「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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被災地の春未だ遠からじ

2011-04-24 11.06.12
写真は震災時4月の瓦礫を下に残る「東山公園」です。やっぱり桜の満開時ながら、桜の昔ながらの花の賑わいはない。昔は町民が一体となり「町の賑わい」を生んだ。一部の町民で「交流人口を声高に叫ぶ」、こんな人口の増加の考えは、将来の町人口に繋がらない考えと私は思う。そんなトップを選択したのは町民である。その責任に耐えるしか今は無い。
26年1月末現在で「14643人」と町広報で伝えている。既に26年最悪の想定から、まだ11か月あるのに「550人減少」と厳しい状態となっている。
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志津川3地区の高台移転の姿が少しずつ見えてきている。3地区全てで土地の造成が進められ、被災住民は期待と新しい町への希望が見えてきた。そんな時の「計画変更」が高台部会で行政より語られた。戸建100戸・災害公営50戸の減少は、造成面積は変えないで「公的施設増設」を行政は考えているのだろうが、施設の管理は町民の税金が使われ、今後は周辺の居住者負担となる。こんな町の計画は、また想定外と言う事は言えないだろう、自然災害は「想定外」で言い訳できるが、この現実の責任は誰がどうとるのか?
現在復興に問題が発生している。高台への土地確保は100坪と町民は考えているが、土地に多くの法面ができると言う。町民の考えているのは平面の高台100坪で、その広さを自宅として店舗付住宅へと、2年後の計画を進めている。こんな状況下で、藤浜・寄木などで住民の異論が出ている。「法面」は自己での造成整備と言い、大小はあるが200万円前後の経費が掛かる。本吉地区のあるは高台なから、90戸ある土地を道路が囲み、中央に公園を配置し全てが法面なしと言う。中央区はひな壇での造成で、法面の土地が多く、この問題の重点地と聞き、140余りの戸建が「100戸」へとなったと知人は聴いたと言う、大人気の中央区いったいどうなるのだろう。

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介護職不足深刻  慈恵園20名20募集中

新年度には沼田商工団地向かいに、多機能福祉施設ができ、7月には入谷に老人ホーム「慈恵園」がオープンし、高齢者過密自治体に、まっしぐらに南三陸町は進む。
2月4日撮影
津波避難所に指定されていた、旧志津川中学校跡地(廻館)に「福祉の里」があった。町社会福祉協議会があり、デイサービスセンターとのぞみ作業所を運営していた。その隣に「特別養護老人ホーム慈恵園(じけいえん)」があり、3.11の東日本大震災で被災した。そして4年を迎える今年、6月の工事完了、7月の入居予定で開園を進めている。
施設内容は、長期入所50名、短期入所20名を予定している。開圓に合せ介護職20名・看護職若干名・栄養士1名を募集している。
現在は入谷山の神平の「福祉仮設」で活動を続けている。今後進む高齢化に伴う、高齢者の受け皿として、地域住民の生活支援として、福祉環境整備に貢献していく。
(新設場所 入谷小学校裏童子下地内)

浜の頑張りと現状


マイタウン誌の荒砥30世帯は新聞掲載写真の場所で、全地域では60世帯以上が流出した。また、遠藤さんは被災直後は、自分も被災しながら、自宅の再建により、生徒にピアノを指導し、当初は無償ながら現在は生活を生徒も安定し、互いの理解の元に月謝を頂いている。限られた練習で少しづつ成果を上げている。CIMG6134.jpg
昨日は登米市水の里ホールに、第46回「仙北地区ピアノコンクール」に行ってきました。
大会は登米市を中心に、石巻・大崎・南三陸から多くの幼小中のヒアノ大好きの子供達が集まった。プログラムの発表予定は、130名を超える参加者だが、100名と言う発表があり大雪の中を集まった。
そんな新春発表会に南三陸町からも、戸小・入小・志津川小・戸中の名前が、プログラムに載っていた、15割ぐらいが我が町からの参加を占めていた。E~Aまでの入賞者には、D級で入谷小の三浦さんが最優秀となり、B級でも戸中の佐々木さんが最優秀を取り、大会の特別賞も受賞しました。南三陸町のピアノのレベルの高さに驚きました。
地域の高台のお寺隣りにあるセンターながら、こん高さまで津波は押し寄せ、センターのガラスドアはベニア板で今も補修たれたままだ。危険区域でありセンターも移転すると区長は話していた。見下ろす荒砥地区では30軒が津波被害を受け更地となり、高台の造成は6戸で夏頃には土地の確保がされ、住宅再建がされる予定だ。
9時からのからの法要会の、浄土真宗の読経が11人の僧侶の方々により。センターにと響き亘り、参加した人は手を合わせ、亡くなられた方々を忍んでいた。
町の追悼式は11日の2時30分から、総合体育館で開催される。

