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 「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
286票 次点(18人中17人目)

先輩の英知と経験を活かして


祝辞・挨拶などで、「今まで町を造って来てくれた先人に学びたい」と言う。新しい町づくりにそれがあるかと言うと、私は違っていると思っている。他に無い町づくりなど、先人達は考えてはいなく、とにかく一日も早い生活再建に町民は努力した。それが南三陸町の志津川・歌津を造って来た。
チリ津波や大火があり、海の開拓などがあり、その途上で町づくりを考えてきた。そして今、被災町民は言う「どこでもいいから土地が欲しい」と、現実に行政にまかせっきりの今までの政策に疑問持っている。大きな舵取りでの見直しや修正が、行政に求めている声を多く聞く。「待ってられない」があり、個人再建の加速があり、これは高台移転の数に変化ももたらし、復興計画の土地確保の見直し、また見直しへと仕事が増え、行政の大変さだけか見え隠れする。
敬老会の先人の笑顔を早く取り戻したい。
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町長立候補者事務所開き


昨日は現職の町長の事務所開きがあり、今日は新人の候補者が事務所を開き、事実上の一騎打ちの公算が出てきた。1日午前の町長立候補説明会で把握ができる。
双方とも議員と支援者は100名前後の参加を得て、「誰が復興の町づくりにしても大変だろう」が巷の意見だ。最大の関心事は早期の土地確保と住民の再建による、人口の歯止めや確保だと思う。熾烈な戦いが告示前から始まる。選挙違反が無い事を祈るが、多くのお金が選挙で動く事を懸念せずにはいられない。
毎日の生活に苦しむ被災住民の、懐の状況や心が弱っている所への、誘惑の行動がない事を祈りたい。逮捕者が出たら被災地「南三陸町」への世界・全国の支援への裏切りと、私は思えてならない。
事務所の神事で選挙の安全と吉報を祈願した。結果はどちらに転ぶか誰もが判らない状況と、現在分析する。

8月31日現在の事業進捗と今後の予定

南三陸復興事業スケジュール2013年8月31日現在

新しい志津川地区の計画から

復興まちづくり事業 概要図

県内の遺構はありますよ

2011-04-15 07.30.00
昨日、村井県知事の定例記者があった。
県内の津波遺構の保存に国が責任をもってあたるべきと発言をした。何故かと言うと、気仙沼の大型船の解体が進み、南三陸町の防災庁舎も解体するとの方向へ進んでいる。
最終決定は自治体がするが、その大きな障害が財源にあると言い、その解決には国の支援が欠かせないからと話す。色々な記録と調査が成され、今の技術を持ってすれば「復元」は可能で、あの場所にそのまま残す事は、復旧復興の障害である事は間違いがなく、これを利用して観光客の誘致は、町民の賛成は得られるはずもない。
写真は2011年4月15日の荒島パークで、引き波でこの場所には瓦礫が無く、何かに小舟が逆さになり引っかかっている光景と、ホテルだけがこの角度では残った。

町長選挙一騎打ち


志小と志中の間に防災庁舎が未だにある。小中学生には余り興味は無いようだが、昨日の休日には庁舎前に観光客に混じって、小中学生が自転車で数名集まっていた。環境的には「どうだろう」と思う。

防災庁舎の「祈念切手」の製作による、この大震災の風化防止と後世への継承を行政に提案しますが、どうでしょうか。
 こうした震災を心に残し、醜い危険な構造物となりつつある、庁舎解体への道を、町民の意向を確認しどうするかを決定してほしい。警察署での現場の検証・記録も進んでいると思います。総てとはいわないが、解体を望む遺族の思いをかなえてほしい。
 生活困窮者や高齢者がこの大震災により増加している現実があり、災害公営住宅の建設が急務である。東地区が一番早いと思うが、入居開始時の明確な時期は示せないのか。
 また、西地区希望者が29年度の公営住宅建設が伸びたせいで、入居先を東地区へと変更したいとの声も住民から起こっている。この問題に行政はどう対応していくのか。
 (本当に町の所有する用地への早期建設をお願いしたいと思います)




