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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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本浜イベント広場


熊さんの私の生まれた志津川本浜地区の、町開きに10m嵩上げの跡地利用は、写真の右下の緑の芝が、広場・イベントホールになる構想案らしい。
町協の高台移転部会員としての、委員としての立場の人間に、最新の情報が伝えられる。それも行政が持つ資料の一部かも知れないが。私の部会が15回に及ぶ6時半から2時間の会議に参加していて、ご褒美が情報のような気がする。任期を2年が経過し町づくの協議会委員の再募集がある。現在3委員会とも6人前後が、20人の委員がいるけれども、参加人数となっている。
皆さんも新しい志津川市街地の形成の議論に参加してください。多くの提案が行政や町長の心を動かすかは判らないが、何もしないで「自分の町」と言えるでしょうか。是非いっしょに町づくりしましょう。
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構想写真で提示された町のイメージです。町づくり専門のコンサルタントさんの、多くの資料の一部からの添付でしょうが、こんな綺麗な親水の町ができたらと思う。
しいて言えば防災庁舎のある場所から。本浜地区を望んだ光景がこれだろう。8.7mの河川堤防から、八幡川ごしに対岸の換地され、商店街の町なみがビル群と見えた。
本当にできるの「こんな町」と父は言う。私もできたら凄いと思うが、町でこれを維持するとなると、「町民の税金」からとなる。そんな余裕は住宅再建などの町民にはない。
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新しい志津川市街地構想


先週の産業再生部会の傍聴で、志津川市街地のコンサルタント熊氏の構想が、産業再生部会に配られた。傍聴者には配布それず説明を集中し聴きメモした。2日後に高台移転部会の私にもその説明書が届いた。
中身の町づくり構想とそれに合わせた、他の都市の海川の親水場所を紹介した写真が添付され、、私も「こんな施設・場所ができたせいいな」と思った。その説明書に納得する・

志津川市街地蛍雪は町長の支持者の思いのままに

志津川市街地土地利用イメージ
宮城県の多くの被災地の復興は嵩上げにより、元の街並み営みの再建を目指しているように感じる。5mの嵩上げは気仙沼市・女川町で早期の町形成を目指す。
志津川地区は「市街地の観光地化」を進め、、写真のように商業・観光エリア、水産・加工業エリア、企業誘致エリアと「職住分離」の政策を町長が決定したからだ。この考えに賛成したかと言うと、そんな記憶は何処にもない。
志津川市街地の町に向かい八幡川の右側は、写真のような「土地換地」で、町の将来への町長が目指す、観光地化される。住民から土地を買い上げ・換地制度活用で、行政トップの思いのままだ。この構想の壮大さは今後なにかの機会に、町民にも示されるだろうが、その時はもう後戻りだきない。市街地は町に買い買い上げられ、県に承認してもらい「都市計画」の元で新しく志津川市街地は生まれ変わる。
昨夜夢を見た。「夕張市」だった。住民が減り税金が上がる。財政破たんの町だった。

過去の記憶と未来への検証

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議員なりたての時に税金回収の「物納」の事案があった。物納されたものを「インターネット入札」で販売をしたり、役場駐車場に競売の車両を展示したりしていた。震災前から「未納税」の滞納が問題になるくらい、町財政の厳しさがあった。。
その時に二階から携帯で撮影した「防災庁舎」の玄関を懐かしく思う。やっぱり基礎の嵩上げも少ない「海抜1m」の位置にあり、町の防災体制の拠点として、何の政策・対策も講じられたかった。
震災3年目を迎え、「復興交付金」で職員報酬・復旧工事・病院維持・医療費・仮設維持など、多くを国の交付金に依存する。残り7年で総額4900億円と言う、町の再建に国費が投じられる。当時示された額ながら60年分の町の予算にあたる。若い人材の流出に、町財政の今後を懸念する。
亡くなった役儀職員の父親は言う、「病院から町役場に移動になったら地震・津波に気をつけろ」だった。今さら何を言っても命が帰っては来なく、庁舎の警察による検証でも、議会の責任追及も、家族には亡くなられた「愛する家族」は帰ってこない。
復興が進む中で私の歩んだ記録は、写真・建物・地域風景などなにもかも無くなった。3.11の東日本大震災により、生まれた昭和31年5月24日から平成23年3月11日までの生活の記録が全て「リセット」された。
平成23年3月11日3時30分から、新たな「第二の人生」となった気がする。「リセット」は私にとって何だったのだろうと振り返る。

