「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

意を同じくして


「おっ!」と役場前で声を掛けられた。「おめわがってっか」「180万かげで町長台湾さいぐごど」「議会が180万の予算計上を採択したごど」と、顔を見ると一気にまくしたてられた。
町長が被災地南三陸町の支援への御礼に海外へとの話は、町の噂となっていた。それが180万?との数字は初めて聞いた。報道であったらしい。

震災直後から会話をする事が多くなった方で、家族が震災死し、いち早く家を建築し、被災地の復旧復興に取り組んでいた。町の政治にも深く切り込み、町民として直接町長に駄目だしをする方はこの人しかいない。利口な人は町長に寄り添い、物言う事は町を見放し町外に脱出している。
私はこの町で生き、この町で一緒に生きようとする人を応援していきたい。この方も「町に残る人を助けたい」と、常々話している。
この日は病院に来たらしく、5千・・円支払った。私はいいけど生活の大変な人は、病院にかかるのも大変と、生活苦の町民は医療費の免除を今後も続けて欲しいと訴えていた。こんな被災者の続く苦労の中で、復旧復興も遂げてない今、180万円も掛けて海外に行く必要があるのだろうか。全てが終わってからの行動でも、支援国は理解してくれる。
私の知人は仕事から離れ、実費で震災直後に支援をして下さった方々に、全国へ感謝の意を伝えている。自分は町民の事だけを考え、今は町長には頑張って欲しい。
2年前に議員だった頃、オ―ストラリアからの町長招待があり、町長経費は招待国の経費ながら、同行した職員の経費「36万」余りが、南三陸町の財源から支出されていた。内密にわからないように支出され、議会でこれは被災地にある中で非常識と返還すべきと私は追及した。今回はこの経費が議会で採択されていた。町民の生活環境とは意識のずれが、行政職員と監視の部署には、考えの違いがあるようだ。
原発反対・集団的自衛権・沖縄基地問題などの「デモ」は、国民の国や自治体への反発行動がある中で、南三陸町の住民にこうしたエネルギ―は今は無く、ただ黙って行政の事業が粛々と進められる、復興事業を見守るしかない。これで今までの活気ある町が維持できるだろうか。

意は同じでであっても被災地で生きる為に、住民の中には行政になびいている人も少なくはない。
スポンサーサイト

輝く


昨夜6時30分から町づくり協議会の、次の段階と言う「輝くまちづくり部会」の一回目の会議が行われた。仙台から帰り残った仕事を片付け、急いで会議に参加した。
メンバ―の構成員は20名で、30人と予定していた中で、10人の減少の意味が何なのかを考える。構成員の若返りに「私たちの町を自分たちで考える」、こんな意欲を感じられた。
八幡川の階段の整備で、川との「親水性」を考慮した構想がある。左右4カ所を階段にと計画はあった。多くの部分を階段にとの構想と思っていたら、一部分のように私は感じ、灯篭流しやかがり火祭りなどに考慮した河川の活用があった。
隈氏の志津川の市街地のグランドデザインには概ね賛成とのワ―クショップでの反応だった。多くのプラス希望が会員より出された。気になった班よりの希望があり、「子供たちの遊び場」「観光客よりも住民の利便性を」「高齢者に優しい町づくりを」「学校への通学路の整備」・・・など、自分の家庭生活から考えられる、町づくりの希望があった。
隈氏の構想は観光を中心に、住民が来町者と交流できる町、足で歩いてもらう事を主眼に置き、デザイン性を重視したモダン・近代的な市街地の整備があった。「もっと住民が生活しやすい町に」、が若い構成員から出された事に驚かされた。広場の幾何学的な構造物よりも実用的な形に等、現実的な生活の場を造って欲しいがあった。