従弟に合掌 6月4日

2011-06-04 16.15.41
被災から3か月になり道路の瓦礫も少しずつ取り除かれた頃の時です。
町民の避難誘導にあたっていた従弟はもう帰ってこない。冷静沈着な彼であってもこの大津波から、逃れる時期の予測を逸していた。
隣りにある宮城県合同庁舎で10名前後が屋上で助かった。津波は海が盛り上がり一気に堤防を越え、「あっと」言う間の襲来だった。398号と気仙沼線の交差する高さまで、八幡川が津波の通り道となっていたせいで、志津川消防署前での避難誘導からの安全な場所への避難は、一瞬の考えの判断が「生と死」の境目にあった。
広域事務組合の職員であった。職員の殉職は5名で広域組合・国で追悼式典があり、国から殉職への賞状も頂いたが、この場の慰霊の形に驚いた。風車と造花のモニュメントといった感じに追悼の場が設けられていた。それもBRTの駐車場の片隅にだ、私の従弟は言うだろう。「そんな事は良いから早く復興を、町の為に頑張れ!」と。

南三陸町の水産業のパワー

2011-04-12 15.29.35
2011年の4月12日の震災後1か月目の、志津川湾には多くの船が海上の水平線いっぱいにいた。何かと言うと引き波で津波にさらわれた人々の海上捜索に、多くの漁船・自宅が流されたものの、多くの被害を追って居ながら漁民が、町民の捜索を繰り広げられていた。

◎合併特例債の運用状況は、庁舎建設になぜ使われなかったのか?
◦ 新庁舎積立交付金がどういう理由から300万円余りとなった。その経緯は
◦ 建設されなかった訳は「新庁舎建設は新町づくり審議会」で議論され、建設されず今になっています。
 そして、今回大災害により、庁舎が流出し「復興交付金」という財源により、整備される事になった。この庁舎をめぐる一連の流れは、旧志津川町から現南三陸の町長として、どのように分析されますか。
 (町長の意を持ちいて事にあたった結果が、優秀な職員を失った現実を胸に刻み、その礎を無駄にすることなく、パフォーマンスではなく町の再講のために先人の皆さんにはずかしくない、判断にミスのない行動を今後期待したいと思います。)



個人病院の再開はこれからの若人に

2011-04-24 13.53.55
破壊され一階だけとなった会社から、新井田と東山方向を望む。この方向は田中病院と本田クリニックがあった。大きなコンクリート塊となったのが、二つの手前の残骸です。この先には警察宿舎があり、屋上に車が津波で流され留まった。大きな火災となったのも、新井田の天王山地区に発生し、山浦の旭ヶ丘地区の高台から、山越の煙が夕方から明け方まで続き、その裏で起こった多くの悲劇を知るよしもなかった。

◎西地区の工事や地域の形成を、今後地域の隣として隣接する「旭ヶ丘地区」にも情報を下さいとの話があります。旭ヶ丘地区に西地区は2つに分断され、その近くには田尻畑、保呂毛が防災集団移転があります。津波復興拠点事業の「西地区」の今後と、高台の移転連絡道路は、予定どおり27年には完成計画であり、29年度完成の西地区と連絡道の完成の時間差は、町全体の復興計画として問題はないのか。
◦ 市街地の西側は防災庁舎の在り方が決まらないので跡地利用の「祈念公園」の整備が始まらない理由としてあるのではないか。

2011.6.20 7時31分

2011-06-20 07.21.31
昨日の議会の議論
◎9月決算議会で防災庁舎は今後どうなるのか? と質問があった。
来週中には解体するかについて答えを出すと町長は話す。
(遺構として、犠牲者の事を考え、多くの議論が出尽くし、今後は解体の経費負担があり、10月までの県の事業として支出か。10月以降となると町の一般財源を充てないといけなくなる。)
◎戸倉ゴルフ場の高台移転開発問題は?
(23年内に慌ただしく町は土地取得を議会に提案するが、多くの疑問が議会から投げかけられ、それを見かねたと楽天の副社長が土地を取得し町に寄付、それから1年10か月以上が経つ。23年の10月頃には開発計画も町で示していたのに、いまだに戸倉団地としての開発は進んでいない。)
◎鮭の稚魚放流のための50万匹が死滅した、これを議会に報告は無かった?
(病気の持った稚魚だった。買い取った業者の補償金で賄われた。)

大森・本浜の住宅が消えた

2011-04-24 13.54.03
大森の「町営住宅」が見える。建設されてまだ間もない施設ながら、今回の大津波で建築物だけは残った。半年以後に解体となった気がする。