戸倉地区第一号


先週14日の金曜日、震災復興特別委員会と臨時会が南三陸町議会で開催された。
漁港の残っていた戸倉6地区の、請負契約が締結した。また、藤浜地区の防災集団移転の第一となったこの場所の、土地買取取得の額の報告があった。100坪当たり184.5万円から198万円と決定された。不動産鑑定士の価格決定によるもので、戸倉浜区の被災土地買い上げ価格と近い値段が、今回提示されたような気がする。借地代は100坪一か月、1500円~1600円となった。
それと比べ志津川地区に関しては7.5万前後の土地買い上げで、高台移転の3地区の土地買い上げは、100坪当たり495万円から627万円と、高台移転部会で今後の方向性が示され、土地の造成後に議会や土地の決定委員会で、今後も議論を重ね決定となる。借地に関しては一か月に付き、5800円から7400円と示されている。しかし、志津川地区では場所によっては3万前後と、買い上げ・買取の買取価格に大きな開きもある。
戸倉地区と志津川地区に関しての二倍以上の違いは、その土地の評価額が基準となるが、藤浜の10地区の今回の防集ながら、戸倉団地も災害公営80戸、戸建移転が95戸と大枠なから決定となった。戸倉から志津川に行きたい方の土地取得の、負担の大きさを思う。意向だとその他の方々もあり、地域を変更したいとの考えも見える。
私は商工団地内に余裕がある時に土地を取得し、当時で100坪「650万円」だった。ここがあるから再建も町民の方々より、少しは容易に工場と自宅兼用で建設へと移れた。

防災庁舎は何を思っているのだろう


宮城県で最低の37%の税収減の町の報道は、まだこれぐらいと思うが、東松島市の市長の状況の危機感の対策は当然と思う。1200人? も震災死がでて200人以上が不明あり、2万8千人の人口で20%減? の税収で、29年後の財政破たんの危惧感への対応に、国保税の「18%増税」を求め町民に求めた。
高齢化の「福祉モール」などと構想は、「ショッピングモール」計画の復興事業と同じように、国民の税金・世界から義援金をあてにする町の復興計画案に、将来を見据えた「身の丈に合った」財政で、町づくりをするべきと思う。
テレビの長野県の川島町の問題は、町民の税収をあてにした町政の傲慢な政策と、町民の一部は言い、テレビで見る限り私もそう思える。「人のふんどしで相撲をとる」に町民も感じたし、常々見る姿に私も見える。
川島町のブログには36件のアクセスがあった。企業は優秀な人材の確保を必要と言う。仲間・縁故・相互利益だけの、復興事業や住宅再建事業が見える。本当に南三陸町・旧志津川・旧歌津は大丈夫だろうか。
こんな財政難の中で「副町長二人制」など在り得無いが、議会で提案されたら現議員の与野党の構図から、執行部堤案は間違いなく通る。私は様々な手段でこの野望を防ぎたい。町長と副町長の報酬を三人で案分すれば良いと、ある町民が言っていた。無駄なお金も資金もない。私は町政の疑問を言い続け、落選した。言った事は行動した事は間違いだったのかと今も思う。