私が大きく平均年齢を上げていた気がする。

仮設解体・高齢者の不法・人口減


三陸新報・河北新報には、毎日のように被災地の現実の厳しさが掲載され、その中で町民がけなげに、生き抜く姿が報じられている。
南咋陸町の入谷災害公営住宅に、気仙沼市・南三陸町の地区で最初の第1号となる入居者が、「笑顔の家族集まる」と報じられていた。新居で迎える孫との初のお盆、こんなほのぼのとした家族は、ごく一部であることを知って欲しい。
気仙沼市に県外から子供たちが、被災地の現状を見に来た。気仙沼向洋高校の遺構となる可能性の中で、その姿に震災の恐ろしさを感じていた。最近の豪雨被害で、ある中学校の4階建ての校舎二階まで、川の氾濫で浸水した現在の自然異常、決して他人事ではない事を知って欲しい。「自助」、自分の身は自分で守るが今度の震災の教訓でもある。
町指定の避難場所に太陽光発電を2年間で整備すると言う。多くの被災自治体では、既に東松島での「メガソ―ラ」を、本吉でも水田への太陽光ソ―ラを設置している。我が町の行動は住民生活よりも、観光・商工の整備に力を傾注し過ぎの感がある。
町の建設した仮設住宅にも空き地が目立ち、志津川・歌津での解体も進められている。残る人や高齢者の孤立が今後の問題として浮上する。福祉士の巡回や通知だけの町の被災者支援でいいのだろうか。見て聴き現状の問題打開に、取り組む事をもっとやって欲しい。私は限られた方々の見守りをしているが、町民一人一人が何人かに目を配る事が、孤独への解決の一つとなる。
昨日、知人が町に息子が町に帰って来るので、仮設を一つ欲しいと言う。町は祖母が住んでいる仮設に入って下さいと言う。仮設が空いていて家族が今後戻ろうと言うのに、行政のこの対応は人口確保と逆行している。担当課を聴きここならこんな対応だろうと思った。被災者支援センタ―の「・・・さん」を紹介した。
公僕としての行政職員、もっと住民の苦悩をわかってやれないものか?




被災地となって町の観光の先導者が決まる


観光協会の使途不明金の発生があり、観光協会臨時雇用の一人の職員が、前年度末に返金し退職した。
観光協会の25年度総会の席上で、新役員の人事が決定されないままで数か月が経った。こないだ得意先に行った時、「観光協会会長さん・・・に変わったんだってね」と言う。前会長は「南三陸ホテル観洋」の副社長さんだった事は有名だが、今回は留任とはならなく、海産物会社の専務がその職を引き継いだ。通常ならば観光協会福会長が継ぐべき職ながら、何かが町民の知らないうちに起こっている気がする。

観光の繋がりや観光を熟知している方がこの役職に適任で、全ての事を考えればまたの留任が適任で、震災直後から被災者の救護・宿泊など、町民支援をしていた。本社は中国へ水産品も輸出し、現地の工場もあると聞く。また、中国人研修生制度を活用し、中国とのパイプも太い。
震災からの復興に町では「外国人誘致」を進める中で、町とホテルとはどんな関係になったかは平民の私には知る由も無い。

町は震災前からホテルの入湯税を半分しか徴収していないがあり、今後この問題もどう変わるかも興味がある。他にも「銘銘権」のごたごたもあると聞く。どこかで良好な町との一企業の関係がおかしくなっていると懸念し、震災復興の途上でマイナスの分と私は考える。
町が「復興交付金」と言う大きな資金力を、自分の力と何違いしている気がしてならない。残された6年半での町再建は、元の賑わいを取り戻す事はできなく、町開きで何が町の復興かと思う。

外国人観光客が何を求めているかをテレビでやっていた。「自然の日本」「人との交流」と言う。人口的に形どられた都市に魅力があるかは、今後の集客結果しだいだろう。グランドデザインの構想料が「1800万円」だと、新聞情報で読んだと父は話す。町と観光協会は農家民宿・漁業民宿の開拓を進める。山里の暮らしの体験型の観光交流を進めている。「建設会社が農家民宿に取り組む」、こんな話も聴くが、大きな町からの支援がないと、この取り組みは難しい。町がどこを目指すのもいいが、不公平な間違った権力の行使だけはあってはいけない。

