「友だち作戦」はアメリカ軍が大震災で南三陸町などの被災地救助にとった救援活動名です。全世界、全国からの支援により、南三陸町は復旧復興への道を歩んでいます。南三陸町のみなさんは全てが友達であり一体となり、喜び、苦しみ、悲しみを共有しながら、共に南三陸町で今後も生活して行きたいと思っています。

町民のための議員としての原点はここから

2009年10月の選挙

2013年10月27日町議選挙
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総理官邸と町の本庁舎はよく似ている


一強独裁が19年も続く事となりそうだ。長期政権の「緩み」は大丈夫だろうか。益々の人口減少は……。

「安倍の、安倍による、安倍の為の解散!」が
来週には発令される。豊田議員が不祥事の記者会見を昨日おこなった。「埼玉にパワハラ議員はいらない!」と事務所前で女性達が声を上げる。埼玉の…区からの出場ながら、自民の公認は無く、別の自民候補が立つ中で当選は難しいだろう。一つの一時の異常な状態の中の発言でも、その一言で自分の人生は変わる。又、不倫・W不倫でも同じで、少しの気の緩みで自分の議員人生が終わる。そうなる前に知人・友人の指摘や言葉で、人生の危機から回避できるし、普段の行いで自然と大問題の発生を回避出来ている。私の人生でもそんな「戒めの事件」が何回かあり、問題に事件にならなくてすんでいる。

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合併の効果2


志津川の3つの川での「住民の親水」など、現在進む「河川堤防」ではあり得ない。町づくりがどこかで町民の意向など消えてしまった。

検証 合併10年(2) 南三陸町の効果と課題
合併し町名が「南三陸町」と変わった。南三陸ホテル観洋の女将は言う。観光振興に特に力を注ぎ、観光人口の拡大を図っている中で、旧町名「志津川」は川を連想させ、「南」と「三陸」を町名に入れた事で、明るく海のまちを連想イメージへと定着した。
私は志津川に恵みをもたらす川は大小はあるものの、約7つの志津川地区の流れる川沿いに集落が形成され、災害時の排水と海の恵みをもたらす、志津川の「川」の意味を大事に考えたい。逆に町名が「何で南三陸町なの?」との思いが募る。歌津地区との合併は双方の町名を選択するには、町民・議会も納得は得られない。しかし、志津川は入谷・戸倉村との合併でも「志津川町」を貫いた。その先人の選択の意味を考えても、「継承」の観念からも志津川町で私は良いと考えている。
「西の明石・東の志津川の真ダコ」は、知る人ぞ知る言葉だ。タコをこれまで観光食材の目玉として、「おすばでまつり」で近隣市町から多くの来客を迎えた。「志津川キラキラ丼」でも観光振興には繋がった気がしてならない。町のネイミングがそれほど大きな効果を生んだかは、関係者の努力でしかない。
(つづく)

南三陸町をさらに広めたのが「南三陸キラキラ丼」と言う。女将の考案したものとも聞くが、平成20年の大型観光キャンペーン「仙台・宮城DC(ディスティネーション・キャンペーン)」があり、同ホテルや町内の飲食店が協力して、ウニや鮭・イクラなどの海の食材を、志津川と歌津地区の飲食店が一体となり町の名物となった。こうしたDCと名物丼の効果で、交流人口は震災前100万人前後であった。農家・漁業の民宿と新たな取り組みで観光地としての受け皿が拡大していた時の大震災だった。
震災の年で23年には約35万人と減少したが、24年には約89万人まで回復した。しかし、昨年の26年は約76万人と11万人の減少となった。「震災の風化による減少」と分析するが、震災復興が進みボランティアの減少や、町の再建事業が終わるあと5年後には更なる観光客の減少を予想する。ハードやソフト面の受け皿の整備と言うが、人口の流出や働く場のない町に交流人口と言う名の元に、観光客を呼べるかと言うと私は難しい気がする。
(つづく)

