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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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猪瀬さんのようにならない事を


徳洲会の徳田寅雄氏が、2回の衆議院選の選挙で落選し、3回目に当選した時に話した言葉が「正しい事をするのだから何をしても正しい」と言い放った言葉だ。医療改革を訴え国会議員になり、以後は総理大臣になると権力の保持に向かった。しかし、2002年に難病になり、次男毅氏にその夢を託すが、今回の身内からの選挙違反逮捕者をだし、猪瀬都知事の収支報告の未記載など、不正な金銭の流れで都議会から批判を、昨日からの今回の都議会で集中砲火を浴びそうだ。
400万票?と言う都民の指示を受けた、この指示が大きな力となっていたものの、今回の裏のお金の動きに市民の不信感が増加し、指示率の低下は逃れられない。以前から都議会は都知事への反発があったが、都民の指示が都知事の政策を後押ししていた。今回の都議会は猪瀬都知事のその裏金を暴く議会の中で、オリンピックでの都知事の今回の誘致にも大きな影響となる。
我が町は議員の与党が10名でまだ増える気がする。町長が提案する議案は議会で議論は成されるものの、最終的に多数決の採決で成立し、それが町にとっての利益となる事が基本である。町民・町の町づくり遅延が起こっても良いのかと、「復興へ向かうのだから」「新しい町づくりの為」と、言えば何でも町長のままとなる、こんな議会の行政のチェック機関になっている気がする。許認可での便宜供与が無い事を願うばかりで、「悪は滅びる」、このことわざを忘れてはいけない。
猪瀬都知事の不明な金の動きでの、こんなやり取りを見ていると、戸倉のゴルフ場跡地の買い上げ問題の、明確な回答がでないままで、楽天副社長の土地の寄付で美学での、最終結末となった。裏で何がおこったかが見えないままで、議会の集中質疑を終えた。これへの質問の議員は議員の野党と言われた、当時の4議員に3名をプラスした質問が、震災復興のさ中にあった。これが議会制民主主義で、単なる数の論理で乗り切ろうと言う現在の議会体制は、行政のやりやすいように、議会は動く事となるが、これが真の町民の為の議会かと言うと私は違うと思う。
私はこの場に居て議論に係れたことを誇りに思う。少数となった野党の皆さんには頑張って頂きたい。決してまだ私は「負け犬」はなっていない。
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気仙沼のプレハブ商店に学べ


昨日のテレビのニュースで「気仙沼プレハブ商店街」の現状と今後の取組を伝えていた。
震災後の一年間で60万人の観光支援の来場者が、今年は20万人に落ち込み、このままではと対象客を観光客から、仮設で暮らす高齢者に変更した。
経営形態の変更は将来への市の在り方と取り組みを考え、被災した高齢者の救済に向け、既存のお客様を対象とした。昨日は仮設の高齢者に20個の弁当を無料で提供した。商店内の店からの食材を持ち込み、栄養バランスを図り、高齢者の見回りも活動の一つに上げている。
現在南三陸町が作ろうとする商店は観光客の誘致による、観光中心の町商店形成を推奨し目論む。志津川市街地の嵩上げした所に「ショッピングモール」を、被災した商店にテナントとして入ってもらい、御前下には量販店の出店が27年度に加速し、今後大型店の集合体となり、「道の駅構想」は町にはなく、民間でその形成を入谷に考えている。高台の3地区があり商店も3地区と、バラバラの町形成の元に町の復興が進められている。
これが本当に町民が「理想とする町づくり」なのか、疑問だ。気仙沼市のように町が市民の住居の確保を優先に、その次に背後支援で商工・観光にあたるべきと私は思う。
今、間違いを訂正し町づくりを進めにないと、取り返しのつかない事になる。