光輝く町づくりは何時に

「高齢者にとっては一日一日が貴重です」、こんな言葉が河北新報に載っていた。旦那様が公立志津川病院で津波と一緒に流され、まだ発見されていないと言う。「先に亡くならないから」と言っていたと、写真を見ながら話していた。
140812_154643 (1)
8月の「復興まちづくりニュ―ス」が届く、防災集団移転促進事業造成団地の入居者募集が掲載されている。住民の意向調査の元に、「防集」の造成が進められ、その戸建の土地の希望が解消となり、募集として再度入居者を募る。
志津川西が29年、志津川中央・東が30年と遅延している造成地もある。この募集者を何処に求めているのかがよく解らない。町外の人が何も縁のない場所に移り住むだろうか。志津川3地区の人たちが造成が遅いと変更したら困るのは行政で、再度戸数変更が志津川3地区でも、また発生する。
歌津枡沢6戸・歌津中学校7戸・清水5戸・戸倉団地13戸の募集、合計31戸もある。以前の意向の考えから、自己再建で地元に土地の確保で、既に建設が進んでいる方もいるだろう。その数はわずかで、土地造成計画の進んだ残った土地の、今後の在り方や不要となった造成地の経費は、誰が負担するのだろうか。戸倉団地は一坪5万円前後と以前聞いた事がある。単純に100坪希望で13戸で6500万円の、町への土地買い上げの減額、そして税金としての「固定資産」「町県民税」など、多くの町民入居による町の財源の確保の元は、住民の減少により町の収入元が無くなる。
「二兎追う者は一兎も獲ず」がある。高台移転による住民の確保と、市街地の観光・商工開発を同時に進める事は、多くの時間が掛る。また、地元の復興による建設業者の活用など、そこには「復興特需」の交付金の町へ多額の経費が認められ下りる。その行政の判断が将来への大きなツケとして、町を背負う若者や子供たちに回わされる。町民も町の将来を良く考えないといけない時期は過ぎているが、そのツケが大きくならないよう行政に物を申そう。
140812_153606.jpg
写真は廻舘前から高校裏の志津川西地区に通じる、造成地への道路です。この下には「グランドゴルフ」の広場が、我が町の志津川地区の都市計画のゼネコン、飛島建設により町民の為にと造成整備された。しかし、今年中の使用期間と言う。

復興がもたらした災害


隈氏の志津川市街地のグランドデザインの一部分だ。
河北新報に「かさむ経費店主圧迫」と題され、巨大再開発の誤算として、神戸の震災からの再開発の現実が紹介されていた。
「神戸市新長田駅南再開発事業」があり総経費2710億を投じ、今もその工事が進行中と言う。商店は地下一階・地上二階で、高層ビル30階で44棟を建築3000世帯を建設し、入居は全て完了している。しかし、商店街はシャッタ―通りとなり、50㎡で商売をする店主は、想像以上の商店街の疲弊に、家賃・建設負担・固定資産税など、毎月80万円に苦しんでいる。店舗の販売も不動産の下落で、販売もできないと言う。
我が町も旧五日町への「ショッピングモ―ル」の60区画の計画があり、その家賃の額を聞く限り厳しい経営を想定する。旧十日町・本浜・南町の、換地による市街地整備も、土地区画整備により「固定資産税の増額」を、土地換地にあたり生じると職員は言う。観光客の安定確保で商店経営の維持ができる。商売は水物というが、町の「町開き」の中心地の行政の考えは、「身の丈」に合っているかと言うと、行政の考えに不安を抱く換地希望の一人です。
「町づくり会社」設立での第三セクタ―での方向性、テナント入居者の確保、町への観光客の誘致、果たして順調にいくだろうか。
町民は話す「韓国に町長さん行くようだけど」「何しに行くんだべね」と。オ―ストラリアにも招待で行った時、同行の役場職員の旅費は町の経費から出されていた。住民が仮設で苦しむ非常時、絶対に許されるものではない。招待ならば一人で行くべきだし、同行を求めるなら自己負担であり、同行者の分も招待した国での負担をお願いしたい。