災害公営住宅の他の自治体の状況
仙台市の奥山市長が今回の選挙で26年度までに3000戸の災害公営住宅を造ることを、当選後の記者会見で断言しました。
 大槌町では、予定する災害公営住宅建設に対し、出来た災害公営住宅への見学会も開催されている。
 我が町の「災害公営住宅」は約1000戸を予定しているが、現在まで、入谷・名足の建設があり、100戸未たないのに26年度の中旬と27年を予定する。これから本格的に戸倉、歌津、志津川地区と建設計画がある。町の計画どおりに進まないと、被災住民は町から離れてしまう。「鋭意努力する」の答弁はいいです。こうした対策で問題が発生したら、こうするとか。その遅延の責任問題とか具体的な答えをお願いします。10月の選挙もあるでしょうから。




自宅から八幡川水門を望む

2011-04-24 13.52.43
津波被災一か月目頃のわが社の二階部分から、松原公園地区を望んだ。このころはパソコンとネットが無く、ドコモのタブレットを購入し、携帯からタブレットでの市街地の状況を映像に納め、ブログ公開を始めた。

「入谷を希望する」がないから入谷は除外したいとの発言に私は今も疑問を持っている。現在入谷地区に市街地での再建をあきらめ、多くの事業所・自宅が建設されている事に、町民の希望があるのに、被災市街地の再生を図りたいという町長の考えがある。住民と行政の意向の「ミスマッチ」があり、強要するかのような行政の提案がある。
 (高台造成と土取りの置き場としての密接な関係はあるが、災害公営住宅の早期建設、そして入居を最重点目標として町の復興再建を進めてほしい。)

あのままの姿の記録

2011-04-24 13.52.38
1か月目の2011.0415、気仙沼信金・防災庁舎・前の印刷会社社屋も形がしっかりと残っていた。この光景を見ると直後町民の命からがらの、避難行動が垣間見える。

 リアス海岸特有の津波波高の増幅への基本的知識の欠如が、町のトップにあった事は多くの状況から計り知る事が出来る。
 ある例がある。若林の仙台空港には3mの津波が港ターミナルを襲った。津波警報は6mと津波の波高を伝え、海岸から松林そして貞山堀を超え津波は100mも離れた空港まで来た。空港は津波の波高を、仙台のなだらかな海岸線からの津波の高さを想定していたそうです。
 航空会社、仙台空港の防災マニュアルには地震はあっても、津波防災マニュアルはなく、マニュアルがない中で空港の警備にあたった方は、地震による津波警報は「6m」だが空港到達は「想定は2m」に考え、空港内の方々の避難は元より、津波はここまで来ると確信したそうです。結果的には3mの津波で一階が浸水した事は多くの人々が後に知る事となりました。空港内に居た人たちには一人の被害者もなかったと聞きました。
 南三陸町の海岸形状を知っていて当然の自治体の災害本部立ち上げに対し、「浸水深2m」の町防災マニュアルがあるとか、「6mの津波警報だから3階の12mなら大丈夫」はあまりにもちせつな考えだった事はまちがいがない。この結果、多くの町民の最愛の家族や、優秀な役場職員が亡くなった。

何を言いたいかというと、もう行政の町再建への政策・対策・事業のミスはゆるせないという事です。
町民の帰還には多くの時間を要する高台造成の計画により人口の減少が加速し、防災庁舎の危機管理課での町民の救命のため、防災機器も失いながら庁舎にとどまる判断はいったい何の意味があったのかと、2年半が経つ今でも、先を見通す適切な判断があったらと、私なりの津波検証を続けています。