病院の借金に思う


病院議会があった頃は、病院経営は運営の中で賄われ、病院収支による経営だった気がする。それが町の職員との交流に始まり、職員が同等の立場となった。それに尽力したのが現町長だったと思う。病院職員はこの尽力があり、安定した就労に感謝し、総てに於いて敬意と感謝の気持ちの、行動をとっている。
震災前から現在に至るまで、町の病院は毎月3千万円の赤字があり、一年間で3億6千万円となり、町の財源で埋め合わせをしている。「町民の命を守る為」と町長はこの問題になると言う。
震災で10代後半から30代前半の、町を背負う町民の町外への移転は、子供たちの環境づくりの為の加速している。将来に向けた税収の確保の元となるはずなのに、それを引き留めようとする政策は何も講じていると言うが、効果は期待できないと思う。
今後高齢化が進むのは解るが、年金生活からの税収はとれるのか。土地持ちなどの町の高納税者の流失も多い。商店は半分に減少し、再建しまた仕事を始めるとの声も聴かない。企業立地・誘致を市街地に求めるが、出店する予定も見えなく、納税元の確保は描いているのだろうか。「オクトパスくん」にでもお願いするのか。
病院問題はデリケートで口を出すと「バッシング」として現れる。町民の議論と町が破たんしない、町の経営を真剣に議論しないといけない時期に来ている。

火のない所に煙はでない

2011-04-24 13.54.00
今日町民の人に聞く、「噂」かも知れないが、多くの被災した地区民からも同じ事を耳にする。私の「後援会ブログ」が、今日は24人と多くの人が開き見る。
噂でも良いから聞いてもらいたい。初めに大森地区の「土地買取価格」が他の所に比べ高く、十日町も高いと今日聞いた。町長・副町長の暮らしていた地区である。
今回の議会の広報で、元職員の方が一般質問で「副町長二人制」を町長に訴えた。今日会った方は「前の総務課長さんがなるんでしょう」と、行政に精通している人のようだ。
震災時の建設課長さんも、ある人の情報で石巻の県の事務所にいると言う。「噂・うわさ」であり聞いて欲しい。前議員であったのかそんな情報をくれる。
私が議員として町の疑問に対し、「歴代総務課長」が答弁する事が多かったと今思う。力なくその原因の元を解明・引き出すまでは行かなかった。長く優秀な職員を町長の近くの町の執行部に置くには、副町長しかないのだと思う。
政府の資金の使い方に予算の年内執行と、諸々の理由から「明許繰越」と次に「事故繰越」があり、一年目の明許繰越を再任用の制度とすると理解できる。二年目の事故繰越は三年目には、国庫に交付金を返金しないといけない。町民が知らない「地方公務員法」を、議会の総務課長が報酬や雇用にあたり「公務員法」をだす。何も知らない町民に対し、制度の無知を利用しているようだ、そんな感じがする。
自分達は町の公務員で、「長年町民の為に働いてきたんだ」、「税金もちゃんと納めている」と、町民の疑問に答えを返してきた職員の話もしたいた。こんな対応に町職員の幹部の一部がいると話す。
議員からただの人に、対応が天と地ほど違う。怒りのエネルギーが日一日と増殖している気がする。また、職員がブログをチェックしている感じがする。「感じ」と「噂」の話でした。

川島町の事件


長野県川島町の「庁舎建設」問題を、TBSの「噂の現場」が取材していた。
建築58年にもなる庁舎建設に、2万2千人の町で26億円の庁舎を町長は建てると言う。同じ町長ながら当初は8億で建てるとの計画が、現在、26億円掛かり全てが町の税金・借金として、住民一人12万円を掛け建てられる。「防災対策」「おもてなし」など、これからの町の為に規模・施設・建設中身を大きく変えたと言う。住民の代表の議会は建設を採択し、6月から着工で進めている。
ある町民は建設検討委員会は25人の委員には、5名が民間から参加しているが、多くが町から町長の影響を受けている人から選ばれていると言う。我が町とどこか似ている気がする。
一昨日父と病院に行った。「診療所りっぱで壊すのもったいない」誰かがと言っていた。3億掛けた施設と診察機器1億円が、赤十字の補助で今運営されている。米山に志津川病院が間借りしていて、入院患者を受け入れている。70億と言われる資金で27年4月には、南三陸病院として開院する。
そして、南三陸町役場が東地区東に建設を予定する。高台移転が東地区に役場をいち早く建設する。役場も3億円を病院と同じく補助で、今機能している。
川島町は人口が30年で30%減少すると予測する。庁舎建設の住民説明会に参加した住民は「役場は職員の為のものでなく、町民の為に使われるものである」と言っていた。議会・建設検討委員会の決定で建設が決まってからの住民の説明会に、広報での庁舎建設報告を見ていなかった私たちも悪いが、決定のしかたにもトップの建設8億から26億の必要性が、住民に示されていない気がする。
南三陸町も7割が被災し、土地が早く欲しいと言う切実な住民の思いの中で、病院の必要性は理解するが、役場は住民が再建となった一番最後でも良いと思う、町の復興への色々な委員に、トップの関係者が多い事が、川島町の行政政策運営に欲似ている。大きな違いは南三陸町は多くの職員が亡くなった、被災自治体である。