前略 南三陸町さま 2


「えー!」こんな声が返ってくる南三陸町の「災害公営住宅建設遅延」、28年度には仮設からの脱却ができるとの夢が打ち砕かれた。震災から災害公営入居を決めていた住民への30年への遅延の報道があった中で、行政の説明は「期間までできません!」と簡単な説明しかなかったと言う。「ここで死にたくない」と、ささやかな願いにも、しっかりとした説明なく、「できない」だけの言葉に、住民は納得できるはずもない。

また、お世話になった方が亡くなった。震災で仕方なく町外に出た住民、住民基本台帳にないからと広報への死亡の掲載はない。これに意義をもった町民の要望を伝えに役場へ行った。震災から町を離れ住所を他所に移した方は、町の住民基本台帳から抹消され、今、住む町の住民となる。好んで町を離れた訳でなく、やむなくの行動ながら町の仕事はマニアルどおりだ。被災後から混乱の中の住民サ―ビスで、規則どおりの業務があり、今まで続けて来た業務内容を変える事は、公正公平を欠く事になる。異常な時だから「制度を変え住民の願いを」との要望も、住民の更なる混乱や行政への業務の影響など、この要望は難しいと言う。南三陸町で暮らし町の為に尽くされたことへ報いる為に、行政サ―ビスとして叶えて上げたいが、聞いた幹部職員も言う。震災復興への歩みの中で、公平の面からも難しい。と多くの理由を説明され、行政の大変さを聞いた。窓口での住民への対応を親切丁寧に、住民要望に職員が、寄り添い納得してもらえるよう説明する事の大切さを、お願いした課長は言う。そのままの行政の話を、要望のあった住民への答えとして昨日もらった。

知人からの言葉は切々なもので、「なんで病院あるのに」「住民生活整備はその次なの」「壊して造る意味はあるの」と言っていた。また、こないだ開催のコンサ―トに同行した団体が、「1億円私たちは南三陸町に寄付しました」との説明に、行政は「匿名で!」との支援者の希望があるとの事で、義援金の相手を今も発表はしない。だから住民は義援金への配分に疑問を行政に持っている。そして、支援頂いた方への住民の感謝の気持ちを伝える事もできない。

「職住分離」の町づくり検証を


表だって住民は話していないが、移転が遅れている志津川市街地の再建の在り方に、不安と異議を話す人々の、悩みをもっと行政は聴くべきと思う。

昨日のラジオから「隈研吾氏のグランドデザイン」と題した番組を偶然ところどころだが聞く。被災地の再建の構想を流暢な話し方は、強い説得力を感じる。この隈氏の被災地の表現が許された経緯は、知る人しか知らない。国だったり、UR都市機構だったりする。南三陸町町長が市街地の中心再生が、自分の町づくりに合致し、こんな他に類を見ない一大構想へと今歩んでいる。
地元紙にも「熊氏のデザイン実現へ」とあり、住民総てが納得しての方策なのか疑問だ。新しく市街地構想は将来への税収確保が最大目的で、その根底に観光商工の発展があり、農林水産業の復興の為にもこれしかないと言う。こんな構想に住民生活の再建もあると言うが、私には正しい方向性を感じる事はできない。市街地に住民が住む事を基本とし、それに生業と言う水産・農業により商工が成り立ち観光へと繋がる。昔からの生活スタイルが町にあり、ここまで町が繁栄し輝かしい町の伝統を続けて来た。多くの災害があれど、ここまで町を変えた事が本当に正解なのかは、復興計画の10年が終わる頃には、町長政策が成功だったのかが見えてくる。