全国の自治体が観光客の受け入れに力を注ぐ中で、南三陸町の町の疲弊は厳しく、日本の景気と世界の観光客の流れがあり、北陸新幹線と北海道新幹線の開通の効力で、人の流れを南三陸町に導くのは厳しい。新しい市街地づくりと三陸道の延伸や被災した町・防災庁舎だけで人が呼べるとは私は思わない。三陸道はストロー現象となり通過する観光客も多い。一番の問題点は宿泊施設の少ない事にある。大きな受け皿は「南三陸ホテル観洋」だけで、宿泊観光客の9割以上を占めている。新たな地元の若いホテル起業家の出現なしに、町の経済効果とはならない気がし、地元の水産・商工会社での共同ホテル経営を考えるべきと思う。今までにない新しい雇用と税収確保に町は取り組むべきと思う。「まちづくり会社未来」のような第3セクターによる、観光事業拡大の為の政策を立て、規模は身の丈にあったものとし、観光客為にも「宿泊料金」「静かにくつろぐ」など選択の自由を与える事も、観光の町として来客サービスを当然の事業と考える。
(つづく)

佐藤町政から15年が終わり、合併から12年が経ち、大震災で町づくりは前商工会全会長の佐藤仁町長の想いのままに、「新生南三陸町」の町づくりが進む。本当にこれで良いのだろうか? 早期の合併の検証をしないと、観光での町づくりの方向性は変わらない。どこかで修正し、正しい方向への修正をするべきと私は思う。
検証と訂正・修正なくして、住みよい町の形成はできない。一部の人たちが潤う町づくりなど、町民が望む町ではない。

全町民に公平か町費の活用を

行政と組合の補助の元での商店街には、資金的に今後に破たんはないだろうか、テナント入所は継続となるだろうか、など人任せは大きな問題が商店街にはある。気仙沼・石巻など近隣市は、個人商店主の経営方針に開店・営業を委ねている。行政が極端にタッチしていない状況の中で、商店主の新しいリーダーが、震災からの復興を多くの商店主と取り組んでいる。人任せは必ず最終末が来るし、行政・商工会にも支援・補助の限界が、必ずやってくる。現町長が在任中は手厚い支援があるだろうが、これがいつまでも続く訳は無い。個々の頑張りで経営を続けるしかない、と私は思っている。

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≪商店120社の出資会社「元気いちば」≫
石巻の「元気市場」の事務局の一人と話をした。市の商店復活と観光地の整備を市民と図り、自分達で市場関係者・飲食店・各種業者などで、資金を出資し「元気市場」を立ち上げ、市からも女性を受けオープンとなった。当初は来客も少なかったが、徐々に口コミや宣伝で人が増えた。調査して見ると「SNS効果」が大きかったと話す。リボンアートフェスティバルの開催で、全国から各種音楽家・芸術家などが協力し、石巻だけでなく牡鹿半島の先まで、その活動の効果が表れてきた。「人が夏に盛り上がるのは盆踊り」と、石巻マンガ館の中州での「本踊り大会」は大いに盛り上がったと話す。

悪しき政治からの脱却


竹下登の後継の世襲での竹下議員の「島根県に弾頭が落ちても何の問題もない。」発言は、一強自民政権の「おごり」「たるみ」「緩み」がこの議員の発言から感じる。県民の不安を考えていない発言と、秋の臨時国会で野党から質問が飛ぶだろう。議会運営の自民代表としての前任から、強固な野党の要望に断固として反発した。自民の政調会長に就任し、親を遥かに超える強権政治家と感じる。

山尾氏の離党での記者会見は、自民党の稲田氏の防衛大臣辞任と同じく、政治不信に拍車をかけた。世論は言う、「前原民進党の新党首も、党を離党した議員の説明責任はない。」と。自民党も・民進党もむ同じと判断され。与党の受皿して「民進党はない!」という事になる。少しの期待の元の船出だったが、更なる離党者が5人もいるという。120名余りの国会議員の民進党はいったいどうなっていくのだろう。政治の混乱と政治不信は益々拡大するが、政治家無くして日本経済は成り立たない、国民のジレンマが伝わってくる。


南三陸町議会の9月定例会決算議会が昨日から始まった。いつもの議員の8人が登壇し町長に質問する。これで何が変わるのだろう。今、質問する意味が解らなくなった。「兼業の禁止」「病院に透析部門を」「スーパーの早期誘致を」など、私が指摘した事は現実となってはいるものの、質問の空しさを一部感じる。何が一番町民に取って必要かにある。町長がやり易い事だけではなく、国県の事業を精査し町事業として議会に答申するのが行政と、私は常々思う。町民が「住みやすい町づくり」が、行政と議会の仕事と考えている。

