現実に見合った体制づくりが出来ていくと言う。

拝啓NHK仙台支局様、多くの町民が亡くなった公立病院の検証が、こんなにも今後の防災にプラスとなるなら、南三陸町の防災庁舎の津波襲来時の職員・町長の行動の検証を、関係者の記憶がまだ残る内にして欲しい。自治体の防災体制の新たな指針となるよう、国営放送として南三陸町の防災庁舎の本部体制づくりは、どうだったのかを検証する事が必要と思う。全国の自治体もきっと「検証結果」を待っていると思います。屋上での出来事を職員の行動を検証し知る事や、その町民として当時を見つめる義務がある。町民の為に命をかけて、町を町民を守ってくれた職員の事を!


震災から3年半が過ぎ、震災の検証は時間が経つ事で記憶も薄れ、検証により将来の防災体制の新たな構築へと繋がる。防災医療センタ―の医師は、災害などの緊急時の医療の在り方は、こうした情報の収集分析される事が必要で、現実に見合った体制づくりが出来ていくと言う。

拝啓NHK仙台支局様、多くの町民が亡くなった公立病院の検証が、こんなにも今後の防災にプラスとなるなら、南三陸町の防災庁舎の津波襲来時の職員・町長の行動の検証を、関係者の記憶がまだ残る内にして欲しい。自治体の防災体制の新たな指針となるよう、国営放送として南三陸町の防災庁舎の本部体制づくりは、どうだったのかを検証する事が必要と思う。全国の自治体もきっと「検証結果」を待っていると思います。屋上での出来事を職員の行動を検証し知る事や、その町民として当時を見つめる義務がある。町民の為に命をかけて、町を町民を守ってくれた職員の事を!

町存続に何をするか?


女川町の共産党議員の二人と無所属の議員3人で、2500世帯に「原発稼働有無」を問うアンケ―トを、自分達独自で始める事を発表した。
町議会の縛りの中で活動が制限されている状況で、独自の調査を実施する。「住民投票」「国民投票」が実施されるには多くの問題がある。政府も「18歳の投票権」「憲法改正」「集団的自衛権」など、国民の民意を確認するよりも、国民から選ばれた事実を盾に、「国民投票」には消極的で、民意を問うのは「衆議院解散」と総理も声高に言う。スコットランドの英国からの独立は、「住民投票」が世界から注目を浴び、賛成が45%で反対が勝利したが、敗れてもこの活動は多くの利益を賛成派にもたらした。
女川原発2号機の稼働を東北電力は、昨年12月に規制委員会に審査を申請している中で、今回の町民への稼働の賛否が問われる。

千葉県富津市の市長が4年後に「財政破たんする」と市の今後を示唆した。「財政再生団体」として夕張市が有名だ。それに次ぐ破たん自治体への今を分析する。
近年は4~5億の黒字財政ながら、東電の原発による税収があったものの、東電の厳しい会社経営から、今までの税収が確保されず、4年後には6億円の赤字財政に転じると言う。こんな所にも電力会社の原発問題の影響がある。女川町とて今まで原発立地の恩恵を受け、平成の合併無しに町として存続してきた。今回の住民意向の結果次第では、町が無くなり今の議員としての地位も無くなる現実を理解し、この行動は町民の安全と生活の新たな安定への取り組みと私は思っている。

一般財源の4分の3が人件費となる、富津市の財政の見直しが必要と、市財政の改革なしには市の存続は難しいと言う。財政の厳しさは市民税の増額となり、住民サ―ビスの低下となる。市は限られた財政で町民サ―ビス運営となる。
我が町も新しい町づくりは多額の復興交付金で再建されるが、今の人口減少や新病院の維持費など、財源の確保を今から講じている。震災公営住宅の大幅の増設による維持費もある中で、素晴らしい行政施設や観光施設の整備で、町の財政の確保は厳しいと今後を懸念する。
町の人口・規模や町民ができる事を分析し、町の在り方を町民と共に考えないといけない。一般財源の最大の支出は職員の人件費は何処も同じで、どうこれを削減するか、職員への報酬の減額を理解してもらうかなど、町の取り組みが必要だ。被災3年半から5年8年と進む中で、町の安定の為に方向性の修正や、限られた税収と財政の確保の把握をし、行政の運営をしないといけない。

