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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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町民の目


今日は何軒の人たちに「今と今後」を聞く事が出来た。
驚きは志津川地区の3地区の今後の進め方について、行政の進め方では、東浜の病院・役場など東区東が、27年4月に病院が完成する。3地区の平行に同時期に造成完了との事だった把握していたが、東地区の東がいち早く完成を目指し、東地区を初めに完成を予定し、西地区が次で最後に中央区と言う。こんな話は町づくり協議会では、行政・UR都市機構からも、一回も話は聞いていない。
被災住民も7年後だろうと言い切る。町の27年、29年と言っている工事完了を、町民は信じていない。防災集団移転も各地区で遅れていて、ゼネコンなどの建設会社もわざわざ被災地まで来て仕事しなくてもと、オリンピック特需を見込んでいる。
今後も人口流出の加速が進むだろうとも言う。それが現実だからと、現政策と事業を指摘する。皆で取り組まないといけない。
私は議会でも町づくり協議会でも、東地区の先行造成をと言い続けたが、それに向かい志津川地区の高台造成が、変更となっていた事になる。中央区が最後とは新井田地区など、被災地の整備との係わりがあるからで、その意味するものを理解する。
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登米市での災害住宅の建設多忙


昨日は母方の従弟が建設の祝いに「米」を30K持ってきた。
7月から基礎が始まり、9月には棟上げをしたままで、工事が2か月ストップし、屋根と外壁の工事が進まなく、雨漏りで板や断熱材に影響があり、張替となり工事は大幅に遅れている。
私が前回の公約で言っていた、「集える場所を造る」は、震災で何もできないままになっていたが、家と工場の建設が終われば、町民の皆さんに集まってもらい、高台移転や住宅建設の実情を伝え、多くの諸問題の解決を支援したいと思っていた。
平成26年から入居、部屋数は4つで父の部屋・工場事務所・私の部屋があり、リビングを皆さんと話し合える場所として活用しようと思っていた。
人生は予定どうりはいかない物である。

大震災の記憶をつなげる

南三陸町に津波記憶石の建立の活動の相談が、私に今年初めにあった。行政・町民・学校・・・などのプロジェクトの立ち上げにより、モニュメントの位置付けで、二つの団体がその設立の協力したい依頼だった。
先週に「今後どうしたら」と相談の電話がきた。現在普通の人となり、当時の行政担当にその話しの進捗を聞きに行った。町にも連絡が入っていて、その「津波記憶石」の建設を受けたい。しかし、市街地の嵩上げ、祈念公園の建設など、まだその環境が整っていないと言う。何とかその時まで待ってほしいと言う。それは3年後となるか、その時期がいつになるかも、はっきりしていないと言う。
南三陸町への「石建立」として全国から募金を集めた経緯もあり、このプロジェクトの募金を他の被災自治体へ回すと言う事も出来ないと話す。

27年度から29年度の高台完成ても住宅建設には時間がかかる!


南三陸町住宅建設は大問題がある。以前地元の建設業者の賃金が2倍3倍と言われていたが、地元業者として働く知人は、大工賃金は組合で設定されているので、そんなに高騰はしていなく、そんなに貰ってもいないと言う。そんなにもらったら嬉しいとまで言う。ハウスメーカーは人不足でそんな動きも見える。
我が家も建築計画の完成予定日から1か月が経つ、予定していた仙台の下請けの業者は来なくなった。地元の建設資材会社から人が回され、現在、材料が入ると室内の仕事をしていて、先週は屋根と階段ができた。今週は残った屋根と室内の壁をすると言う。後半年はかかりそうだ、違約金の請求を考えている。
今年中と強く言っているけど、人も見つからず地元の業者と、依頼している私のお得意の事業所には迷惑を掛けている。
先月に同級生そして今月には知人と、仲間が登米市に住所を移転した。10月の移動は、男子20人、女子7人の27名の人口減少ながら、世帯数が減少していない意味を不思議に思う。
先週の産業再生部会と公園部会の合同会議には、23名が出席しUR都市機構と行政からも多くが参加した。産業再生部会は三者合同部会で一緒になったきりだった。23名の会議の議論は水尻川の在り方と、国道45号・志津川登米線の道路と川の関係を話しあった。ある委員は河原を広く取りバーベキューなどの場所を設け、「親水性」を持つ川を語る。それに対しある委員は120年に3つ大きな津波が発生し、「安全第一」に考えるべきと言う。水尻川の奥まで津波は到達している事もあり、再びの大震災は町の再生は難しくなるとの考えを話す。
金曜日に議会の傍聴に行った。災害公営住宅の今後の計画が議案書に資料としてあった。当初は1000戸とあったが、高台移転部会で新聞に「南三陸町の災害公営住宅の戸数770戸」の報道が議論となり、行政はまだ決定していないような発言を覚えている。資料には意向は720戸で、それに対し町は「770戸」を建設となっていた。
公営住宅は高台移転部会とは関係がないと言う。公営入居者と戸建への地区の共同移転があり、コミュニティーの再生には別でない事を今後も言っていきたい。