写真で南三陸町の変化を発信


志津川市街地の現風景です。27年末までの市街地嵩上げの計画予定があり、住民は町の自分の土地の上に再建変化を夢み、今を我慢して暮らしている。
正面に南町と奥に本浜町、その左に十日町が広がる、商工観光用地として生まれ変わり、大森町の土地は水産加工用地に生まれ変わる。左の海岸道路も10mと、市街地嵩上げと同等の大地となる。
ある人は言う。御前下地区に大型量販店街が全て形成され、十日町・五日町には商店主・観光関係者がエリアとして、高台の3地区には住宅地となり、町がバラバラで形成される。何処に行くにも徒歩ではいけない市街地となる。もう少し志津川の住民に暮らし易く、商店主の融合があり、志津川の多くの住民との、観光客との交流で人々の友好が生まれる。そんな町には人との交流が、自然と末永く続く気がする。

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入谷の山の神平への入口に、タマホームが建設中だった。町内には被災住民住宅建設に、「レオ」「タマ」「サン」・・・などの、ハウスメーカーが目立つ。今は建設メーカーは「ローン金利」「水道・浄化槽」「引っ越し」「太陽光」「町産材」などの各種、補助申請を全て代行してくれると聞いた。
私が早期の会社兼自宅の建設をしたのは、町民の皆さんに制度の活用を指導したかったが、最大の理由だった。しかし、思惑とは違いハウスメーカーの補助金代行を、総てしてくれると仲間が話していた。
200世帯を超える高台移転は28年末ながら、その他の防災集団移転は今年・来年の造成完了を予定する。

本当に困っている被災住民を助けて


入谷地区の高台移転が公営の集合住宅2棟の建築が始まり、戸建公営も擁壁の区切りとなっていた。この入谷での暮らしを選んだ、被災住民の意向が早期の生活再建となり、希望した51世帯が今年8月には入居する。歌津名足地区も33世帯で同期日ごろに完成する。南三陸町に残ってくれた事に感謝したい。早期の完成があり町への帰還となり、それが各地区の防災集団移転は26年度中の造成完了と、まちづくりニュースは伝える。ここから住宅建設となるとまた時間がかかる。これを考えると災害公営は高齢者、子供を持つ家族など、こうした弱者にとっては、行政の災害公営住宅建設はありがたい。CIMG6225.jpg
そびえる土の山に視線が遮られる場所も多くある。志津川の3地区も少し予定地の山に入ると、木が伐採され荒削りの赤い山肌を見る事ができる。
様々な情報が飛志津川市街地の低地部は土の嵩上げが進み、日に日にその様相を変えている。青空にそびんでいるが、真実ははっきりしていない。ショッピングモールに出店希望も、私にはないが募られているようだ。「10坪月5万円で駐車場題は別」と言う。誰がどんな周知方法で出店を進め決めているのかも、今の自分の立場では何処に聴く術もない。産業再生部会が議論しているのだろうが、町民全体で市街地形成を考えるべきだが、行政の長の手の中に全てが委ねられているようだ。
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公務員の天下りは国の出来事と思っていた。また見つけてしまった「お仲間行政」、私の議員職だった頃に、トップへの政治への不透明さ不適切な業務は、任期4年で10事案以上も解消されたが、今また10議案行政への不透明な事があり、公務員の移動・採用が見られる。