災害公営住宅・祈念公園の維持費やなど、今までにない町経費での維持費が求められ、これまでの病院の維持費の年3億を超える負債解消など、経費削減は優秀な人材の確保が最大の解決方法で、国をあてにした財源の確保だけでは、町の存続はない。女川町の共産党議員の活動を注視したい。

土地さえあれば


日曜日、自分の時間を持てた。町内を浜区の「袖浜」「荒砥」「平磯」の、防災集団移転の造成地を見に行った。3つの移転地は各6区画の土地整備希望ながら、既に全てで5棟・4棟・4棟と、約7割の住宅が建設途中で、年内に入居という所まで進んでいた。
早期の土地確保さえあれば、被災者の住宅再建と繋がり、町外への流出者もここまでは進まなかった。残った町内の浜区の住民は漁業で生計を立てているため、この地で生きる事を3.11から決めていた。

志津川地区はこうして住宅再建と歩みを進めているが、戸倉地区は「藤浜」の10棟が土地造成となり、気仙沼・本吉で第一号となり、第一号に入居も藤浜で報道は、被災地の再建進むと報じた。まだ、9区画は建設は無いようだが、志津川地区は土地は造成終了と共に、住宅建設とその差は何なのか、私はその分析はできない。
戸倉団地は戸倉小学校が来年の秋の再建開校を予定するが、災害公営・戸建住宅は28年29年の予定だ。650世帯あった戸倉地区は、登米市への移転者が震災直後から、多くの住民が止む無く他の地区への転居を決めた。その数が南三陸町でも多いと感じる。
荒町地区は100軒余り、戸倉団地は180世帯足らず、他の地区でも残った世帯は高台移転を含めても100軒に満たない気がする。差引だと約200世帯が減少し、400世帯が残った事になるが、そこまで住民はいない気がする。
住民の行政への復興計画に、誰もが何の意義を申し立てない。ごく一部の住民が説明会で町長と関係の課の職員に、「遅い」「なにやってんだ」と声を、怒りの捌け口にしている。
被災前から人口流出は世の流れと大きな対策を講じない行政、震災からの復興町づくりはいったい誰の為なのか、将来に何を残そうと言うのか? 自分の再建計画の判断ミスの露呈する事の無いように、復興計画の見直しを含め、住民の為に町づくりを行政にはお願いしたい。

7月の町の出来事・動きを一枚の情報にまとめた。今後にこの記録が残り、どこに間違いがあったかを確認する材料として欲しい。私の情報を待っていてくれる町民に感謝し、続ける事の原動力になっている。
マイタウン31号_ページ_2

祈念公園用地tが当初の4分の1に


東日本大震災で犠牲となった「800名余り」の南三陸町住民を、慰霊追悼する場所して、防災庁舎跡地に「慰霊の丘」などの整備があり、記念公園の整備に町の要望の24haから、ついこの間まで15haになり、こん議会により「6haに縮小」になった事が報告された。
費用対効果としての祈念公園の面積が、国の予算として管理補助が難しいと、町の要望が認められなかった。この災害の「記憶慰霊碑の建設」が、軽んじられる、国の判断と行政の要望が取り入れないから縮小となり、今後も行政は国に予算の増額を申請すると言う。しかし、国も1200兆借金を抱え、国の支出は難しい。
何としても犠牲者に報いる為、町長に町づくりを託し命を落とした職員の為に、町として町長として、災犠牲者に報いる努力をすべきと思う。
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一般財源が決算特別委員会で「黒字」にと新聞は報道する。基金として復興交付金が使われない分を積み立て、その予算があり黒字となったと判断する。復興事業の予算の執行に「入札不調」など、事業予算は付いたが消費されず、明許繰越、・事故繰越として、財産の処置がされた物と思う。一般財源が黒字と言うなら、西岸の整備費を町の財源から捻出する事を考えるべきと思う。

昨日観光協会の人事で、会長他4役が決まった。聞いた事のない名前が連なっていた。前会長の退任の策略があったと、中身に詳しい町の重鎮が話す。町の運営形成はおかしい方向に向かっている。そこの住民の意向とは程遠い町の勢力が見え、一人の勢力の拡大に思える。独りよがりの政(まつりごと)は政治崩壊となり、被災地の再建の失敗は、町の破たんへと繋がって行くように感じる。