被災1か月から

2011-04-24 13.52.50
自宅から見た本浜町の現状で、ここから2年半かけて更地となり、現在の市街地が広がる。



気仙沼市の震災遺構としての大型船が、船主の希望そして、市民の7割の「解体すべき」との意向調査があり、来町された「観光支援」の交流人口といわれる方々の「残した方が」という意見の多い中で、菅原市長は、住民の意見を重視し解体の方向に舵を切りました。
 我が町においては、町長の私事の「告訴」の言う理由から、解体はできないと言い、先延ばしにしています。議会で決定した「町民の代表者」の判断があるにもかかわらず、町長ながら一個人が訴えられ、警察の取り調べ中と、そのため解体ができないと言っている。9月までに県に解体の申し入れで、10月解体がタイムリミットと聞いています。私の目には「観光支援」で来町された方々が防災庁舎に立ち寄る、悪い言い方をすれば、観光客を呼び込む「ツール」としての利用に思います。この場所の悲劇を未だに背負う家族の声、町民の声にもっと耳を傾けてほしいと思います。
 (町民、職員遺族の声を、大切にしてほしい気持ちで私はいっぱいです。この庁舎があることが、町にどれだけのプラスとなるのでしょうか。
 南三陸町の観光資源としての海、山、川、そして人、水産資源、農業。まだまだ伝統、文化、歴史など多くの町の資源を活用して下さい。)




会社の被災風穴から上山公園

2011-04-24 13.52.19
震災2か月目頃に会社に向かう道路が出来た。その時の中工場からの志津川被災地を望んだ。この瓦礫の山が津波の恐ろしさを物語る。

町長の今後の町づくりの方針は
①町長が震災から2年半を経過して、自分がとった人命尊守の津波防災の、行動と対策を検証し、今後どう取り組んでいくのか。
②復興計画の人口動向と町再建の時系列は、町長が描いた想定なのか。現在の姿が計画どおりでないなら、今後の課題と対策は。
③佐藤仁町長の4年間の町政運営の中で、被災前の1年半と、被災後の2年半の町政の進め方は、どう変わったのか。また、今後の復興の進め方はあくまでも「復興計画」どおりなのか。

震災の悲劇への検証

2011-04-15 07.46.08
写真は2011.5.15ごろの誌写真です。この悲劇を忘れることなく、原点を見つめ復興へ尽力していきます。
私の議員としてのスタートは、行政の入札や政策の中身について、多くの疑問や怒りから、議員への立候補を告示ギリギリで決断しました。予算の使われ方、職員の「町民の公僕」であるはずの公務員の在り方など、町長に多くの疑問をぶつけて、改善・見直しの気風が高まってきた時の、今回の「東日本大震災」の大津波がありました。
町が壊滅的状況となり、被災者の安否確認や、被災地の情報発信、スポーツ少年団の維持支援、大地震の記録収集をしながら、議員としての被災住民の声を、町の担当部署に伝え住民支援を続けてきました。長いようで短い2年半だったと私は感じています。住民雇用も会社の再建も進め、5か月目には仕事も再開し1人から2人と、被災地で頑張っている住民の、少しではありますが、雇用をして住民の生活再建支援をしてきました。しかし、一人の議員の発言の弱さを痛感したスタート、被災直後でありました。
被災後の行政の講じた復興政策の疑問点を付き、改善・修正を求めてきたが、仮設の登米市への建設、防災庁舎問題、戸倉ゴルフ場跡地利用、産業廃棄物の出土があり、町としての存続に繋がる町民の流出が進む中で、その適切な対策を今だに取れてなく。各地区の防集事業、志津川地区の津波拠点整備事業がなかなか進捗が遅いように感じます。このような状況となっている事を、私個人ならず住民の多くが行政への怒りを持ち、「町民の声」への町の政策が解決とならないままで、現在に至る経緯があります。住民の生活再建よりも、商工業出身の行政トップなのか、商工・観光を第一かのような、行政の復興への考え方が進められているように見えます。苦しい・悲しい・辛い環境の、被災民の「怒りの声」が、私の行動のエネルギーとなっています。
こうした「復興計画」の元で、町長の事業展開に対して、被災住民の多くの悲しみを救うためにも、町長の4年間の政治活動について質問し、今後への対策を伺います。

千葉のぶたか議会報告

(2011年3月までは16人の議員定数があり、東日本大震災で佐藤栄議長が殉職し、現在は15名の議員構成で南三陸町議会は運営されている。)
議員としての特権が行政への質疑であり、「町民の声」を行政に伝え、政策・事業への疑問を問い、事業の改善や取組を行政・町長に提言できる。
(カッコは町長・行政の発言です。)

前回の選挙掲示板

2009年12月 第1回目の一般質問(総括質問) 質問者数不明
(東日本大震災で全ての資料が流出する)
◎戸倉字町(荒町)から津山町横山に繋がる「並石(なみいし)線」のう回路整備について質問した事が強く記憶に残っている。
・国道45号の横山峠の事故による通行止めの「う回路」としての活用整備を。
・田畑などの農地の復活の為の道路整備を。
・台風や豪雨の災害の発生の復旧工事を早急に。