「太陽光発電」が原発の依存から自然エネルギーの変換へと世論が動く中で、当初から議会・町づくり協議会で、建設される住宅へ「太陽光パネル設置はできないのか」との、質問が町・UR都市機構の職員に出されたが、制度上できないとの答えが続いた。金曜日の第8回臨時議会の会議で、行政より学校など公的施設に「太陽光発電」「蓄電器」の設置を10カ所にすると言う。その見積入札に「地元企業の入札はあったのか」と、歌津の三浦議員が行政に問う光景が、役場窓口の前のテンビのネット放送で、偶然に放送され見た。入札業者は1社で落札したと聞いた。被災から3年6か月となり、被災自治体の再建も折り返しとなり、太陽光発電の関連会社とて、既に工事の発注・受注し、入札参入者は少なく、何とか入札を成立させたい自治体は、予定価格の増額などを講じ、国の復興交付金申請の期限もあり、通常以上の高額で落札をしている。国の被災地交付金だからとか、高額になっても自分の懐に影響はない等、他力の町再建で良いのだろうか。身の丈にあった町づくりをと私は思う。復興後の管理費・維持費は再建後町民の負担となる。

東京オリンピックや全国での台風被害があり、予算も建設業者も不足する事を、常々心配する。早期の再建政策の決定で、業者・予算も確保・削減できるのに、その影響が将来の町財政に響く事を私は懸念する。「誰がその責任を取るの」、100年に一時の大震災だからは、その理由にはならない。

前略 南三陸町さま


6月・7月と同級生や知人の両親が亡くなられた。この地で生まれ生きてきて80年そして90年になり、津波や多くの苦難があり、志津川・戸倉地区で生き抜き、これまで町にずーと暮らし行政を支える税金を納め、町の生業を支えてきた。

東京への生活を選択し親の老いを家族は最後まで見届けた。仕方なく町を離れた厳しい決断でも、菩提寺の先祖の墓に母を納める。宮城県の為の復興復旧に、自分の生活の為に、仕方なく隣町の生活を選んだ同級生もいる。我が町での早期の再建を願うも土地が無く生活環境も無い震災直後は、残された家族で母を介護したと聞く。しかし、この同級生の親の死が「みなみさんりく広報」には掲載されなかった気がする。葬儀で案内を頂いた親戚・近隣者のみの、ささやかな告別式で、平時なら多くの人たちの参列を頂き、故人を忍びその最後を喪主が皆さんに伝え、故人の事を思い出す。ひと時でも我が親の生き様を知ってもらいたいがある。
昨日も突然、病院に行っていた私の携帯が鳴った。世帯主が南三陸町で暮らしていても、その家族が亡くなっても、広報誌で南三陸町の全世帯に「なぜ伝える事はできないの」と、行政へのお願いの要望があった。私の母親も現在介護施設に入所し、住所は施設に在り郵便物もそちらに届く。しかし、皆が諸々の事情で町内の施設とはいかない。たぶん住所が地元でない為に、「みなみさんりく広報」には載せられないだろう。
南三陸町の震災による仮設生活者やみなし仮設生活者は、住民基本台帳に記載されてはいるが、みなし仮設で他の地に移り住み、その地の施設に両親がお世話になる実情もある。今回の被災は100年の一度の現状がある中で、南三陸町の住民に「私の両親の死を伝えたい」、こんなささやかな願いを行政は聴いてはくれないものか。広報の最後のページの裏面に死亡欄への10文字、なぜ載せられないのか。震災で止む無くの悲劇であり、住民への行政震災対応して、希望のある方には掲載してもなんの問題もない。
なぜできないのかを広報発行の企画課に聴きに行きたい。そこがダメだと町長・副町長と言う事になる。

南三陸町のたくましい子供たちの育成


今年の猛暑は全国で子供たちの悲惨な「川・海の事故」が多数発生している。昨日アリーナに出かけると、写真のポスターを見つけた。「南三陸町のこども達へ」のキャッチフレーズで、「長須賀海岸モナビーチ子供たち広場」と、海に遊びに来て! との告知だ。期間が7月20日~8月10日と、今度の日曜までとなった。このお盆ごろから「どよう波」となり、波が少しづく荒れてくる。子供のころから両親に言われてきて、夏休みも折り返しとなる。事故なく楽しい夏休みを送って欲しい。