町の委員は同じ人ばかり


土地換地審議委員に私も立候補しようとしたが、一筆に6人の権利者があり、15分の6と一番の所有で、固定資産税を全て納付している者の、相続を2週間で済ませたものの、立候補の権利取得は無理だった。
こないだ「・・・は立候補できななかった」と話しを聞いた。ある換地の方が「同じ人ばかりが町の委員になるのはおかしい」と、行政の担当課にクレームを付けた。私もこの実情への怒りから、周囲に換地委員になってと言われ、この行動を町議員選で落選した後、直ぐに挑戦した。
一部の意向のままに町づくりがされようと私は感じる。この疑問に何人かの町民が気づき、私に何とかしてと電話をくれる。土地買い上げも直接に担当課への、「なぜ!」を気軽に聞けない私の立場を、ご理解していただきたい。
土地の買い上げ買取の事業は今がピークである。遺跡も調査も終盤となり、志津川の津波拠点事業は、本格的に次年度には動く、これ以上の遅延は許せない。商店街と加工場は「基盤機構」の仮設での事業で、5年間と決まっている。その代わりの場所整備確保へが、3期目の最大の事業と町長本人は捉えている。
職住分離の町民の「住家」はやはり後で、27年・29年と予定し、これは1年とて遅れる事は町長には許せない。

町づくりは誰のため


議会構成は10対6との話は、議長選挙の結果からだった。無記名投票があり、私の知る4名に2人がプラスとなり、この数となった。新人が5名で3人が与党だった。数の確保で政治的な動きが秘密裡にあった。その事を私は知る由も無く、前回で選挙にあたった。
議員となり初めての議員との係わりは、議長選挙での同僚の孝作の働きかけだった。当選議員の中で役職分けが与野党の抗争があり、私は巻き込まれる事を避け、町民のプラスとなる議員の役割を全うしようと思った。政治家は行政トップは安定して町づくりができるような体制づくりに真っ先に取り組んでいた。余裕を持った選挙があり、その先は自分たちの為が色濃いように思う。私も町民のために強い方に付いたほうが悧巧なのだろうが、私の性格上それはできない。
「民主主義」は多くの意見を取り込み、最終的には「多数決の原則」で決定される。これが元にあると思っていた。最終の最後の決定は民間代表者の多数決があると信じていた。今日の朝の報道で、「民主主義は少数の意見を取り入れる。」、その原則が一番にある。と言う。しかし現実は、「数の論理で何でも通っている」と今の状況を話す。この最終の決定を想定し選挙からその目標で、国政も地方選挙もある事を、今回の選挙でその当事者となり知った。
防災庁舎も二転三転があり11月の2日「慰霊祭」が開催され、その解体が決定的なものとなったが、村井知事は「防災庁舎を残したい」と発言し、町長は「解体です」と報道の問いに答えていた。宮城県遺構保存の審議会では、「南三陸町防災庁舎は残すべき」との判断が、全員一致で出されたと聞く。
この問題もまだ河川堤防との関係や、その位置関係もあり、どちらになるかはこれからと思う。トップの決定は、変わる事となるのかその結果を見届けたい。

地獄からの再生

2011-10-24 07.52.53
昨日は換地の件で町と都市機構の担当との話し合いに臨んだ。
法の元での換地制度があり、1000年に一度の天災での甚大な被害ながら、法律の緩和策は成されない、法を曲げても国民の生活再建を早め守る。こんな政府ではなく、「秘密の保護法」による、国家公務員・官僚の情報漏えいを罰する制度の強化が、法案成立を進め通りそうだ。
徳洲会の選挙違反から、都知事・大臣への献金なども浮上し、資金返還やその説明にやっきとなっている。誰かが今行われている不正に、身を捨てて「告発」をする事で、国民・町民の生活が変わる。徳洲会の情報流失は、幹部の理不尽な役員による解雇から、その怒り情報の横流しでここまで色々な状況が判り、「連座制」による議員辞職の方向性へと進んでいる。
被災者は生きる事に頑張り強いが、町の復興に当たり、自身の再建や町の復興への足かせになる行動を取る事はなく、それは町民の優しさであり、その部分をうまく利用している気がする。
裏で諸々の事があっても、「住民告発」はもう難しく、厳しい警察の捜査や、司法が裁きが無い事には、公正な選挙は難しい。我が町の選挙で普通いくら掛かるか知りたい。ちなみに私は選挙資金は50万円で収まった。
写真は神戸で「阪神淡路大震災」の、震災後に総務で調査に行った時の物です。こんな近代的な町は無理だが、芦屋市の住宅街の綺麗な街並みの再生は出来そうだが、決してお金持ちの住民が住む町でもなく、その道は厳しい。