2010年3月予算議会 第2回目質問(総括質問) 8人が質問
◎志津川駅構内の公衆トイレ整備を。
・JR東日本が志津川駅の外部トイレを閉鎖した。町として公衆トイレを駅構内に設置しては。(JRに要望していく)
◎町民と外国人の雇用の問題点と対策は。
・外国人労働者の雇用が増加している。町内の雇用の場が少ないと言う。2つの問題の解決・対策は。(企業と連携し活性化を図る)
◎農業への国独自支援があり、漁業所得制度などで漁業者に町の支援はできないか。
(漁業だけの支援は公平・公正の面からも考えていない)

2010年6月 第3回目質問(一問一答) 6人が質問
◎町財政の将来に向けた健全化対策は。
・歳出削減と住民サービスの維持対策は。経費削減に町広報ページ数の見直しは。
(限られた財源の予算執行に努める)
・人口減少の歯止め対策は。雇用の場としての「道の駅」の検討は。
(社会現象で行政施策では難しい。三陸道プロジュクトで検討中。)
・中高一貫連携入試の取組は。学力の向上対策は。
(田生教育長…県教育委員会の動向を見ていく。)田生教育長は殉職

歌津地区被災前風景
▲ 歌津地区被災前風景

入谷地区被災前風景
▲ 入谷地区被災前風景

2010年9月 第4回目(5人が質問)初めてトップでの質問者となる
◎若者の働く場の確保と対策は。(各種利度にて積極的に推進する)
・雇用の場としての物産館などの第三セクターの設立はできないか。(町の計画している事業にはない)
・若者定住と町財政の2つの問題として、税収増加が関わってくるが。(雇用の場の創出を推進し、住民サービスの低下を招かないよう行政改革に努力する)

2010年12月 第5回目(7人が質問)
◎住民の生活環境は万全か。(町として責務は果たしている)
・建設業や工務店の衰退が見られる。町発注の増大や参入拡大の対策は。(公平性・透明性の視点から、現行政制度の中で可能な限り受注機会を確保したい)
◎今の激動する社会環境に町総合計画は順応していけるのか。また、町長の「トップセールスマン」としての責務は。(合併による財政の恩恵を活用して、新町建設計画の行政議題は解決してきた。責務は果たしている)

2011年3月 第6回目 議会だよりは大震災のため発行されず。
〔予算議会終了の町長の挨拶の時、11日午後2時46分に震度4以上の地震が3分間続き、30分後に大津波が町を襲った〕
◎「第一次産業」の振興と支援。(議事録の資料もなく町長の答弁も情報が流出した)
・「観光立町」を目指す南三陸町にとって、自然の保全と、観光地整備と共に「食」を目的に来町する観光客には、第一次産業の産品の生産は根幹であり、生産支援は欠かせない。南三陸町の山の幸・海の幸の確保維持の為にも、第一次産業の後継者離れや防止、担い手の問題は、早急に対策を講じないといけない。
① 農家への戸別所得補償事業への周知徹底と、集落営農への取り組みを、JA南三陸と協力して推進する新たな考えはないか。
② 漁業は世界的な気候異常の中にあり、安定した経営状況が保てない現在、災害発生時の支援に、益々の町としての取り組みと、水産品のブランド化と販売ルートの更なる開拓と発信の考えは。
③ 林業は後継者・担い手問題を抱えている。その対策と支援は。また、南三陸産木材の公共建築物利活用や、「ブランド化」への町としての取り組みは。

私は観光には生産者と加工業者と商店の連携や共動が必要で、共に助け合い、共に潤う体制づくりが町の経済を発展させると思い、この質問を町長に向けました。

津波前の志津川湾津波直前の海底が露出した海
▲ 津波襲来の直前志津川湾は引き潮で海底が見えるほどになった。▲

2011年6月 第7回目(8人が質問)
◎大震災の検証は。(災害対応は適正である)
・防災センターの場所と対策本部体制の判断は妥当だったのか。(宮城県沖地震の想定は6~7mで、防災庁舎の屋上は12mで人的被害は避けられると認識し、マニュアルに基づき、判断に誤りはない)
・集団避難から仮設入居の進め方に問題はないか。(避難者数9千人超で、4町へは個人の意思で2600人が行くこととなった)
・被災後の町づくりビジョンは。(なりわいの場所は様々であっても住まいは高台へ)