昨日は気仙沼の県合同庁舎に「12次グループ事業」の説明会に、グループの代表として行って来た。大きな会場に30名は集まっていただろうか。話しを聴いていると「資材高騰の増額申請」の説明会会場だった。土地が確保できない、工事費が上がり困っている、何時まで補助事業を続けられるのか等、多くの質問が宮城県・企業庁・経済産業省の担当者にぶつけられる。丁寧な説明ながら、制度上公正をきすため、予算の関係、理解はできるが現時点では無理である。こんな回答に被災者再建の厳しさを目の当たりにした。「事業所への再建支援は今後も続きます」と、私の質問にも嬉しい言葉が返ってきた。

夜は週2日となった「志津川剣道スポ少」の練習会で、今月末の気仙沼の大会に向け、基本練習から試合へと練習も進み、子供たちの目もキラキラして闘争心と言う物が芽生えてきたようだ。礼儀正しい強い精神力の子供たちの育成は、4か月ながら順調に進んでいる。竹刀が防具の隠せない場所にあたっても、低学年ながら泣かない子供達へと変わってきた。

私が理想とする今まで暮らした志津川が亡くなる


志津川市街地からの「津波拠点事業」として、3地区の造成が進んでいる。
東地区の北区は190戸から半分に造成面積が縮小され、東区の病院・ケアセンターの着工式が終わり、西区の現在の造成が写真で、駐車場の隣りの山が切り取られていっている。

(志津川東地区の現状況)
東の土地希望が154世帯となり、一坪あたりの価格は約6万~6.3万円で、借地代は66円~74円と言う。3地区の店舗付住宅を希望する住民は62世帯で、全体の18%となった。全体で土地購入が197世帯の56%で、借地は153世帯の43.7%と、土地の確保の資金的余裕が無い事が表われている。将来的には購入や転売もその中の住民の考えにはある。また、グループでの移転希望が多く、旧行政区・親族・友人など、3団地で103世帯があった。震災を通しての近所との助け合いや、一家族での生活の不安が、こんな結果を生んでいる。戸建での移転は希望は350世帯で、これが最終と思うが、土地の余裕もあり外部からの移転も受け付けると言う、町の考えも聴く。

災害公営住宅の8地区の入居希望者1523人で、65歳以上が551人と全体の36.2%を占め、志津川市街地地区は368人で35%だった。南三陸町の高齢化率は30.5%で、県内で7番目となり気仙沼は5番目と言う、七ヶ宿が44.6%で一番だった。しかし、南三陸町は住民の数が未だに流動的で、復興計画の完了後の32年には、厳しい数字が躍る事と思う。



歌津港の防災集団移転場所に、もう平屋の形ができていた。どの坊集もだが土地さえあれば被災者の再建は始まる。知人も来年に土地が確保でき、昨年の内にハウスメーカーとの建設契約を締結させ、土地造成で直ぐに工事が始められると言う。昨年の契約だと資材も当時の値段でイイと言う。
昨日はグループ補助で建設を進める知人と会い、情報収集のため少し飲んだ。その建設費の高騰の話しを聞き、自宅の建設費位の上乗せに驚いた。国の補助事業は資材の高騰分も考慮すると言う。被災地の事業再建への国庫の支援は安心と言う。明日は私のグループの代表として、気仙沼に説明を聞きに行く。「4分の3グループ12次募集」の個別の説明会である。

驚くべき高台移転の予定があり、町民も更なる不安と言う。志津川西が29年、東・中央が30年の完成引き渡しの町の情報、伊里前・戸倉の28年を早期になのか? 大きな工事区が多くの時間必要となったのか。志津川地区は2割の移転希望の減少があり、完成期の遅れの説明が当初から想定されての、2年の遅れの意味と住民の反応が気がかりだ。