4年一期の集大成となる今回の議会、ネットや議場で傍聴してはどうだろう。金曜の初日は三浦議員と後藤(伸)議員だった。月曜日は残りの議員が一般質問をする。私も11日月曜の午前に傍聴に行く予定だ。初めの問答えは、議員の質問に答える町長の答弁は予定どおりで、答弁の後のやり取りが議員の活動手腕が見えてくる。

佐藤町政(検証1-2) 誰かいないの!

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串本への議会総務委員会調査があり、津波の発生が想定される中で、串本町は「消防署」「町民住居」の移転が実施され整備されていた。
志津川・歌津両町議会の合意を現町長が高台への新庁舎建設を実現していたら、南三陸町の人的被害は軽減され、震災下での行政活動も混乱とならなかった。済んだ事と片付けるのではなく、当時の町の行政運営の体質が、これまでの津波被害に対し、本気で取り組む姿勢に大きく欠けていた。
町の合併の執行部の中心だった当時旧志津川町総務課長の遠藤健治氏は、「着工」は「検討」と言う事だと言う。町民誰しもは新庁舎が建設されるものと思っていただろう。その後で副町長となり、現町長とのしがらみの中で「双方に認識の違いがあった」との、振り返る言葉に現町長への擁護としか思えない。
これまでも町政の中で「意見公募」でも14%の住民の回答に、6割の住民の「県有化賛成」を民意と、自分の都合の良い解釈や、戸倉の土地取得の経緯と産業廃棄物の県への処理委託など、「臭いものにふた」をした政策行動は、町民の為と言い自己保身としか私は取れない。今後も自分勝手な言い分は町に多くの損害を与える。
もし、商工団地付近に本庁舎建設となっていれば、今進む志津川地区の高台移転の状況と同じで、新庁舎の周りには商店が出き、住民も新たに高台への津波対策と家を建て、自然の成り行きは自然人口減だけで済んだかもしれない。合併の最大の「新庁舎建設」を怠った事が、今の現状を生んだと言っても過言ではない。

平成の森内に歌津総合支所の建設にも歌津地区民の不満がある。公民館と保険センターの併設も同じ場所となり、29年4月に完成となる。商工団地内の新病院の隣りに本庁舎が29年10月に供用開始となる。
≪29.9.7記 本庁舎は前だ押しで8.4から共用開始≫

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平成の森への総合支所建設は、今回の大震災で高台の避難所なから45号線の津波瓦礫の為に、物資の到着が遅れた経緯があった。歌津地区民が希望するのは、「歌津中学校裏」と「枡沢団地」の周辺など4カ所を希望していた。町との検討会で理由に上げたのは、1.安全な所2.国道45号線に近い3.災害時に広報支援が受けられる・・・などを上げた。それなのに「平成の森」の最終的な決定は疑問がある。

現在の仮設の病院と庁舎の建設形態にも議会で大議論となった。問題に上がったのは「患者が役場事務などの人の出入りが多く、安心して診察に望めない」「病院と役場に空間をつけるべき」など、最後まで議会と行政の意見が分かれ、私と入谷の鈴木議員の反対で、歌津出身の議員も共に、行政が妥協しての現在の形となった。新しい議員の与野党の構図は、町長側が優位となる現状の中で、今回の歌津総合庁舎の多数決での場所決定だったのだろう。歌津地区民の要望が汲み取られない議会の体制を不思議に私は思う。町が議会に提案する議案はことごとく通る、歌津地区民の鬱憤は増すばかりである。民意に対して議員がどう判断するかは、議員一人ひとりが真剣に考え、行政の監視役としての機会であり、間違いを正す議会制民主主義が、国会と同じようにトップの力に、住民の考えよりも、自己の保身の行動が世間の民意である事のような決定がある。無関心社会と世襲と自分の考えよりも地域の政治家の願いに従う。こんな投票行動が日本の政治を駄目にしている。
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Author:千葉のぶたか

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