3年目に


戸倉折立地区前の国道の「災害復旧工事」が始まった、道路の地盤沈下が津波で発生し、波浪となると道路まで波と石を巻き上げていた。海底の地形も変わったのか、震災前より道路に打ち上げる波が大きくなった気がする。
震災後から戸倉地区荒町の方々に、写真の場所の国道への海水浸水状況を、「改善してほしい」と言われ、議会・行政へ被災状況復旧をと伝えた。今年度3月末までの工事で、国道浸水への復旧工事となるかは判らないが、3年目となりやっと震災緊急の工事の落ち着きから、工事が始まったのかと思う。車の海水の影響が、車の痛みを加速する。
国道の工事による交互通行や凍結積雪で、被災地南三陸町の交通渋滞は、まだまだ続きそうだ。宮城県の中学生の不登校が全国一となった。被災地の子供たちの「心のケア」が、今よりも深刻に対応していくべきと思う。

納税滞納回収強化月間


2月の町広報に「税収強化月間」として、2月~3月と明記されていた。
私も1月~3月までの税金がまだ残っている。今月末には資金が確保できるので、25年度内の税金「固定資産」「国保税」の自分のと、両親分も含め支払う予定の中で、広報の強化・納税推進月間である事を、広報の1ページを割き告知している。
私も震災前頃から「国民年金の滞納」があり、今後を考え3年分をまとめて納税を今年度に考える。町税も残りは少ないものの痛い。昨日も被災者の方と話したが、年金世帯・仕事をしていない・職が無い、こんな中で土地の買取の資金が、生活費・納税・町税として、今の手持ち資金が無くなると嘆いていた。
市街地の嵩上げの土盛りが、朝緑商店跡地の上に「10.6m」と看板に架かれてあった。河川堤防の関係で60㎝が高いのだと理解する。志津川市街地は基本は「10m」で、高台移転部会で道路・嵩上げがシュミレーションを通して説明されている。
税金は被災者にとって再建への重しとなっているが、「国民の義務」として逃れる事は出来ない。こないだ住民の登録ミスで1400万円余りが誤支払され、過剰に給付された世帯には、たて前上「月賦でも改修したい」と言い、少なく支払いへは予算が残っているので、至急支払をしたと思う。
納税のされない方には諸々の理由があり、以前悪質な物には「物納」「追徴金」は当然と思うが、被災者の不納税の理由を精査して、被災者に優しい適切な回収判断をしてほしい。公務員の所得感覚を納税義務者全てにそのままで、適用するのは被災からまだ2年11か月で、生活の再生に至らない中で、強化だ推進だは、強い威圧と私は感じた。物納に車の写真がある。被災地で商店も無く買い物に苦しむ人達へ、その足を奪うような表示に、広報の提示品に御役人気質を感じる。
まだまだ町職員としての「公僕精神欠如」を議会で指摘したかったし、町民の為に何をして「こんなに高給を」とっているのか。何人かの人に正したかった。
議会の広報に「副町長二人制」が元職員の議員さんが再度提案していた。誰の為の議員活動なのかを町民も考えて欲しい。以前にも同じ議員さんが同じ提案した時、先頭となって反対した事を今も覚えている。そんな町の予算があったら、究極の生活の中に苦しむ被災住民に支援をしても、町民の誰ひとりとして反対する人はいないだろう。
昨年12月末の人口が広報だと「14683人」で11月の減少が55人と言う。昨日ある仮設で「登米市に行きます」と言う話しを、おばあさんがしていた。