さくらの名所が消えた

2011-04-29 12.50.13
被災した後の「福祉の里」、旧志津川中学校の跡地です。在学中の季節の桜と、イチョウの黄色が綺麗だった。
震災後の桜の咲く頃と言えば、志高の入学式が通常4月10日頃で、その後あたりの風景だと写真は思う。まだこんなにも津波の瓦礫が海岸から1K先まで広がっていた。
市街地は観光地へと一気に復興へと向かい、人が住む事が許されない、「賑わいの平地」を行政は「町開き」として、現在進めている。
福祉の里に包むように市街地が広がった、気仙沼線が町を走る志津川の集落の再生はもうないだろう。町長が目指す町並みを復興とは、私は今後も思わないだろう。多くの町民が平等に恩恵を受けられる町づくりが望ましいが、私の周辺だけかも知れないが、「住もうと言う気が薄れていっている」、と話す。
私の会社は淘汰されるかも知れないが、心までは変わる事はないだろう。

直接の会話が不足?


町の再建は復興計画が基本となり、町民の町づくり提案は、その主導が国・県で次に自治体があり、町民の考えは細部に関わる部分であり、フソトの所だったりする。資金の大きい事業には決して関わる事ができないと感じている。
議員となり「一般質問」が一回もなく、4年一期の自己の存在は議会の何処にと思っている。議員の特権を行使なく、再度多くの投票数で当選となるこの理由が、私の思考にはない。
血縁の薄い繋がりと親戚の少ない私は、町民皆さんに活動で示すしかないと、常々思い任期中も議員として出来る事をしてきた。それが通じなかったのか、その活動は自分本意でしかなかったのかと、思えてきている昨今です。
歌津伊里前市街地の「歌津大橋」の写真だが、その方向性を私の今の立場で行政への聞き取る事は難しい。伊里前市街地の形成は、歌津の議員に任かせれば良いのか。そこまでしなくても自分の地区だけ守り、活動をすれば良い。と今思うようにもなった。被災後の自己の再建と多忙の中で、歌津の「寺子屋」の勉強会に行った事を思い出す。
福島市長選で自民支持の現職が、ダブルスコアで新人に敗れ、原発への市長の対応への市民反発票がこうした結果を生んだ。私の町は現職には多くの問題もあったが、その支援の与党議員が現職の指示に回った。町民の考えよりも、縁故の繋がりで現職に票が回った気がする。
多くの知人は言う、「都会の選挙とは違う」と。地方選挙での浮動票の行き場がなく、80%の投票しない人にあり、行政への批判など票に変わる被災地での状況にはない。町民が弱っているのが見えて取れる。

政治無法地帯に我が町が


一党独裁政治が今国政にあると思う。以前から我が町も同様な形成にあると、ブログで訴えた。選挙を終え益々強固な一党独裁になってしまった。今の行政に反対と唱えれば、あらゆる方法で抹殺を図る町になってしまった。以前は考えられない町政があるが、これも被災地ならではとは言いたくない。
「負けない心を持つ」がスポ少の指導目標にあった。自分がここで引いたら、行政に間違いは間違いと言わなかったら、巨大な敵に屈した事になる。自分の性格上最後まで戦いたいし活動を続けたい。金の為なら、自己の満足の為なら、何でもする人間の仲間には入れない。
こないだの選挙で「千葉はしない事をいっている」と、ある議員の周辺が言っていると、ある人から言われた。写真は戸倉地区に200戸の仮設建設で、プレハブ協会会員がある会社と、20㎝にもなる書類を地権者の了解を得て作成し、県土木部住宅課に申請にいった時のものです。戸倉の折立・西戸地区などの被災住民の仮設を、戸倉荒町にとの建設計画は、町長への申し出も「仮設は決まっているので受け入れられない」との答えだった。申請が23年7月1日で、その後に8月末に横山・南方に仮設が建てられた。
登米市への住宅建設によりも、被災町民の仮設は町内にとの、私の強い思いと考えがあった。結果的には町民の流失が加速した。
私はしない事を町民の前で「やった」とは言えないし、嘘をついてまで生きようとは思わない。これを言うと議員・政治家にはなれないと言われた。後援会会報の4年間の歩みに書いた議員活動の全ては、誰にも恥じない自分の行動です。