2011年9月 第8回目(8人が質問)
◎町復興再建への取り組みは。(住民の意向を踏まえ復興計画を進める)
・公営住宅の早期建設を。(国の制度拡充や財政支援を見極め検討していく。今年11月の建設査定や、住民の意向アンケートを踏まえ、移行時期は検討していく)
・JR気仙沼線の復興は。荒町地区の存在は。(JR東日本は気仙沼線を復旧させると言っている。重要な地区と位置づけている)
・第一次産業の再生への支援は。(農地の震災復旧事業は県営で、生産は震災対策交付金事業で再生を進めている。漁業は、県漁協に三陸水産の再建として国の事業で行っている。林業は県と町の事業だが、遅々として進んでいない)

2011年12月 9回目(6人が質問)
◎震災復興計画の実現性は。(現時点では高台移転と場所確保)
・ 入居移転は。(防集は地域の合意により平成25年度末に造成完了を想定。津波被害ない地域での用地確保。平成25年度末の入居を目標)
・大企業と弱小企業の格差対策は。(4分3のグループ補助や、基盤機構が再建を支援。個々の事情があり格差はない)
・スピード感が欠けているのでは。被災していない所への災害公営住宅建設は。(専門職員を70名程度自治体派遣で。意向調査で入谷があれば進めたい)
・志津川地区の防潮堤は8.7mで河川堤防も同じでは、市街地はすり鉢に。(河川堤防は受け入れなく、防潮水門でお願いしている)
・近隣地域の移転があり、こうした東浜地区をコミュニティーのモデル地区にしては。(伊里前地区の協議会が一つのモデル地区。他の地区も先行する事に問題はない)
◎人口減少の歯止め策は。(住まい確保・産業助成・雇用確保を進める)
〈2011年2月末で17660人。11月11日現在で15523人、2143人が減少している〉

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津波前の志津川湾津波直前の海底が露出した海

2012年3月 第10回目(10人が質問)
◎被災自治体に見合った財源支出を。(財政の健全化と地域振興に努力する)
・法人業務量の2割であっても町長の立場として「兼業禁止」の法に抵触していないのか。(町の請負が業務量の半分を超える場合は「兼業」に抵触する。法人が町に対する請負を主にしている場合のみ「兼業禁止」となる)
・昨年10月に代表職を辞めた訳は。(新聞の指摘を受け「季下に冠を正さず」という意味から取締役を辞退した)
・地方公務員としての公正・公平の発注意識の道徳教育の向上を図っては。(町職員論理規定のルールにより、町民の誤解を受けないよう職務規律の確保に注意の喚起をしている)
・行政の物品費・業務費発注の経費を削減し、被災者支援の経費に回しては。(被災自治体に於いて、被災者支援の費用に最少の経費で最大の効果への予算計上をしている)

2012年6月 第11回目(5人が質問)
◎高台移転の早期実現を(復興計画通り災害に強い町形成を図る)
・志津川市街地利限地域の商業団地の買い上げと融資担保について。(土地区画整理事業内の商工用地は、換地により位置・面積が変わるが、等価交換となる。道路・公共施設整備に必要な土地となれば予算の一定の範囲内で買い取りも検討する)
・高台移転に対する町独自の生活支援策は。(現在のところ独自支援はない。防集に係る借入金の助成や住宅建築の借地料に低減化を考えている。土地買い上げと分譲価格の等価交換は難しく、土地販売代金は国へ返納する)
・高齢者の入居希望が多い「災害公営住宅」の早期建設はならないのか。(戸倉地区で平成25年度末入居予定。志津川地区の700戸は平成27年3月からの入居開始を目指す)
・東地区にコンパクトシティーとして中心部造成を。(全体では50%が東区)