志津川地区被災市街地復興土地区画整理審議会委員選挙11名決定


志津川の天王前から新井田に至る地区の写真です。
12名の定員に満たなく、決定の11名の名前を見ると半分以上は知っている方々で、行政トップに近い名前も過半数いるようだ。有識者も3名が加わるが、公正・公平をお願いしたい。委員に加わる事で、委員所有の土地は少しは優位になる。所有者には広い土地を持っている人達の名も見られる。
私の土地に関しては祖母と伯父叔母の6名の所有で、父から私への贈与を2週間の選挙後にし、町民の依頼を受け委員選挙に挑戦した。しかし、6名の了解は亡くなっている身内も多く願いは叶わなかった。私はもう「換地」から「買い上げ」の方に舵を切った。向かう方向は多難だ。
どんな町に変わるかを見守るだけは寂しく、できれば町再建に多くの部署で係り、言葉を要望を言えない町民弱者の支援をしたかった。今もまだ模索てしている。

議会の議論の必要性に町民は目を向けるべきと言いたい 縁故・血縁での投票は被災地には合わない 大きな力の動きに同調する事なかれ

2011-04-29 13.15.00
明日から12月議会が始まる。議員の質問は7名が立つ。
誰が質問するかを楽しみにいていた。三陸新報によると、一人目は現職で1期目は一般質問しなかった佐藤議員で、質問は「来年度以降の執行部体制と見直しと対策は」が一つ目で、二つ目は「各種復興事業の受注動向と対策」となっていた。役場職員からの議員となり、一期目も「副町長二人制」を議会で主張した。人口の減少があり財政的にも国からの補助で、現在の町財政の厳しさがある。この提案に私は「反対」をしたのを今も覚えている。町の再任用は復興の事業が主で、町長部局といってもいい、被災後の建設課長も再々任用で、現在は県の土木へ流れたと聞く。今度の再任用は前総務課長が再々任用で、副町長のポストに付いたら、現町長の思いのままで行政運営が成される。その提案が元職員からあり、数の論理で新体制の二人制となったら、現政府の「機密情報保護法」の強行採決ように、「数の論理」でトップの思いのままに行政運営ができる。前議長は「議員定数削減」を立候補で唱いっている。
住民不在の復興交付金だのみの財政を、余裕があると勘違いをしている。「国民・町民の税金」なのにだ。楽しみな一般質問に「後藤氏」と「今野氏」がある。インターネットで拝見し、その感想をこのブログで書く事にする。

南三陸町民の海を守れ


茨城県東海村には原発の核廃棄物が備蓄されていると言う。その廃棄物が「水素爆発」の危機に今あると昨日聞いた。
大震災の福島原発第一発電所の爆発での放射能漏れは、人々の生活を一変させ、放射能は未だに漏れ続けている。近隣の県の全ての人・産品に多大の被害を出し、沿岸の漁民の漁業への被害が未だに在る中で、この話は日本が大きく疲弊する事ともなりかねない。携帯のテロップにも流れたものだと、報道機関がまんざら嘘でもなく、この非常な状態に東海村がある事となる。本当だったら県民避難とて在り得る。
今年の海の異変もさることながら、海底の泥が陸地に沿岸に運ばれ、陸地の家々が海溝の奥底まで流され、海の形態や様相も一変し、今後のその大きな影響を懸念する。
志津川湾の長年のヘドロが津波で洗い流され、養殖の海産品が順調に育っていると聞く。「密植」が改善されせいもあり、漁民も喜んでいるが、人と海との昔からの密接な繋がりには、、人間の英知による生活の向上は、海への被害へと繋がっているようだ。
「金儲け」や「贅沢」はほどほどにと言いたいし、私も今それを強く思う環境にあり、「贅沢は敵」と思うようになった。

改革1


南三陸新聞があった。この会社は町長が連れてきた元教育長が初代代表となり、最後はT建設会社社長が代表となった。土地は水産会社の土地で、その土地も1億以上で町が買い上げた。建設会社社長とは同級生で、現町長とは商工会を通し密接な関係があった。新聞の編集も印刷社が仙台から、編集者の経験のある者を連れてきて、町長の行政での活動を町長室で写真をとり、佐藤町長広報誌のように私には写った。町内に1000部くらい?を月1000円で配布し、年間購読料1万円での契約者も多かった。
被災後に年間購読者が「残りの配達されない分を返してもらえないものか」と、私に相談をしに来た。町でも各部署に「南三陸新聞」の購読をしていたので、行政にこの件を問うも、総務課長が資料全て流失しているので判らないと答え、是非調査をとお願いし、そのままで私の任期は終わった。
色んな事が町で起こっているのに、津波での情報流失に口なし、声なき訴えも死亡によりできなくなり、今後訴えは風化してしまうだろう。誰がこの異常な町の「政治の裏」に声を繋げて行くのか。私の使命としてこの現状を語り継ぎたい。
信じるかどうかは皆さんの考えにお任せしたい。「正義は勝」を私は信じ続けたい。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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