亡くなられた方々に恥じない議会運営を


新聞によると新議長に星氏が選任された。
これで商工・観光中心での町づくり体制が整った。佐藤町長の描く主要産業が、今回の議長選任で南三陸町の町づくりは確定したように思う。
住民を高台へ町の中心地の産業は被災した市街地で、これで自分が描きたい町づくりに反対する、町政の監視役的な議会体制がねじれる事もなく、商工・観光中心の復興へと動く事となった。
大分前の志津川地区細浦の佐藤議長を思い出すが、間違っている事は誰であり、その在り方を指摘した。町政の取り組みは町民主体だった。こうした議員を私は理想としていた。自分本位の考えを町政に持ち込まない、こんな人たちが町政に参画する事を望んでいた。
南三陸町が大震災の中心的被災地となり、全国・世界から注目された。900名近い亡くなられた町民に恥じない町政・町再建をお願いしたい。
副議長には山内孝樹氏が選出された。
私は議長は歌津から出て欲しいとの願いがあり、三浦氏と思っていた。町政の為に町長に物申す人が出て、町は適切な方向性の元で、間違いのない町の再建が出来ると思っていた。戸倉の議長がこれで三代続く、これは町長支持の議員が戸倉に多い事にある。

都会的な情報選挙は通用しなかった


選挙の検証をし続けている。もえ整理を付けたはずが、夜目が覚めると「あれもこれも」と振り返る。
町政行事や学校行事を町民へ情報提供の取り組み、決して間違いではなかったと思う。震災5か月目からの「マイタウン情報」を、今月までの25号を出し続け、被災仮設生活者に行政では無い情報を伝え続けた。この活動の成果としての町民の指示が薄かった。
南三陸町を旧志津川町を忘れないで、子供達も頑張っているよ、また町で一緒に暮らしましょうと、共に生きたいと伝えた。「町民みなさいと笑顔の花を咲かせましょう」のスローガンは、私なりの発信の形だった。
「千葉のぶたか後援会」の会報では、志津川の流失した市街地の地図を掲載し、生まれ育った土地が嵩上げされても、私たちの想い出は心に生き続けます。と共に再建して行きましょうと呼びかけた。これは「人口流出阻止」へのメッセージだった。
色々やってきた事は他の議員の皆さんの活動とは違い、議員活動は負けないくらいやってきたと言う自負がある。一般質問も任期中の16回と、被災直後も町の住民対応の、問題点を追求し、「町民の声」を行政に伝え続けた。
仮設建設・復旧工事の便宜をはかるなど人脈もなく、町長のような仕事は出来ないが、心などのソフトの面に力を注いできた。議員活動の何たるかも知らない一年生、議員選挙知識の未熟さだったのだろうか
当分は悩みからの脱出は難しそうだ。

私達は町ができる迄生きたい


志津川駅のロータリーのトイレの改修工事と設置を町に訴えた。議会での3回目の一般質問だった気がする。現在は土を運ぶ大型トラックの、方向転換のロータリーとなっていた。駅前の繁華街は今後も再建はない。私の仲間の店も荒地となっていた。
八幡川の西側の土地の整地は、防災庁舎の解体から一気に進む。河川堤防・国道嵩上げ整備があり、その後で祈念公園と自由農地・公園などが広く整備される。平成28年度ごろとなるようだ。この情報収集とその説明と、要望の行政への訴えていく役目を担いたい。
しかし、一般町民となり自分の情報収集・行政への発言の範囲は大きく減少し、志津川市街地の住民の「早期造成・住居確保」への発言は、若き新人が大きな役目を背負う事となった。行政職員の議員は町長寄りの面が強く、復興計画どおりと町長の政策支持にならうだろう。
志津川地区の議員は4人から二人となり、私の自負する現職・元職の住民サイドの議員は、今選挙の敗北は個人の力不足ながら、復興への方向修正を指摘する人が減ったと思う。力の減少を復興の遅延と言う訳ではなく、小さな住民の声を町づくりに反映させる事が必要で、弱者の声は36歳の若き南三陸町会議員にお願いしたい。
入谷地区で「選挙妨害があったよ」と、噂が私の耳まで届いた。私には何もできない。厳正な選挙と警察の選挙の取締りの強化があり、前町長でも2人が検挙取り調べがあったが、「証拠不十分」で釈放となったと選挙後に聞いた。立件には現行犯と贈収賄の双方の検挙と、その実証までとハードルは高い。捕まらなければ何をしてもいいのか。
選挙敗北の一つに「本浜町の行政区の活動に欠けていた」がある。津波で地区民がバラバラとなり、町外・町内の身近な方に支援はしていたが、すべての方々への活動不足が欠けていた。
大変申し訳なく、全部は結果論であり、今後の目標に「本浜のコミュティー再生」に小さい力ながら活動していきたい。