町の現状を南三陸マイタウン情報「31号」で伝えたい。

マイタウン31号_ページ_1

町の出来事「30号」

最近の南三陸町の出来事を伝えたい。

昨日9月15日の敬老の日に、旧本浜地区にあった「さかなのみうら」が借りていた大久保の店舗が全焼した。「甦れ南三陸町」と被災店舗に看板を掲げて誓い、仮店舗でも町の再建を、町民と一緒にと頑張っていた。被災者への物資の受け皿となり、被災住民に物資を震災直後の支援活動をしてきた。
弱い地域事業所でありながら、行政との支援を特別としない事業所として、被災地南三陸町支援の受け皿となっていた。この二次被害への行政の支援は欠かせなく、水産品の発信源として早期店舗の支援を町にはお願いしたい。市街地再生を夢見ての途上の災害だった。
マイタウン30号_ページ_1
マイタウン30号_ページ_2

震災復興からの町の情報は会社ホ―ムペ―ジからだったが、HP作成技師が見つからず更新がストップしている。「町の政に思う」のブログで、南三陸マイタウン情報30号」を、社員が見つかるまで発信していきたい。

プライドを行政職員に


アビバキッズ志津川教室のこども達がパソイン打ち込みの全国大会で、1000名参加の中で団体優勝をした。小学生2年の部で421字を5分間に打ち込み、志津川小2年の佐藤さんが優勝した。また、小学6年生の部では808字を打って入谷小6年の阿部君が優勝した。大人では通常300字~500字と言う中でのこの数字、「ブラインドタッチ」でだろう。
テコンド―志津川支部の小学六年生と中学三年生が県北で初めて子供が段取得した。多くの南三陸町の子供たちの活躍に未来への希望を思う。反面、気仙沼・本吉地方の「児童虐待」は震災前の2倍だと言う。震災雇用への不安やコミニティ―の変化がその要因にある。

町の噂を単なる「井戸端話」とは取れない。台湾へのお礼参りに170万の町の財政支出があり、同行に総務課長と秘書と言う。どうでも同行者の理由付けはできる、話の上手さと周囲の仲間の協力がある。
ある自治体のトップが自分の休みの日を利用して、自費で被災地支援の町民に同行し、長く支援者も自費で被災地支援をしている。そんな中で義援金や支援の御礼はわかるが、被災地南三陸町の仮設生活者の今の生活を考えて欲しい。
60歳を超えても「精力絶倫」は男としてはありがたいが、する事が沢山ありそれを求める事は叶わない気がする。多忙・苦労の捌け口を女性に求めるなら、仙台のソ―プランドに行く事を進めたい。本当に悲しい限りである。子供たちに恥じない行動を行政幹部の大人にはお願いしたい。

「自分の真ん中に南三陸プライド」だ!

戸倉西戸の折立川の向かいの荒れ果てた被災農地の、復旧工事か今年度中に8割の完了を目指すと言う。復興途上でやるべき事は沢山ある。自分の我欲を発揮するのはもう少し待って欲しい。次回の立候補はしないと「巷の噂」で、今の現状の責任の回避がここにあると言う。最後まであと1期の震災10か年は頑張って下さい。

見学会に行けなかった皆さんへ


見学会会場に設置された「立ち見台」の4mの上から、東地区西の造成場所を望む。東地区東の造成は60%の進捗率と、造成共同体の社員は言う。
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南三陸病院・ケアセンタ-の土地の造成・整備は終わり、建物の基礎工事が進んでいる。市街地は電柱が立ち、現在使用していると言う事で、造成が終わっても、外構工事に時間を要すると言う。なるほど! 大変な復興事業が進められているが、もう少し早くならないのかと、町の工事のやり方を思う。
福島原発のある自治体は町外退去指示が終わっても、3割しか戻らないと言う。避難場所に留まる被災住民も多く、若者が町にはもう戻らなく、そしていないと言う。児童生徒も4分の1しか残っていない現実は、原発と我が町は違うが、時間の経過は最大の弊害をもたらす、今後の対策が早急に必要だ。

広大な街づくり計画 攻めの町開と戦略性で町の再生は 破たんへとならないのか


南町の海の突端にあった土地は、以前「かき剥き場」があったが、この場所は町づくりでボ―トパ―クに生まれ変わると言う。私が観光振興課の係長に、松島を拠点とする観光船で結ぶ観光開発の事業があると、震災から1年目頃に「町で参画してはどうか」と、当時の係長に進言するも、「その提案は町では無理です」とはっきり言われた事を思い出す。議員活動の中で情報収集し、議員として提案した事に一職員の決定は、私が反町長派で職員は県外の人間で、町長が優秀な人材として職員雇用した者と理解していた。我が町には変な風潮があり、町長である自分に反旗を翻す、住民には行政は何もしてはくれなく冷たい。私を含めた厳しい住民の要望を実現には力を尽くそう氏はしない。そう感じた方々の多くが町外に脱出している気がする。私はこの町の復興を最後まで見届け、仕事も命を有る限り町の姿と裏を伝えていきたい。政治とは自分をアピ―ルする場ではなく、本質的には住民生活の再生支援があり、それに合わせた政策をしないといけない。