町にも合同の慰霊碑を


昨日の3周年追悼式があり、会場のアリーナからの帰りに、仮設消防署の隣りを通り帰路に付きました。東区東の造成地を左に見ながら、消防署を横切ろうと思った時に、消防署の駐車場に消防署員・消防団の「慰霊碑」が建っていた。
保宏さん・武敏さんの名前に、背筋がピンとなった。二人の先輩の震災での死は私の復興の為に頑張る気持ちを増幅させた。町民追悼の「慰霊碑」が未だに建立されず、町長は慰霊碑の建立に市街地の整備を理由に、防災庁舎の解体の経緯を見極めと言い、一向に南三陸町の慰霊碑の話しすら、町長の声を聴いた事がない。
そんな中で「沼田第二団地」の花壇の部分あり、仮消防署の土地は町の物と理解するが、消防関係者の「慰霊碑」を建てられていた。本当に良かったと思う。しかし、多くの亡くなられた町民皆さんの「慰霊碑」を、何故建設に至らないのか、行政のトップの決断に係っている。
「故郷納税」が数千万も町外へ出た方から、町の被災地支援と考えての方々が、納税行動を取ってくれる。納税者の要望が納税にあたり記載される。この中には「町の為に使って下さい」が沢山ある。また、私は生協・全優石のブロジェクトの、行政との橋渡しを昨年の今頃した。「南三陸町にモニャメントを」と、その趣旨に多くの支援があり、南三陸町でしか使えない募金と言う。町でもこの活動を受ける事としたと言うが、その具体性は見えてこない。
個人で、地域で、グループで、被災地に「慰霊碑」が建立され、3周年に合わ全国から映像があった。被災地なら当然の事で、「尊い命」不合理な災害死には、生きている者が早期建立する義務と私は思う。何で我が町の町長が、「アンテナで生き残って」と職員に言われながら生き残った。しかしながら、どの場でも自分から「慰霊碑」を建てたいとの言葉が無い事に、私は不思議でならない。今回の選挙でも当選へと被災4年目のかじ取りやくとなった。優しい町民がいっぱいいる。

報道陣がいっぱい


防潮堤よりも他に何か欲しいものがあるとの問いに被災者は言う。それは何かと言うと、私は生活場所が一番と思っていた。石巻の渡波地区の皆さんは、「避難路が欲しい」と言っていた。地区を走る中央道路が渋滞し、150台の車が運転者と共に流された。こんな体験から避難路をと話す。津波の被害検証の住民は求めている。

菅原 辰雄 氏
 ①若者の定住化対策を示せ。
 ②子育て世代への支援策は。
佐藤町長
 ①震災で勤労先や家を失い、若者がやむなく町を後にしていった。3年が経ち一定の歯止めが掛っているが、復興の担い手となるための支援は必要不可欠。雇用、住まいの確保をさらに進め、しっかりと根を張って暮らせる環境をいち早くつくるとともに、負担軽減を図ることで住みやすい、暮らしやすい町づくりについて内部で検討している。できるだけ早い時期に若者の定住化対策を示したい。
 ②昨年実施した子ども・子育てニーズ調査の結果などを基に、子ども・子育て会議で意見をもらいながら、26年度中に子ども・子育て支援事業計画を策定する。

山内 昇一 氏
 ①震災時に避難道となった入谷地区などの路線整備を考える時期では。
 ②復旧する農地に畜産農家の堆肥を使う考えは。
佐藤町長
 ①各復興事業の整備計画の形が見えてきたので、町道、農林道をはじめ、三陸道、国県道の整備、区画整理や防集で整備される道路などを考慮し、復興整備後における町全体の道路網の再構築を行なっている。入谷地区も、坂の貝線や信倉線のように震災時に物資輸送道路になった重要路線があるので、整備手法などを検討していく。
 ②農地への肥料は以前から畜産農家の堆肥が利用されていた。今後も推奨していく。環境保全型農業、低コスト化農業を推進する上で、今後、バイオガス事業で発生する液肥も積極的に利用してもらい、農作物のブランド化を進めたい。