25年の独自支援の実施状況が報告された。利子補給の申請が224件で、2割が町外で50世帯弱が移転し、そのうち37件が登米市だった。私も昨日に金利補助の内定は25年だったので、この数字に入っている。しかし、建設からローンの土地と建物の抵当権設定の終了が先週で、その後での「建物登記」の取得があり、昨日に補助金申請を済ませ、補給は1か月ぐらい掛かると知人から聞いた。ローンでの建物保険が30万、抵当権設定費が28万と、更なる支出に蓄財の枯渇がある。残ったのは自分の保険の預け金だけとなった。
被災者の住宅再建とて建設費の高騰で、建設計画はいくら補助金があっても、厳しいこれからがあり、その現実の大変さを思う。

バックビルディング


九州・四国地方に500ミリ以上の連続降雨による、家の浸水やがけ崩れなど多くの被害が発生した。今年の日本の被害は「バックビルデイング現象」によるものと、被害が発生するごとに伝えられる。自然災害からの人間の被害対策は「避難」するしかない。まして河川域はどんな状況になるか、自然災害の予想は人間には無理という事が解った。
今、朝鮮半島へゆっくり進む台風と、太平洋高気圧の張り出しが弱い事が原因と言う。台風の時計逆回り、高気圧は時計回りで、双方の海水を巻き上げ日本列島に、その間が四国に在り、長時間の豪雨による被害をもたらした。黄色や赤の降雨予想図にはゲリラ豪雨の降雨域が、連続して四国に発生し被害がでた。
先週の仙台での10分間に「9.1ミリ」は、大都会の排水力を越え、道路に溢れていた。山地の給水力も超えるとがけ崩れとなり、少しの油断が個人的にも大被害となる。

最悪の状態の連鎖は大被害となる。被災地でも間違った計画の、改善変更・対策対応など最良の判断力が求められ、それを疎かにすると、将来へ大きなツケが回る事となる。今、進めている計画は後戻りができないかも知れないが、少し計画改善する勇気も必要だ。町民の意向調査の希望減少や、ショッピングモール・福祉モール・病院縮小・役場建設の見直しなど、初来への子供たちにツケの後回しとなる。復興交付金での復興・復旧は予算がでるが、箱物の維持管理費は町の財政から支出となる。

町で生きていく上で、天災・人災の回避を本気で考えていきたい。私の生きていく行動力は正義感でしかない。

町づくりを考えている間に住民がいなくなる


私が30年前に住んでいた地区は「旭ヶ丘団地」だった。今日、用事で旭が丘に行くと「七夕」の時節とあり、地区の集会場で七夕の飾りつけがされ、子供達や住民が集まっていた。震災後も被災者の救護や被災者支援に、地区民が活動をしていて、私も個人活動として登米市から物資の買い出し支援をした。地区のコミュニティー活動が、震災後も盛んに行われている地域でもある。

今日、地区配布があり町広報・議会広報・各種イベント開催のチラシがポスト入った。「石川さゆりコンサト」のチラシがあり、私も行きたいと思うのだから、川中みゆき同様間違いなく整理券は、朝5時前から行列ができるだろう。その他に町民への生活・住宅意向のアンケートの調査書が入っていた。結果は行政が落胆する事となるだろう。

地元紙には入谷・名足の災害公営住宅の完成式が2日に開催された。それに伴い各地区の災害公営住宅の建設完了の予定が掲載されていた。続く内容に驚くべき現実の記事にあった。災害公営住宅の今後に、歌津・枡沢が来年3月、戸倉・伊里前が28年当初、志津川西が29年度当初、志津川東・中央に至っては30年当初が入居予定と言う。「28年度には全てが入居」と言う、当初の行政の方向は発信は何だったのか。建設の大変は皆がわかっている。なせ、被災者が早く入居できる対策を講じないのか。人口減少も仮設での入居期間延長により、戸建も災害住宅も時間が掛り、人口減少の増加も判っていた。なにも出来ない行政があるが、南三陸町は女川町よりも町に土地はある。ホテル観洋の国道45号の向かいの、「黒崎テニスコート」「災害ヘリポート」の場所は、直ぐに使える状況にある。入谷もあるが高台移転への住民の場所として、直ぐに造成ができるのに、なぜなのかと行政に問うも、住民の希望が無いからと言う。この場所を移転の候補地に示さないのに、住民の選択もない。町の土地である。「ひころの里」「旧林際小」なども、町復旧の前の一時期の生活地として、活用はできなかったのか不思議だ。政治の利権でもあるのだろうか。