昨日テレビでもス―パ―建設へと放送していた。行政が流した情報として、震災1年目の12年からス―パ―建設したいと要望するも、被災地に本設をと行政は求め、企業誘致が進まない中で、今回の誘致を自分の力とア―ピルしたのだろう。町民の生活の為と言い、本当は自分の為である事を私は知っている。行政のポ―ズを見逃さないようにしたい。ス―パ―建設の要望が2500名住民からあって、建設は17年である。町が建設支援をすれば13年末には、建設されたと私は思う。

本浜行政区は何処に


しばらくぶりで本浜地区の海岸線道路を通った。市街地の嵩上げが急ピッチで進み、市街地の通行は「う回路」と「海岸道路」の二つとなった。

3地区の高台移転の町づくりも、各地区に分かれ高台移転住民検討会が持たれている。旧行政区や親戚・友人・知人のクル―プでの移転希望は、106世帯になり、知っている人たちで高台に住みたいがある。本浜の住民の意向は私にはもう聞こえてこなく、志津川市街地の皆さんへの情報発信しかできなくなった。

昨日「大森の高台下に、水たまりができ綺麗な花が咲いています」と電話がきた。名前も判らなく取材してくださいの連絡で、今日その場所に行って見た。しかし、それらしき花を見つける事はできなかった。今は私にはこんな事しかできないでいる。
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7日日曜日午前10時から、東地区から低地部の現場見学会がある。今の工事の進捗を見せ説明すると言う。私には何も変わらない気がし、高台の土を削り低地部への嵩上げだけです。これで「現場の体感を!」の行政・工事共同体の呼びかけに、どれだけの人が集まるだろう。新井田遺跡の見学会は250人余りが集まったが、町外からの考古学大好きの方々がその中にいる。隈氏のグランドデザイン説明会にも、多くの人が集まったと言うが、多くの関係者が見られた。住民の関心は過程ではなく、住む場所を早くです。工事の遅延の状況は諸々の諸事情もあるだろうが、住民の納得できる行政の政策が何なのかを、しっんり考え事業を進めて欲しい。

これから何かが町に起こる


昨日海岸線の市場に続く道路を通った。我が家の自宅も嵩上げが始まっていて、親戚は「何処が昔の家の場所か判らないな」と言った。私はちゃんと知っている。水門の切れ目の道路からまだ残る真っ直ぐな道路の右が、家と工場のあった場所だ。
どんどんと志津川市街地の嵩上げがされ、町では旧市街地の景観の記録を写真保存と、暮らしの記録をしているのだろうか。

私は志津川の市街地再建で、元の土地の10M嵩上げの土地の上に換地をするので、昔の想い出をまだ残せる気がする。残った目印の水門もあと2年で、市街地の再生の為に海岸道路と共に無くなる。私は昔の土地で昔のような自然の景色と共に生きて行く。
林から荒島をしばらくぶりで望む。海岸線を守る防潮堤の修復工事が進んでいた。ここから島までは津波の襲来で、引き波により海底が全部見えた。河北新報に林の方が投稿し掲載された。この光景も信じられない唖然とした事を今も思い出す。100年に一度の大災害が私の生きる時代にあり、申し子として私は今後も、この事を語り継ぐ義務を感じる。今は「語り部」に表面に出て頑張ってもらいたい。しかし、間違いなく津波と共に人生も終わる予感がする。
日曜の三陸新報には、南三陸町佐藤仁町長は「防災庁舎解体に変わりは無い」と言っていた。政治家の裏と表は自己の戦略性が発言にはある。自民の内閣改造の舞台裏のやり取り、拉致被害の韓国の政治利用と言い、何処に真実があるのか良く判らない。「正直者は馬鹿をみる」、こんな被災地の状況が続いていると私は毎日感じている。ズルく立ち回れない自分がいるから。小悪じゃダメなのかな? やっぱり正直の方がイイ!

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Author:千葉のぶたか

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