3月予算議会の議員質問です

新人が全員「一般質問」の壇上から、震災復興の町づくりについて、「町長どうする」発言しました。新人の新しい発想に期待したい。



村岡 賢一 氏
 ①防災集団移転促進事業の進捗状況と入居希望者の推移は。
 ②増え続ける土地登記への対応は。
佐藤町長
 ①藤浜、荒砥、平磯、袖浜各団地は完成した。今月末に堺、長羽両団地が完成する予定で、本年度は6団地が完成することになる。来年度中には歌津7、志津川1、戸倉6の14団地の造成が完了する。現時点の防集参加世帯数は、大臣同意を得た時と比べて159世帯少ない943世帯となっている。今後は大幅な減少はないのではないかと考える。
 ②これまで分筆登記は1カ月程度だったが、当町をはじめ国、県、民間の登記申請が集中しており、2カ月以上かかると気仙沼法務局から伝えられている。被災市町で構成する組織を通じて登記の迅速化を国に強く要望する。

後藤 伸太郎 氏
 ①全町的な避難訓練が必要ではないか
 ②隈研吾氏に依頼した志津川市街地のグランドデザインについて、他地区への展開は。
佐藤町長
 ①震災後、昨年度、本年度に防災の日である9月1日に実施した。災害に強いまちづくりのためには地震、津波に限定せず、風水害、原子力災害などに対応する総合訓練が求められる。基本的に3月11日は鎮魂の日であり、訓練は行わない。今後、いつがいいのか検討する。
 ②まちづくりの中心となる市街地で復興事業が着手され、町民に早急に将来像を示すために依頼した。それ以外の場所は復興事業の具現化が図られた時点で判断する。浜々は漁業集落防災機能強化事業で進めており、伊里前地区は県のワーキンググループにお願いしてデザインを検討してもらっている。

及川 幸子 氏
 ①観光地が崩壊状態だ。長須賀海岸のトイレやシャワー、駐車場などの整備をどう考えているか
 ②自然景観を損なう防潮堤の見直しを県に働きかける考えはないか。
佐藤町長
 ①被災した観光施設については、国や県と連携を密にして復興事業を進めるが、限りある財源や将来負担も含め、地域の方々と有効な方策を考える。長須賀は現在、人を集められる環境にない。
 ②当町には震災を合わせて1年間で3回も津波が押し寄せてきた。防潮堤ですべてを防ぐことはできないが、1分間、津波を止められれば人は300㍍逃げられる。一定程度の高さで造るべきと考える。ただ、位置については柔軟に対応する。


議会改革進む


戸倉小学校の避難場所は、学校の屋上であり、教師の一人が起点をきかし、裏の高台へそして五十鈴神社へ、津波の脅威から子供達の命を守った。
今日、仲間の一人から聞き、幼稚園児を含めれば100名余りになるかね知れない。戸小の3階だと12m位で、6m・10mと防災無線で呼びかけに、想定を超える事を察知したのだろう。防災庁舎の犠牲に未だ、何の問いかけも無い町に、「想定外の・・・」では、誰が納得しているのだろう。
今日の三陸新報に「ウジエスーパーが26年後半に完成」と報道されていた。私は震災2年目からこの買い物弱者問題を訴え、嘆願書2500名余りを仲間と集めた事を思い出した。私が議員だった時に、町長への行政改革を訴え続けた事への、反発が建設を拒んだと、気を回し過ぎだったのかと思った。雇用の場も、生鮮品の適正価格での購入、遠くのでのガソリン代など、南三陸町の仮設で暮らす皆さんへの、大きな後押しとなる事を確信する。この嬉しい町民待望の情報を一早く伝えたいと思う。
今回の議会での一般質問は新人全員の6名と現職3名の9人が檀上に立った。志津川被災地からの避難路の確保や、嵩上げの地下の活用には、私の中にもこの構想はない。優秀な新人議員の活躍を、私もネットでの傍聴で強く感じた。同期同僚だった先輩の、人口減少歯止めや水産業の被害対策など、独自の分野での活躍もあり、議会改革は進んだ気がする。