志津川東・中央が30年度当初との予定に、被災住民の生活苦が、行政の政策決定のトップと、関わる職員には危機感が薄いようだ。行政職員からもトップへの提案や反発がない事に、「なぜ?」と町民はこんな意識を持つ。

これは人的ゲリラだ


圏内に発令される「竜巻注意報」があり、出先での対応に苦慮している。
仙台で突然の雷と豪雨があり、この雲が北東に移動し石巻地域に「竜巻注意報」が発令された。テレビでの想像を絶する自然災害を毎日のように目にし、父親ひとりを自宅に置き、窓閉めを伝える為に電話するも、呼び出しても連絡が取れなかった。近くで働く姪に電話し「伝言」を頼のんだ。「窓閉め」と「電話連絡」だ、確認の電話が来ない! 次にエアコン故障で修理業者の訪問があり、業者に連絡した。まだ、心配なので後輩に「雷雨じゃないの」の連絡、「降ってないです」と答えが返ってくる。その後に自宅まで父を訪ねてくれた。心配と不安の交差する出張だった。

昨日も戸倉荒町の掃除に行くと、「ピカ・ゴロゴロ」と空が一揆に暗くなった。また、「豪雨が来る」と察知し掃除を止めて自宅へ、戸倉で「ザァーザー」と降り始めた。二階の窓を3分開けていただけだが、家の二階の廊下と出窓は水浸し、「ゲリラ豪雨」の制裁を受けた。用心するに越した事は無い事を実感した。毎日の猛暑から部屋に風を入れる為ながら、家を空ける場合は「年老いた父親頼み」を今回の事件で断念した。

天災への判断は自己での「自助」でしかない事を地でいった事件だった。津波注意報でも避難勧告が出ても逃げない現実があり、「震度4では大きな津波は来ない」と、津波体験者は知っている。行政のマニアル通りの防災警報に私は疑問を持っている。

世界的な異常気象は二酸化炭素の世界的な排出により、「オゾン層破壊」が影響している。赤道上の「エルニーニョ」があり、北極ジェット気流の蛇行など、国内・世界的な異常気象が現れている。
町の土地の造成・嵩上げを山土の赤土があり、雨での流出が志津川湾にもたらす影響を懸念している。「町の復旧復興にはしょうがない」が行政にはある。自然を活用した町再建もあると私は今も模索する。

「なぜ?」 まだ整理がつかない


一昨日は石巻日赤、昨日は仙台大学病院と、病院通いが続いた。町での診療体制では対応できない診察と治療だからだ。来年10月に「南三陸病院」としてオプンするが、先生の確保は元より、町民の減少で病院の維持費が拡大し、その負担の町からの支出は、税収減の中で対策は講じられているのだろうか。町からの持ち出しをしないような、病院単独での会計で、マイナスの生じない経営に取り組むべきと思うし、一会社として当然の事だろう。市場調査は元より想定の甘い経営体制では、立派な建物を建てたと言う結果だけで、長続きはいばらの道と言える。箱物倒産・破たん自治体とそのツケは町民へと向かう。被災地だから、町民の命を守るためと言っているか、町民の皆さんにはしっかり町の再建実態を考えて欲しい。

政権では高1少女の猟奇的な事件が発生し、また、31歳の男性の鬼畜的な連続殺人事件となりそうだ。事件となる前の警鐘・予兆はあったのに、それを見つけられない事実ばかりがある。
家族がその子供たちの理不尽な死に、「なぜ?」と父は良い、心の整理がつかないと話す。犯人が見つかっても最愛の家族は戻ってこない事への悲しみがある。テレビ報道を見ていると、大震災のまだ若い職員の父の姿を今も思い出す。復興復旧が進んでも、町民の大震災はまだ続いている。


プロフィール

千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
アクセスカウンター