病院の連携は


大槌町の病院の決死の活動がNHKで報道された。公立志津川病院でも多くの患者が、医師・看護師・職員による救助活動で命を繋いだ。
県立病院である「大槌病院」は当時50名が入院し、地震発生と共に三階建ての病院の屋上に、直ぐに津波が来ると対応をした。30分後に8mの津波が川から病院を襲った。近隣の住民と病院にいた人達の80名が屋上に、洗濯ものを干す「サンルーフ」に寝たきりの患者を30名余り収容し、震災当日の寒さから患者を守った。30代の男性の酸素の補助が、停電とボンベが空になり、医院長に現状を伝えた。「ここまで頑張ったのだから」と、その患者は生きを引き取った。
看護師は自分の家族の事は口にしなかった。1日・2日と患者のための看護婦の仕事を全うし、3日目を迎え「心が折れそうになった」と今になって話す。救助のないままで医院長は決断する。高校にその受け入れを打診し、3日目に患者をみんなで避難させる行動をとった。震災で病院で無くなった患者は3人だった。医院長の決死の決断が、看護師の適切な行動と、津波への防災意識の方さが、多くの町民を守った。
大槌町の「四季の里」がある。そこが被災後の患者の受け皿として、この施設が活用された。医療器具の備蓄や災害の備蓄品もあり、内陸部に立地が震災でその役割を発揮した。
県立大槌病院と個人開業医5人の普段からの連携と、災害対応の訓練も実施していた、その活動が今回に生かされた。一人の開業医さんは昨年に病院再建をし、建物の外装は明るいピンクにしたと言う。現在、大槌病院は仮設で診療し、2~3年後に病院を建築すると言う。1万6千人の人口で、4千世帯が津波で流失した町、最大の心のケアを含めた病院の地元の必要性を強く思い、病院間の常々の連携が、個人開業医が一人町を去り、一人が町に新しく入ってきた。
我が町の再建の在り方と大分違うと感じた。写真は荒砥にあるいこいの海・あらとで、母の岩手での検査入院を終え、帰って来た姿を父が見たいと出かけた。「痩せたな」と、伸びた髪の毛をなでながら話し掛けていた。

本浜地区コミニティーを誓おう


高台移転の戸建造成土地の希望と、災害公営の入居希望申請が2月までとなりました。詳しい事は役場へ聞いて下さい。予定の戸数よりも大分減少しています。お早目の希望を伝えて下さい。限られた場所への造成・集合住宅の戸数、遅くなると順番で後回しになります。


「人命救助」で町内の造船業の社長他2名が表彰された。
昨年12月30日新井田川河口で、歌津の釣り人が川に落ち助けを求めていた。河口隣にある造船所社長の千葉さんと、居合わせた人たちが救助をしたと言う。
自然の再生力の大きさは、漁業再生が加速している事でもわかるだろう。志津川地区には3河川があり、その中でも釣り場として行きやすく、魚もいるとみられる写真の場所は、穴場とも思われる。
河口に向かって右は津波で破壊され冠水し、左側はバリケードがあり、立ち入りを禁止している。志津川の海岸は被災し復旧工事が進み、総てで工事の大型車両が多数行き来している。今年に入り志津川市街地の嵩上げが本格化となり、危険な環境が至る所にある。
震災後の翌年のワカメの高騰と、被災地の水産品支援で、高値でも若布が大量に来町者に求められ、県外でも被災地支援として、多くの団体が販売支援で活動してくれた。
今年は震災後のワカメが冷凍庫にダブつき、市場で浜で養殖ワカメに買手がないと言う噂を聞く。これが今後の被災地の実情で、復興工事の「特需」も残り5年がピークとなる。平成30年になると住宅建設の本格化となり、地元の限られた工務店での建築では間に合わず、大手のハウスメーカーが参入してくる。



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