志津川


昨日の日曜日に現在通行止めとなっている、志津川市街地の埋め立て現場に行って見た。十日町の水道事業所跡地に車を止め、向かいの本浜へ繋がる道路から。現在の光景を写真に撮った。この場所に小さな花壇が目に留まった。45号線の通行中にここに小さなひまわりが咲き、何人かの女性が花壇に水をあげていたのを思い出した。どんな意味がこの花壇にあるかは知る由もない。
志津川市街地の嵩上げ土盛り工事の進捗が気になっていて、10mの嵩上げ期間、換地区画整理もあり、本当に震災から5年間で再生がなるのか気になる。
工期が27年12月15日までの工期で、都市再生機構と宮城・福島震災復興支援局が管理し、飛島・大豊・三井共同企業体と、南三陸町震災復興事業共同企業体が、27年12月まで、志津川市街地の再生に取り組み、1年10か月で完成させる。県事業が1400億の工事の遅れから、予算の執行がされず国庫返納となった。被災地の厳しい状況下で、住民の帰還が遅延となる事だけは回避して欲しい。
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全国の医師不足があり、へき地・被災地の医師不足は、病院再建に於いてその足かせとなっている。そんな中で宮城県に「医大認可」があり、東北福祉大と厚生年金病院、栗駒市の県立循環器病院の連携で、県内に医科大が誕生する。報道の記憶違いもあるかも知れないが、自治体の連携で医師の確保が出来る。関連総病床も600床にすると言う。栗駒市の新たな税収確保と働く場の確保、商店の繁栄にも繋がる今回の連携で、自治体の参加に努力の姿がみられる。
こないだは「仙台厚生病院」に県内で手薄な診療科の拡大のため、透析部門・産婦人科部門の専門医確保・拡充を図っていくとの報道に、また、南三陸町の透析医師の確保が難しいと思った。
現在の行政の体制・政策では医師の確保は難しいと思い、透析施設の活用は、施設の新築病院が出来ても、透析患者の苦しみは続きそうだ。

被災地の今を学びましょう


昨日と今日、志津川市街地の造成状況の発見をした。志津川地区の「高台移転造成」と「志津川市街地都市再生整地」は、飛島・大成建設の共同体で、県事業として工事が進められている。地元の建設会社が下請けで参加して、27年3月には市街地が、28年末には高台造成が終了する工期である。
新井田地区の「中央区」は私の知人が多くここを希望している事が解った。ここには現在JR東日本の「BKT」が走っていて、将来はターミニルができる。土地の買い上げも少しづつ進み、森林伐採・土地造成の進捗が見られた。これからだろうが期間内に進む事を願いたい。
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志高の仮設に行って見た。知人の家に行くと郵便受けには名前もなく、生活感の無い仮設に寂しさだけが募った。高校と高校仮設を写真に収めた。
東区の造成が進む中で、西区の場所を知らせようと、裏山を写真でスームアップすると、山の上に重機を2台見つけた。造成工事がスタートしていた。これは「復興は進んでいる」との実感を感じた一瞬だった。
こないだも阪神淡路の復興の「光と影」をブログに書いたが、釜石の復興計画に若い副町長が、「ジャスコ誘致」を進めている。市民の流失を防ぐ政策に舵を切った。地元の商店の疲弊も指摘されたが、町の存続の行政の政策として、理解を求めていた。600余りあった事業所が200軒震災で無くなった。我が町と同じ減少であった。
志津川地区に行政へは「買い物弱者救済」を訴えるも、大型スーパー「ウジエ」の出店には何の支援もせず、妨害的にポータルセンター建設と私は思う。27年3月になると志津川市街地には「ショッピングモール」に、さんさん商店街の仲間が出店を予想する。
公園部会で「巡回バスは良いアイデア」と話が出た。在る被災地で巡回バスの実施をし、一日80名を予想したが、たった「10人」の利用しかなかった。志津川市街地への巡回バスの活用は考えているらしいが、被災地での事業政策には「職住分離」の方向決定で問題点が浮上する。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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