2012年9月 12回目 (9人質問)
◎町職員特別採用枠で人口流出阻止を。(地方公務員法に基づき採用する)
・町職員の採用枠の拡大や再任用廃止で、安定した公務員職としての働く場の創出を。
(公務員法により国が認めない。即戦力が必要であるため再任用を継続)
・「被災者雇用相談室」の設置で、不足する職員の補佐などの、長期的な雇用の創出を。
(高校生卒企業採用に30万円、緊急雇用事業で661人の創出となり、今後も継続する。)
・被災町民の生活支援の為に、町職員給与を「5%カット」し活用しては。(考えはない)
◎公立病院に「透析部門設置」の取り組みは。(医師の招聘を図り部門設置を検討)
・新設される病院は「南三陸病院」となるのか。(「公立志津川病院」の形を考えている)
・仮設生活者の「生活習慣病」や高齢化もあり、糖尿病の増加で透析施設の必要性が高まるが。(現在40名の患者がいる。医療と保健を強化し水際で防ぐ対策をしていく。)

南三陸町復活への一歩(12年12月)
志津川八幡川伊里前福幸商店街

(左)八幡川でのサケの捕獲が始まった
(右)伊里前福幸商店街が伊里前を中心とする歌津地区の商店主により立ち上がった

2012年12月 13回目 (6人質問)
◎高台移転問題点解決に住民意向を重視して。(解決に向け鋭意努力する)
・町独自支援は。(現在はない) ・東区の移転希望の増加対策は。(北側拡大を) ・土地の決定は抽選か。(町協で検討) ・志津川市街地の嵩上げは、1ha40人が住まないと経費はでないのか。(区画整理事業の要件である)
・新井田川の河川ルート変更に問題は。(土地の有効利用でレベル1に対応) ・第2工業団地の考えは。(希望する事業者と検討中)
・り災加算の申請状況は。(403件が申請し、町内再建が81件で、県内が162件である)
・志津川市街地西側の「祈念公園」の在り方は。(維持管理費の問題で縮小へ。土地は防災集団移転事業で買い取る)

2013年3月 14回目 (9人質問)
◎町民の生活環境整備に中型スーパー出店を早急に。(商工・観光ゾーンに新設を)
・志津川・歌津仮設商店街の今後は。(平成28年度をめどに解体される。商工・観光ゾーンにテナント出店をしていただき、環境が整うまで商店街の延長をお願いして行く。)
・御前下の中型スーパーの出店が町に提案されている。商品の自由選択や買い物弱者の救済があり、雇用創出70名や町税収入増が見込まれる。出店支援は。(予定地へは仮設で、被災地嵩上げ後の商工・観光ゾーンへの、本設移転をお願いしたい)
◎学校の「防災教育」による津波対策は万全か。(命を守る防災対策を講じていく)
・小中学校の「命を守る」防災対策は。(学校防災教育計画委員会で「マニュアル」を作成した。)
・名足小学校が25年2学期から開校するが津波対策は。(通常教室を2階に配置し、校舎2階からの避難路を増設)
・原発からの児童・生徒を守る対策は。(南三陸町の防災計画の原発対策を図る)

2013年6月 第15回目(7人が質問)
◎戸倉地区の再生への取り組みは。(地域の意向を聴きながら進める)
・戸倉団地の完成は。(本年秋から造成、27年度中の完成を目指す)
・戸小・保育所は。(戸小は27年度に開校予定。保育所も戸倉団地内ながら完成は未定) ・神割崎の今後は。(指定管理制度で観光協会を軸にHP等で紹介) ・戸倉ガレキ処理場の今後は。(今年度中に終了し、平成26年度3月末に現状復旧し返還)
・戸倉神社・寺院の支援は。(「聖教分離の原則」により文化財指定がないので、補助金は出せない)
◎志津川市街地の嵩上げ整備は。(優先順位を考え進める)
・市街地整備は。(五日町・十日町・大森を先行し、商工・観光・水産加工場の早期整備を図る。30年の完成を見込む)
・道路・堤防整備は。(27年度完成見込み)震災公園と慰霊碑の事業は。(公園は23haから3.5~5haに縮小し、慰霊碑は優先順位を考え整備する)

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9月定例会
町長の今後の町づくりの方針は
①町長が震災から2年半を経過して、自分がとった人命尊守の津波防災の、行動と対策を検証し、今後どう取り組んでいくのか。
②復興計画の人口動向と町再建の時系列は、町長が描いた想定なのか。現在の姿が計画どおりでないなら、今後の課題と対策は。
③佐藤仁町長の4年間の町政運営の中で、被災前の1年半と、被災後の2年半の町政の進め方は、どう変わったのか。また、今後の復興の進め方はあくまでも「復興計画」どおりなのか。

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