行政トップの根回し驚く


現在選挙違反の捜査に県警が動いていると多くの町民から電話をもらう。
「寄らば大樹の影」「長い物には巻かれろ」のことわざが、「復興特需」の南三陸町の復興予算の中で蠢いている。
弱い町民は行政を信じ「じーと」町の再建を待っている。行政意識改革・職員公僕精神堅持を叫び、立候補しその一期目そして二期目の道半ばでの選挙結果となった。
法律に則り選挙戦の裏側で何が起こっていたかは、選挙の素人には判る由も無く、今後は綺麗な行政運営をと望んでいた。今日またその根回しと言われる、悪行の噂を聞いた。復興と言う名をフルに利用した違法行為である。
一部の自治体会長の選挙違反ごときの行動に驚き、「飴と鞭」を使い分ける行政の運営は、そのズル賢さに真面目一方の南三陸町民は、赤子の手をひねるものだろう。
町が生まれ変わるため、清潔な行政運営をしていくため、公僕の奮起を願う。我慢する事はないです。良心のもとに!

これからが震災との戦い


防災庁舎の解体にあたり、東日本大震災犠牲者防災庁舎慰霊祭が2日に開催された。
職員が遺族のテントの脇に起立して整列し、慰霊祭を見つめ、同僚そして被災した町民に献花をした。2年7か月を迎え、防災庁舎屋上で亡くなられた43名の御霊に追悼の献花をした。職員と庁舎に避難した方を含めた43名がいた。残された町職員は殉職職員の分まで震災復興へ邁進すると心に誓う。
在る方は現在仙台に暮らし、「ここが亡くなったら何処に息子に会いに行けば」と話す。一日も早く解体された庁舎に変わる、慰霊の場所を建設する事を願うばかりだ。800名余りの死亡不明の犠牲者のためにも、新しい町づくりが順調にいく事を誓った。

皆際の暖かい慰めの言葉に、「私の責任です申し訳ありません」が、精一杯の私の言葉です。

町づくり協議会の高台移転部会での情報を、志津川地区の私周辺の方々に伝え、将来を見通す事での安心感を与える活動をしたい。土地換地に関しても父の代理として、行政から情報をもらい、被災した方々の自分の土地の今後についての情報を伝えたい。

出来れば議会への提案・提言を出していきたい。仲間から行政に物言う団体の設立を模索したいと言う言葉に、できればこんな活動も視野に入れていきたい。

最後の公務に


昨日、偶然にも町外で暮らす支持者の方から電話がきた。
5分くらい話しを聞くと、投票には行けなかったという。諸々の事情が志津川市街地で被災された方々にはあった。
登米市で暮らす親戚筋は、子供のため将来の生活のために、住所をすでに登米市に移していた。大誤算だった。5つも6つも読み違えていた。
友人の多くも町外に脱出し町には票はない。予想以上の人口の流失が、自分の周りでもあった事の危機感が欠如していた。
今日の10時から「防災庁舎追悼式」が現地である。職員の被災家族の方と会った折に、「行くのですか」と聞くと、「行きません」と言う。追悼式が私の議員としての最後の公務となる。
南三陸町町民に色々な感情が未だにある。

自分の活動をどうしようか、昨夜は眠れず考えるも、まだハッキリとしたものが見えてこない。
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千葉のぶたか

Author:千葉のぶたか

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